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「自分の力だけを頼りに仕事することの限界」について考える #内省録

何気なしにふと気になったテーマを取り上げ、自分の経験、思考、価値観と向き合いながら深堀りをしていくシリーズ。内省したものをこうして記録することで、

  • エンジニアとしての成長のロードマップ

  • 自分が取り組んでいる分野の動向の推察

  • 今後の活動に関する意思決定

のために役立てていこうというもの。要するに、思考・価値観の人間ドックである。

自身の技術の腕を磨くため、大企業からベンチャーに転職をしてきたわけなのだが、
ここ最近、自分の腕だけを頼りにするような仕事のやり方について限界を感じることがしばしばある。

そもそも「自分の腕を頼りにすること」の良し悪しだが、ベンチャーでの仕事は決して悪だとは言えない。

大企業では「誰でも同じようなアウトプットを出せる仕組みを作ること」が重視されており、マニュアル・業務フロー・設計の社内基準などに則っているかに注意を払い仕事をしていく。一方ベンチャーでは「個人の腕に依存してもいいから、価値の高いアウトプットを出すこと」が重視される。マニュアルや業務フローなど、ほとんど存在しない。実際、採用面接でもそのようなことを言われていた。

ところが、ベンチャーでの仕事でめちゃくちゃ考えてアウトプットしたはずが、イマイチ評価に繋がらないというか、結局仕事の出戻りが発生するとか、そういうことが多い。ぶっちゃけ、これ以上は限界を感じている。これについて深掘りをしていく。

コミュニケーションの捉え方

じゃあいっそ開き直って、周りの力を借りるのを前提に考える。周りの力を借りるには、当たり前だがコミュニケーションが必要だ。

ただ私は今まで、コミュニケーションに対してそこまで重要視するようなことは考えてこなかった。

もともと自分の中にとっての、仕事上での人とのコミュニケーションについて、

  • 仕事で報連相をするために仕方なくやるもの

  • 自分が振った仕事の進捗を確認するためにやるもの

という程度の感覚だった。

というのも、あまり人と群れるのは好きではないというのもあるのだが(大人数の飲み会とかは苦手)、自分は勉強やら仕事で一度ハマるとずっと集中しつづけれられるタイプなのだ。過去の自分を振り返ってみても、

  • 期末テストの勉強会を友達とファミレスでやっていたけど、気がついたら5時間ぐらい経っていて友達みんな帰っていたり、

  • オフィスで設計の仕事をしていたら昼飯食うの忘れていたり、

  • 考え事をしながら歩いていて、我に返ると迷子になったり、

  • 椅子に座ってじっと考え事をしていたら、呼吸を忘れていたり、

というのはしばしばあった。

たまに職場の同僚で、

「なんか今日は集中できたぞー!仕事はかどったぞー!」

ってイキっているやつを見るが、自分の場合はそういう次元とはちょっと違う。

どっちかというと、目の前の事以外への意識が完全に飛んでる感じというか・・・、目や耳は正常で一応周りが見えてたり聞こえていたりはするけれど、情報が脳に入っていかない感じというか・・・。

このあたりは自分の性格の大きな特徴である自覚はあった。この性格をなるべく活かすためにも、仕事中の雑談はあまりしないし、周りの雑談が気になるときにはノイズキャンセリングのヘッドホンをしたりしていた(ちなみに今の職場では、仕事中に音楽聞いたりとかは全然OK)。

そんなものだから、人と打ち解け合うのにはかなり時間がかかるのだが、自分自身も「まぁいいか」といった感じで、仕事中は周りとあまりコミュニケーションをとらずにやっていっていた。

ストレングス・ファインダーによる分析

そういえば1年前ぐらいに、比較的信頼性の高い自己分析ツールである「ストレングスファインダー」を受けてみた事がある。これは、全34の性格のパラメータがあり、それらを強い(得意)順に並べてくれるというものなのだが、私の結果を述べると、

  • ワースト1位:社交性(人との打ち解けやすさ)

  • ワースト3位:包含(相手を受け入れる能力)

  • ワースト5位:コミュニケーション(自分の考えを言葉に表す能力)

と、対人能力は絶望的である。コミュニケーション能力の低さは、自己分析ツールのお墨付きである(こんな人間がよく結婚できたものだなと、我ながら思う)。

普段の仕事は、上司から依頼された仕事を、自分の知識・経験を活かしながらこなしつつ、分からないことや不安なことは自分でググったり本を参考にしながら進め、それとなくアウトプットを出すような感じだった。

基本的に仕事でコミュニケーションを取るのは9割ぐらいが上司。一見お役所仕事のような働き方にも見えるが、業務フローがガチガチに決まっており、縦割り文化だった前職ではみんなも割とこんな感じで仕事している。

どういうところに限界を感じるのか?

ところが、特にベンチャーに転職してきてからは、これが全然うまくいかない。

その理由については、主に3つあるかなと考えている。

正解のない問題を解けない

言われてみれば当たり前なのだが、ググるとか、本を参考にすることで作った回答は、先人が同じような問題を解いているからこそできることである。

仮にパブリックに公開された情報から知見を引っ張ってこれなくとも、大企業にいた頃は

  • 別プロジェクトの〇〇と同じものを採用した

  • 〇〇で実績がある

という説明でおおよそ仕事が進む。

ただし、パブリックリソースから回答を切り抜いてくる方式では「正解のない問題」「今まで誰も解いたことがない問題」には対応できない。特に「社内基準」も「実績」も「情報リソース」もないベンチャーでは、仕事を振った張本人である上司、あるいは仕事の依頼主である顧客でさえ答えを持っていないことがほとんど。

そのためコミュニケーションをとりながら、自分の意見と上司や社長の意見を議論のテーブルに乗せ、着地点を探る必要がある。「松・竹・梅」のどれかに落ち着くこともあれば、第4案が浮かび上がってきて、それに落ち着くこともある。

スピードが出ない

大企業で仕事をしていたときの感覚は、一言で言えば「マラソン」。ペース配分を考え(業務フロー・会議等での報連相)つつ、長距離(2年とか3年とか)を順調に走り切ることが重要だった。

ところが、ベンチャーでの仕事の感覚は、一言で言えば「スプリント競技」。プロジェクトの最中に方針が変わったり、一から設計見直しが入ったりがザラ。もっと言えば、100m走でスタートを切って5, 6秒後、残り数十メートルという段階で、競技そのものが中止になり、また別の100m走がスタートする。そうなると、一般的な企業に存在する業務フローとか、長期計画とかが意味をなさない。だいたい、短距離走を20%~30%走り切るごとにコミュニケーションを取らないと、油断した瞬間に自分が遭難・暴走している。

非言語の情報が読めない

「機械は物体だけあっても、電気やソフトがなければ動かない」というのは当たり前で、それぞれの専門職の人たちの力を合わせる必要がある。ここで、「その力を合わせる役目(プロジェクトの実質のリーダ)は誰がやるのか?」ということについてなのだが、それはほとんどのケースでメカ屋だ。

メカ屋はプロジェクトで「マネージャ」的な業務も求められることが多く、メカ設計だけできても製品ができないことを痛感させられる。会話の中の「間・抑揚」とか、「うーん」とか「そーですねー」とか、ボディランゲージ的なリアクションというのは、文章に起こすと消えてしまう。

コミュニケーションの上手い人を見てたり、話をしたりすると、そういった非言語の情報から、相手の温度感を探り、その上で

どうやったらプロジェクト的にハッピーか?全体最適の重心はどのあたりか?

を詰めるというのを、無意識的にやっていていることに気づく。

大企業でのやり方にすっかり染まっていた私は、

  • 「そんなの、仕事のやり方としてどうなの!?」

  • 「昔の人の仕事のやり方っぽいというか・・・、全然スマートじゃない!」

と思っていた。ただ子供ができたせいか、普段2才の息子とコミュニケーションをとっていると非言語のコミュニケーションは重要だなぁと感じる。議事録だけを読んでいても会議の雰囲気がわからないというのは、経験したことがある人も多いのではないか。特に、スプリントを高頻度で繰り返す業務では、重要だと思った。

コミュニケーションに対する重要度パラメータを再設定する

設計能力・技術力を磨いていきたいと思って転職したが、まさかコミュニケーションの重要性について考えることがあるとは自分でも意外だった。でもこれは「転職を失敗した」ということではなく、「対人の職業じゃなくても、コミュニケーションは必要だ」という気づきを得たこと思う。あるいは、機械設計の仕事の本質は「対人」なのかもしれない。

恥ずかしいことに、ベンチャーに来てから、このことに気づくのに半年以上もの時間がかかった。いや、正確には「気づけなかった」というよりも、「実感として捉える」とか「自分なりにもっと咀嚼して、具体的な行動つなげる」のに時間がかかった。

たまたま職場の先輩と2人で話す機会があったときに、

「ぶっちゃけ、先輩から見て自分(私)の仕事の感じどうですかね?」

と聞くと、

「よく空回りしているというか、一人で考えすぎという感じかなぁ。うまく説明できないけど、もっとうまくやれる仕事の進め方があると思うんだよねー。」

とのこと。やはり客観的に見てもそこに原因がありそうだ。なので、自分がコミュニケーションに対して抱いていた重要度のパラメータを、もう少し高める必要がある。

ということで、「よし、じゃあ、明日から上手くコミュニケーション取っていこう!とりあえず先輩たちがやっている感じを真似していこう!」と思ったわけだが、「思う」のと「できる」のには更に大きなハードルがあるのを感じる。重要度のパラメータを「プログラミングコードを書き換えるノリ」でアップデートできたら便利なのだが、頭でわかっていても心が拒否反応をしてしまうというか、体が動かないというか・・・。子供の頃のほうが、もっと素直にすんなりできた気がするのだが、いつからこうなってしまったのやら・・・。

自分が今まで「良いもの」だと信じていたことを、一度壊すという行為はかなりのストレスを感じる。「自分を壊す」というと聞こえは良いかもしれないが、要するに「自分を否定する」ことである。今まで自分が6年もの時間をかけて学んだ教訓や身についた自身を一度否定しなければ・・・、と考えているときは、椅子に座っているだけなのに、身体が熱くなって妙に疲れる。

コミュニケーションの目的を再定義する

たぶん、ゴールイメージ(つまり、コミュニケーションが取れるとどういうふうに仕事が回っていくようになるのかというイメージ)がないと、このまま挫折しそうな気がする。「コミュニケーションは何のために取っていくのか?」というものを、自分なりに再定義する必要がありそうだ。「報連相のため」とか「進捗確認のため」ということではなく。

いろいろと世の中で活躍している人を見ながら定義を探していたが、自分の中で「これかな?」と思えるものが見つかった。それは、

運を呼び寄せるため

である。やはり活躍している人を見ると、「自分の力だけで成果を出した」という人はほとんどおらず、

  • 「たまたま〇〇からお声がけいただいて・・・」とか、

  • 「たまたま〇〇さんに紹介してもらって・・・」とか、

というのをよく聞く。

ものすごいパルプンテ感のある定義なのだが、まぁそういうものなのだろう。そこは意外とすぐ受け入れられた。

「人に何かを期待するわけでもなく、何か報酬を求めるわけでもなく、ただただ運が来るのを待ちながら、気長にコミュニケーションをとっていく」

というノリでやっていこう。数年前からずっとやっている積立投資に似た感覚。

まだまだマサラタウンから抜け出せないような気分だが、また少し時間が立ったら、ストーリーをどこまで進められたかのフィードバックしていこうかと思う。

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