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RADWIMPSが「3.11」を想い伝え続けること

東日本大震災から10年目となる今日は、RADWIMPS のことを。
ちょっとだけ長くはなりますが目を通して読んでもらえたら嬉しいです。

2011年3月11日に起きた東日本大震災。
平成に生まれた私にとってはこれまでに経験したことのなかった大きな震災。
被災された地ほど私が当時住んでいた地域は大きな被害は受けなかったけど、
テレビやラジオから見え聞こえてくる情報に不安とともにとても心を痛めた。

そんな中でも大きな不安と心の痛みをふっと優しく取り除いてくれていたのは
野田 洋次郎さんが紡ぐ言葉が普段から大好きで聴いていたRADWIMPS だった。

震災が起こる2日前の3月9日「絶体絶命」というアルバムをリリースしている。
野田 洋次郎さんをはじめとしRADWIMPSは東日本大震災後に仲間を集っては、
震災にあった人々のために日本のために義援金プロジェクト「糸色 - itoshiki -」を立ち上げました。

「絶体絶命」= 「糸 色 体 糸 色 命」= 「愛しき体 愛しき命」です。

2012年から彼らは震災の日に公式HPとYouTubeにて楽曲を公開しています。
僕らにできることはこれしかないと。
震災の日のことをけして忘れないように、その想いを絶やさないようにと...。

『今被災した人たちが早急に必要なものは安否情報、水、食糧、電気、毛布、
 暖房器具、医療等だと思います。
 お金、言葉ではないかもしれません。でも必要な時が必ずくる。
 そう信じてこのサイトはできました。
 ちゃんとまた、みんなが、四つの感情の真ん中に立てますように。
 喜怒哀楽の真ん中に立って、世界を見れますように。』

この「3.11」を歌った楽曲たちは
わざわざ YouTube から検索をかけてでも聴きたくなる楽曲たちばかりだ。
2021年を迎える前のこれまでに
8曲が公開されていますが、その全てがその歌詞に心を揺さぶられるんだ。
「3.11」に限らずこれらの楽曲は
RADWIMPS をあまり聴かないという人たちにも聴いてもらいたいなと思う。

◎ 『白日』(2012年)

2012年3月11日公開「白日」

野田 洋次郎さんのコメント一部抜粋

今日新曲が完成しました。あれから一年経つこの日をどう迎えるかずっと考えてたらどうしてもこの曲を録りたくなって、昨日の昼にメンバーに連絡しました。
どうしてもこの日に演奏して歌いたかった。そしてついさっき完成しました。
2012年3月11日生まれ。名前は「白日」。とても荒削りで不恰好だけど、間違いなく僕たちの新たな大事な子供。この曲をYouTubeにアップします。産まれたばかりの姿を聴いてください。

胸を強く打つ歌詞ですが、最後のサビは特に響きます。

「今すぐ飛び出してよ あの人の上に立ってよ」
「渡しそびれたさよならは 誰に運んで貰えばいい」
「交わしかけの約束は 誰と果たしたらいい」
「そもそもこの声はさ ねえどこに向かって 歌えばいい」
「すべての今までの 喜びが嘘になっても」
「戻らない君ならば せめて出会えたこの喜びを」

洋次郎さんが紡ぎ歌う言葉の一つ一つに震災で失われた命への思いを感じます。
忘れてはいけない日、それを思い出させてくれます。

◎ 『ブリキ』(2013年)

2013年3月11日公開「ブリキ」

野田 洋次郎さんのコメント一部抜粋

名前は「ブリキ」といいます。やっぱり自分たちにできること、したいことはこれしかないや。是非聴いてください。一年前から、どれだけのことが変わったんだろう。たくさん変わったようで、何も変わってない気がする。毎日を日々こなして、自分と世界を新しくしていくのは大事だけど、この日くらいはただただ思いだす日でもいい気がする。最後に、二年前の震災で亡くなったすべての命に、そして今もなお震災し続けるすべての人の心に、合掌。

「もう少ししたらね もしかしたらね」
「全てが幻だったのかもね なんて笑える日がくるからね」
と歌い始めます。

「何かに理由つけては そう何かを思い出しては 君の記憶に向かってく」
「少しでも目を離したら 主人のもとへ駆ける犬のように」
「僕の中かきまわしてる そこには居ないんだ」
「“ごめんね”もう少ししたらね もしかしたらね」

「全てが幻だったのかもね なんて笑える日がくるからね」
「そのままでその日まで したらまたね」
「君の力で運命を決める日が来るからね」
「すべてその手 己のせいで 失うのも痛むのも またね」

「ひとつひとつと 思い出が降ってく」
「割れないように どれも手を伸ばしてく」
「手に落ちるたびに 焼けそうに痛むけど」
「これが僕らがこれから育てるはずだった 思い出の身代わりなの」

辛く、苦しい日々、なんとか生き抜いてほしい。いつか笑える日がくることを
信じて待っているから。

◎ 『カイコ』(2014年)

2014年3月11日公開「カイコ」

野田 洋次郎さんコメント一部抜粋

今日であれから3年。もう3年。やっと3年。まだ3年。
何かを変えられるのは、今生きている人たちだと思う。
あの出来事に意味を与えられるのも。無かったことにするのも。
あんな痛みをともなって蒔かれた種なら、せっかくなら、
ちゃんと咲かせたいと僕は思う。

遅々として進まない国の被災者、被災地への復興支援、
仮設住宅で過ごす方たちへの生活保護対策には抗議します。
今やるべきことをやってほしい。

「世界は疲れたって 僕にはもう無理だって」
「宇宙の寂しさを一人で背負う 作り上げてはみたが」
「世界は疲れたって 人々の後悔だけ」
「でも、悠に銀河一個破裂するほど 今頃顔覆ってら」

「世界は疲れたって 僕にはもう無理だって」
「宇宙の優しさを独り占めに またできる日が来たな」
「最後のお祭りは盛大にさ 始まりの時のように」

映像の冒頭のノイズのように入っている部分、
これは歌詞の「後はもう壊れるだけ」を逆再生したものです。
「後はもう壊れるだけ」この言葉を逆再生する意味、それは世界が
再生していくことを意味するRADなりのメッセージなのでしょうか。
そうだとしたら、それはとても素敵なことだと私は受け取りました。

◎ 『あいとわ』(2015年)

2015年3月11日公開「あいとわ」

野田 洋次郎さんコメント一部抜粋

今年もこの日に曲を作りました タイトルは『あいとわ』ぜひ、聴いてください。
あれから4年が経ちました。「もう二度とあの日を思い出したくない人。」、
「大切な人のことを忘れたくない人。」「今でも大事な人の帰りを待つ人。」
「新しい生活に向かう人。」「その間を行き来する人。」誰ひとり間違ってない
し、自分だけが決めることのできる意思だと思う。僕はどれだけ分かろうとしても分からないし、分かった気になんてなりたくない。どれだけ手を伸ばしてもそ
っちにはいけないから、せめて自分の場所からあの日の出来事、眼に映る出来事
と向き合い続けたいと思う。

「君の涙をいっぱいにためた その笑顔は何故にそれほど美しい」
「身の丈を遥かに超える痛みの波を浴びて それでもなお笑うからでしょ」

という部分の歌詞は胸に突き刺さります。
透き通る洋次郎さんの歌声が私たちに寄り添って心を救ってくれているよう。

◎ 『春灯』(2016年)

2016年3月11日公開「春灯」

野田 洋次郎さんコメント一部抜粋

原発の必要性の有無、様々なことが言われ物事は複雑に語られていきます。ただ
あの震災と津波だけだったら、今ほど復興に差が生まれ、地元に帰ることを諦め
る人は少なかったはずです。立ち入りさえ制限される区域は存在しなかったのです。『フクシマ』という言葉の響きが、2011年3月11日以前のものに再びなるには、あと何年かかるのでしょうか。

心配すること、ただただ復興を願うことしかできない自分なので、また曲を作りました。『春灯』「しゅんとう」と読みます。聞いてください。

来年以降も曲を作るかはわかりません。当たり前にやるかもしれません。ただ3月11日のあの悲しみだけを切り取って一つの作品を作ることに少しずつ違和感が生まれてきました。どの楽曲にも含まれているように思うからです。逆にこの5年の間にも悲惨な事件、事故、大きな喜び、様々ありました。そしてそれらに常に影響されながら音楽を作っています。すべて混ざり合って「今」を生きている
自分の音楽になっています。

あの大きすぎる体験を僕たちは忘れてはいけないと思います。次いつ来るかわからない大震災の被害を少しでも食い止めることであの日の震災の意味を変えることができます。
世の中を見回すと人災、天災問わず悲劇は次から次から次に起きているように思います。感情が追いつかないほどめまぐるしい世界です。くじけそうになります。でもだから気付かされる人間の底力もあります。なるべくなら、光に眼を
向けたいです。手を取り合って生きたいです。こんな世界にも、鳴る意味のある音をこれからも鳴らしていきたいです。

とても切ないメロディー、そしてとても切ない声で洋次郎さんは歌います。
「逢いたい人がいる この世界には」
「せめて僕が生きる意味が わずかでもあるかな」
「逢いたい人がいる この世界に」
「今日も目覚める 僕はきっと 幸せですよ」

この歌詞に私は心地良さを抱く、好きだなあと感じる。
好きで好きでどうしようもなく、たまらないなと思う。
とっても愛おしくて他の人に伝えて共有をしたくなる。
でも独り占めしたくなる。
相反するようで、矛盾しない。幸せだなあ。と思う。

◎ 『空窓』(2018年)

2018年4月8日公開「空窓」

野田 洋次郎さんコメント一部抜粋

あれから7年が経ちました。今年も曲を作りました。3月11日には間に合わなかったのですが、今日発表します。曲名は『空窓』です。 昨年、福島県浪江高校は
3月31日をもって休校しました。その最後の卒業生の生徒さん達から文章を受け取りました。今年はそれを元に歌詞を書きました。 震災が起きた瞬間の気持ち、家族と離れる気持ち、残る人、離れる人、7年という時は10代にとってあまりにも大きな時間です。体験していない僕には想像することしかできません。できるだけその言葉から受け取った想いを、過不足なく音にのせようと思いました。ぜひ、聴いてください。

「あの時の僕らは何も分からず 親父が言うまま家を出たんだ」
「2日か3日ですぐ帰れるものと ばかり思ってたあの日から7年」
「ケンカしたまま別れた友や 家を出たきり帰らぬ兄や」
「言えないままのありがとう ごめんが宙ぶらりんのまま今日まで来たよ」

「時が僕らを大きくするけど 時は僕らをあの場所から遠ざける」
「僕らの故郷は今でもさ 僕らを待っててくれてるだろうか」

この楽曲は福島高校の卒業生の想いの文章を元に歌詞を書いていますので、
歌詞の中には震災関係の言葉がストレートに散りばめられながら出てきます。
歌詞はMVにも載っていますので、是非歌詞にも目を配り聴いてみてください。

◎ 『夜の淵』(2019年)

2019年3月11日公開「夜の淵」

野田 洋次郎さんコメント一部抜粋

東日本大震災から8年が経ちました。そしてこの8年の間にまたいくつもの災害、悲劇がこの国を襲ってきました。 昨年地震が起きた夜、停電で真っ暗な中で、SNSなどで恐怖と闘いながら朝を待つたくさんの声を受け取りました。あいも
変わらず何もできない自分にもどかしさを感じながら、せめて子守唄に、ほんの少しの心の安らぎになったらいいなと思い今回の曲を作りました。そこにさらに歌詞を加え、編曲し、レコーディングしたものが今回の曲です。

普段の生活は不自由を味わった時にその幸せに気づきます。たった一つの電気が、あったかい部屋が、当たり前にいるそこにいる家族が、お風呂が、食事が、
かけがえもなく幸せなことに気づきます。そんな小さいかもしれないひとつひとつのために僕たちは日々を生きているんだと実感します。

今も数多く行方がわからない方がいます。そしてその帰りを待つ家族の方がいます。元の場所に帰れない方もいます。原発の修復、廃炉作業をするたくさんの方がいます。オリンピックももちろんいいけれど、なんだか色んなことに蓋をして、忘れてお祭りになるのだけは嫌だな、と思います。

8年が経ち、震災を知らない世代が増えていきます。残念だけど、きっと定期的に、どうしたって地震や災害は襲ってきます。僕たちの日常を奪っていきます。その度に、思いやって、思い合ってひとつになれる国であったらいいなと心から願っています。最後に、震災で亡くなったすべての命に、今も震災し続ける方達に、合掌。

「何のため生まれたのか わからない僕たちだけど」
「涙を流すためだけじゃないことはたしかさ それだけは確かだ」

これは夜に聴くと一段と沁みる楽曲となっています。MVも「夜の淵」を表すように夜景から始まって、眩しいほどの光を連れて朝がやってきます。

◎ 『世界の果て』(2020年)

2020年3月11日公開「世界の果て」

野田 洋次郎さんコメント一部抜粋

期せずして2020年3月11日現在、世の中はウイルスという社会的危機の中にあります。情報が氾濫し、歪んだ感情も溢れているように感じます。人々の姿こそウイルスよりも脅威に感じる瞬間があります。何かのキッカケで一気に崩れ落ちていってしまうのではないか、そんな緊迫感があります。それでも、それだからこそ今年も変わらずあの3月11日に想いを巡らせ、そこに『今』の空気を混ぜて一つの曲にしたいと思いました。なるべく素直に、思いのままに作った結果今年はこのような曲になりました。絶望感がありながら、どこかそれは懐かしく優しいものに自分は感じたのです。いろんな声があると思いますが、受け取ってもらえたら幸いです。

年々薄れていく記憶。それでも癒えることのない傷。新たに生まれる災害。すべての痛みに向き合っていたら到底心が追いつかない時代に僕たちは生きているのかもしれません。日々の小さな幸せに、眼を向けることを忘れずに生きたいです。

コロナウイルスの感染が世界的に拡大している中、迎えた9年目の3月11日。被災地で開催予定だった追悼式は続々と中止が決まり政府も追悼式の中止を決めた。
自粛ムードが漂う日本。それでも、それだからこそ届けてくださったこの楽曲、「世界の果て」では、世界の果て向かうは“この世からいなくなった君の元”。で
明日世界が終わるかもしれない。急に命は奪われるかもしれない。ならば君の元へいくよ。この世界にさよならを言って。

意図したように、3分11秒で突然と曲は終わります。不安定な世界で、理不尽に明日はやってこないかもしれない。だからこそ、今をちゃんと生きなければならないと、そう思わせてくれます。

10years 10songs

震災から10年となる本年、彼らはこれらの楽曲群に新たに紡いだ2曲を加えて、
発表順に収録したアルバムをリリースする。
これは10年間の定点観測で生まれた、壮大なコンセプトアルバムである。
震災当時からこれまで10年間RADWIMPSと想いを共にしてきた島田大介氏が、
自ら被災地に赴き撮影した当時と10年後の今を鮮明に切り取った写真の数々が、
洋次郎さんの紡ぐ歌詞とともに心に寄り添い合って一つの作品となるのだろう。

RADWIMPSが毎年3.11に発表している楽曲は「復興支援ソング」とは少し違う。
「頑張ろう」「負けるな」など前向きに励ます歌はない。各動画の備考欄には、
野田 洋次郎さんからのメッセージが綴られているのだが、楽曲の歌詞と同様に
自身の気持ちについて表現をしているように感じ取れる。被災者や震災などで
傷ついた人たちを励ますというよりも、一緒に寄り添おうとしているのだから。
前向きな表現や励ます歌でリスナーに力をくれる楽曲も魅力的だとは思うのだが
しかし、希望も絶望も両方感じさせてくれて、それによっては考えさせられたり
寄り添ってくれる音楽こそ聞き応えがあり好きで必要としてるのかもしれない。

これらの楽曲を聴いて、
自然が作り出す天災、我々人間が作り出す人災等が
日々の生活の大切さや、当たり前に使用しているものが
地球にどう影響しているのかこれらを考える機会としたい。

※このアルバムの利益は日本赤十字社、自治体などに全額寄付され、日本全国で起こる自然災害などの支援活動に充てられます。(2021年12月31日までの売上金額が寄付の対象)





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