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2024/6/25 日記

何時に起きただろう。ひどく眠りが浅かった。昨日寝る前に頭痛がして、体温を測ったら37度あった。今日は休みたくない授業があったので祈りを込めて床に入ったのだが、微熱のせいかよく眠れなかった。しかし普段10時間は眠りたい私が5時間程度の睡眠で起きられたのはおそらく眠りが浅かったおかげで、そう考えるとある意味僥倖かもしれない。

そう、今朝はTに電話をかけようと思っていたのだった。Tが恋愛をしようとしていて、そのために彼は今日の1限の授業、つまり彼女との密かな待ち合わせにぜったいに間に合う必要があった。私はTのだらしなさを自分のことのように信用しているので、朝電話をかけて7時に起こしてやろうと思っていたのだった。
お節介をしよう、と思ってお節介をしてみるのは楽しいし、それはTと私の間にある文化の文脈に乗っていた。今日早起きできたのは、そうしたTとじゃれ合おうという言外の約束事があったからだ。予定や約束があると早起きもしやすい。授業は私にとって、ひとつの予定としてあまり強くない。

1限には10分ほど遅れて出席した。映像制作演習、本当に良い先生だし、かなり面白い授業だ。しかし、私はこの授業の課題を出していない。今日は学生が提出した映像課題の上映と講評をする回だった。
一つ、印象に残る作品があった。部屋にあったドライフラワーを持ち運ぶ動画だった。手に持ったドライフラワーを中央に映しながら、自分の部屋から大学へ移動していく。ドライフラワーは時間が経つにつれて崩れていき、最後には無くなってしまうが、無くなった瞬間、友人たちとの楽し気な飲み会の様子が画面に映される。
鑑賞者の視線は、最初から自然に、中央のドライフラワーに集中する。しかしドライフラワーが無くなると、その視野は一気に画面全体へと広がっていく。一人で移動する私的な時間から、友人たちとの社会的な時間への移行、それが鑑賞者の目線を誘導する形で共有されていた。私が駒場文学99号に載せた「網」も、まさに視線の誘導を考えた視覚詩だった。授業が終わり、その作者の学生に話しかけた。
彼女は派手な色に髪を染めており、活発そうな見た目をしていた。急に話しかけると不審がられるだろうかと不安していたが、感銘を受けた旨を話すと素直に喜んでくれた。周りに座っていた彼女の友人らは先に教室を出たが、だからといって私の話を早く切り上げようとする素振りは見せなかった。その反応が彼女の容姿の印象と違ったので私は内心ですこし驚いて、そしてすこし反省した。彼女とはまた話せたらいいと思った。

今回、私は課題を提出していないので当然私の作品は上映されていない。同じ授業を受けているHが私の作品を楽しみにしてくれていたようで、ふざけ半分に憤りを訴えられた。私も冗談交じりに、どうせDoと模像誌の話しかしないよ~と言った。
課題は「極私的ロードムービー」というもので、「自分の部屋から○○(任意の場所)まで」をロードムービーとして映像化するものだった。私は「自分の部屋から自分の部屋まで」と題して、制度的な自室ではなく、自分の本当の居場所、即ちDoと模像誌を映すつもりだった。
私の答えを聞いて、Hは「俺はお前自身のことが見たい」と言った。
「でも俺自身を形成しているのは紛れもなく社会的な関係で、様々な他者との関わりの中で俺は俺として生きてるから」
「それは分かるんだけど、俺はひとりのお前を見てみたい」
そういえばこの頃、一人の時間がなかった。大学に入学してからずっとかもしれない。入学前も、高校には行っていなかったけれど恋人がいた。多いときは週4くらいの高頻度で会っていた。自分に向き合う時間というのはあまりない。
河辺は色々なことをやっている、とよく言われるし自分でもそう思うが、それらも全て他者に依存している。Doや模像誌をはじめ、インターン、ボランティア、ワークショップに参加したり、特別講師としてゲストに行ったり、常に何かの集団に属し、誰かとの関係に頼っている。ほんとうに自分ひとりで何かに向き合ったことが何度あるだろうか。小説も最近は書いていない。書けていない。それに、私が文章を書くとき、そのときさえ、副代表という立場のある文学研究会に寄稿するためだったり、文研に関わらない場合でも、誰かに見せることをいつも前提に置いていたり、文章は他人といっしょには書けないが、それはほんとうの意味でひとりなんだろうか。
17歳の時、毎日日記を書いていた時期があった。でもそれも、恋人との交換日記のためだった。他者、他人との関わり、社会的関係、見る、見られる、出会い、信用、影響を与える、愛、、、
随分前から、一人になりたいと思っていた。しかし短期的な未来、平たく言えば直近の予定に甘えてしまっていた。親友の一人であるYは今年度から休学して、ひとりの生活をしているようだった。瞑想して、ランニングして、料理して、日記を書いて、絵を描いて、小説を書いて、ひとりの生活を始めている。私も、ひとりになりたい。一人、ひとり、独り。咳をしても一人。放哉が小豆島で死んだ時、彼は独りだったのだと思う。独りにはなりたくない、Yのようにひとりとしてありたい。唯我独尊、私が私として、ただ一人で在ること。

2限終わり、Twitterで知った一年生と会った。なんとなく気になって一度話してみたいと思っていたから、先日DMで声をかけたのだった。
彼女はおしゃべりで楽しい子だった。3限終わりまで、2時間くらい話していただろうか。何を話したか、あまり覚えていない。中身がない、と言えばそうなのかもしれないが、そういうコミュニケーションも大切だった。そういえば、というような連想の繋がりで自分の過去や何気ない体験談を話して、内容よりもリズムで盛り上がる会話。女子のコミュニケーション。

4限が休講になったせいで暇になっていたら、Cが食堂にいるというので話しかけに行った。丸眼鏡をかけていて、緑系の落ち着いた色合いの服を着ていた。
Cは本当におしゃれだと思う。いつも違う系統の服を着ているが、いつも纏まっている。選択肢の話をした。服の系統を固めてしまうのではなく、色々な服を着られる、見た目の選択肢が欲しい。様々な服を着る、その日の自分の見た目を”選択”する。
私と同じような考えを持って、さらに毎度しっかりとそれぞれのおしゃれさで纏められている。自分以外では初めて出会ったかもしれない。それが嬉しかった。
Cとは落ち着いて話すことができた。なぜだろうと理由を探すとき、軽薄だがどうしても、頭の良さ、みたいなものを考えざるを得ない。捻れた話だが、私は二松學舍大学において自分の"頭の良さ"にコンプレックスを持っていた。踏み込んで言えば、自分が持つ自信の中の無視できない部分が学力や地頭の良さに依存してしまっているということにコンプレックスを抱いていたのだった。そしてCには自分と同じ印象を受けた。だから比較的素の状態で話すことができているのだろう。
また1時間ほど話していただろうか。友人の言葉で言えば実の話をした気がする。中でも記憶に残るのが、将来の話だ。
Cもまた複雑な進路選択を経て二松學舍に入学していて、私は彼女の人生に対する視座にも興味があった。
彼女は「波乱万丈に生きたい」と言った。私は思わず、「いいねー!」と言った。
攻撃的な表現をすれば"守られた生き方"、私はそういう生き方を選択する周囲の人間に辟易していた頃だった。教職を取ったり世間的に良い大学に入学したりして、パターン化された将来設計を内面化して生きている人達。酒や煙草を飲みながらも、時が経てば何だかんだ就活して就職することに抗わず諦めている愚鈍な人達。
私は自分がそうした"レール"に乗れないことを、大きな諦めとともに痛感している。そう、これは確信なのだ。私の文化であり、文化の上での確信なのだ。だから意志がない人間は嫌いだ。これは何か説得力のある嫌悪ではない。嫉妬であり、憎悪だ。
波乱万丈、波乱万丈さを肯定する訳でもなく、私は自然にその言葉と自分を重ねている。「波乱万丈に生きたい」ふふふ、そうだろう、その方が楽しいぜ。と、そう思わなければ私はやっていけない。

Cの5限が終わるまで部室で時間を潰して、ご飯に行こうと誘う。Tが先程バイト先の居酒屋をLINEで送ってきたので、そこに行くことにした。
阿佐ヶ谷に着いて、その居酒屋の前まで来ると、どうしてか入店に緊張した。自分の知らない社会で過ごしている友人の姿を見ることが怖かったのかもしれない。
中へ入ると案外こぢんまりとした居酒屋で、居心地が良かった。Tもいつも通りでほっとした。
基本的にTのおすすめを頼んでいく。
美味しかった! この頃は安さだけで店を選んでいたから、おお久しぶりにちゃんと美味しい料理とちゃんと美味しい酒だと感心した。やっぱり美味しいものを食べると心に良い。
Tが仕事途中にこちらの卓を覗きに来て、また奢られるの? と余計な口を挟む。さっきは別の後輩にも同じことを言われた。別に今回は奢られるつもりはなかったのに、なぜか自然と奢ってもらう雰囲気になってしまう。Cもなぜか受け入れている。まあ面白いし、どうせ返すから今回は甘えて奢られよう〜と私も意思を固める。

料理も美味しいし、それなりに楽しい時間だった。家庭の話とか、恋愛の話をした。具体的な内容は今はあまり覚えていない。
日本酒を飲んだ。ラベルに、花、と書いてあった。藤井風の曲がよぎった。美味しかった。
Cの持っていた丸眼鏡を借りて掛けてみた。丸眼鏡の方が似合うと言われた。最近丸眼鏡が似合うと言われすぎていて、これで丸眼鏡を買うのはなんだか癪だ。度数が自分の物と近いのが嬉しかった。
Tが休憩に入ると、私の隣に座ってCと話していた。後で聞いた話だが、Tにとっても彼女は好印象だったみたいで嬉しかった。

一つ、今でも反芻する話題がある。将来について、彼女が、「本当は安泰を求めている」と言った。その時はあまり表に出さなかった気がするが、私は内心、かなり衝撃を受けていた。それは意外さではなく、納得の衝撃だった。そりゃそうだ、そりゃそうだ! さっき食堂で話していた時、波乱万丈に生きたいと言われた時、どうして気付かなかったのだろう。どうしてその言葉を真に受けてしまったのだろう。
私は客観的に(どこか主観的にも)波乱万丈と言いうる人生を送ってきた。私はその中で"波乱万丈さ"を受け入れて肯定しているが、波乱万丈に生きたいと自ら積極的に望んだことはあっただろうか。
「波乱万丈に生きたい」その願望は、本当は波乱万丈になんて生きられない人間の、規範や不文律を受け入れて安全にしか生きられない人間の、きっと得られない刺激を求める虚しい叫び声なのだ。
幼馴染の言葉が思い出される。彼は社会的に順調すぎるキャリアを辿っているが、私のことを羨ましいと言った。俺はこのまま黄金ルートを歩み続けることしかできないと思う。河辺みたいに普通じゃない道を選ぶことには憧れがある。正直、かなり鼻につく物言いだが、これは彼なりの本心なのだと思う。ふつう、普通の人は普通から大きく外れた道は選べない。普通の人、普通に生きている人、普通に生きてこられている人、今まで普通のまま生きてこられてしまった人。そういう人は、普通の井の中から脱出する選択は採れないし、採らない方がよっぽど利口で生産的だから採る必要がない。それは社会規範を内面化した無思考の選択というよりは、もっと本質的な、生まれてからの環境や私的な文化に基づいた潜在的な選択なのだと思う。それは諦めでもあるし呪縛でもあるし、本能的な安心でもある。波乱万丈への憧憬は、都会人が途上国の開放的な不便さを夢見るような安全圏からの消極的な憧れなのだ。
私は自分自身が相対的な波乱万丈の井の中にいるから、それに気付けなかった。波乱万丈を肯定する物言いに素直に共感を示してしまった。その奥にある退屈さへの諦念と密かな憧憬まで頭が至らなかった。それは私にとって寂しいことだった。私は彼女に対して、似ている、と思って近付いた。しかしそこには潜れた隔たりがあった。
考えすぎだろうか。

居酒屋を出ると、Cが終電を逃したと言う。だが、彼氏の家に泊まるので大丈夫らしい。一緒に中央線に乗って、私は先に新宿で降りた。降りる時、今度は飲みじゃなく飯に行こうと声をかけた。
良い一日だったと思う。今日はもう少しTと話したかった。



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