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日記 2023年9月

04.月曜

早起きして国会図書館に行こうと思っていたが、夢の中で行ってしまったので諦めた。

14時から学生相談室の予定が、15時頃に着いた。発達障害の相談なので、別にいくら遅れても説得力が増すだけなのでいいだろうと思っていたのが原因だった。事実特に問題はなかった。

ターバンを巻いて行った。Kさんのインド土産。

行きの電車で悲しみよ こんにちはを読了した。中々良い。良いですねー。残りは、文章会と読書会の録音を聞いて復習していた。


09.土曜

夜の9時以降くらいが、一番集中できる。
日付が変わるころ、前に国会図書館でコピーした遠野遥と宇佐見りんの対談を読んでいた。
創作というものは、もっと孤独なものなのかもしれないと思った。私は創作に対して、例えばKさんとか荒井先生とか文研とかを意識するが、自分に向き合う、小説に向き合うことも必要なはずだった。

最近、本当に常に文学か障害かもしくは文学と障害について考え続けている。本当に常に。

荒井先生に訊きたいことが本当にたくさんある。しかし、訊きたいことを、言葉として纏められていない。私の考えていること、やりたいこと、やろうとしていること、それらは荒井先生とか市川沙央とかもしくはCさんとか遠藤さんとかからしたら、まったく見当違いなのかもしれない。そういう恐怖がどこかにずっとある。それも含めて、私がやりたいことこそが私の使命であり本質であると、信じているようで信じているのか?

今日は聖学院のワークショップに行くはずだった。しかし面倒なので直前で休みの連絡を入れた。
正直、前回行った限りでは、あの空間にあまり価値を感じない。時間を投資する価値。(まあ、時給も出るのだけれど)

ふと思い立って「ハンチバック 読書会」で調べると、明日それを開催予定の団体があった。なので、急遽その団体に入ってみた。楽しみ。

HさんとかNさんとか、或いは松浦先生とか、軽い気持ちでとても仲良くなりたい人が何人かいる。そういう人に、思うがままのアプローチをしてみてもいいのだろうか。
いけない気もしている。特に同年代の異性に対しては。私は性別とか関係ないだろ、しね! と高らかに確信しているが、多くの場合、相手はそうじゃない。考えないと。
女だったらよかったのに、とは思わない。男だったらよかったのに、と言う女の多くも、本心から男だったらよかったと思っているわけではないだろう。性別によって影響されない・判断されない・括られない状況が欲しいのだろう。属性に影響されない社会が欲しいのだろう。私もそう。しかしその社会が実現することはない。

例えば創作の中でさえあり得ないだろう。「属性を持たない」という表現はできるが、「属性がある上で、それが完全に無視される」という表現はできないのではないか。そういう世界の中で、個別化させるための行動を、荒井裕樹とか米津知子とか市川沙央がやっていたのではないか。

私は時に、「中性」という性別が欲しい。しかしそれを手に入れる努力はできない。なぜなら、手に入れることはできないから。
「中性」にならずとも、「無性化」させることはできるのか? 市川沙央⇔荒井裕樹往復書簡の中で「障害者は無性化されている」市川沙央の例えに震わされてしまったが、障害者が無性化されているのは、性別の前に「障害者」という大きすぎる属性が存在感を示しているからだ。障害者が無性化されている問題は極めて大切な問題だが、それについては別に考えるとして、障害者が無性化されるに至る構図は非常に興味深く応用の余地がある。女性である相手に対して、私が自分の男性性以上に大きな個性を見せつければ、〈無性化〉に近づけるのではないか。と、ここまでは机上の論である。さて、どうして仲良くなろうかしら。
「矮性化」「微性化」「薄性化」「少性化」、なんと形容すべきか悩むが、「無性化に近づく現象」は、興味深いテーマである。


17.日曜

今日は10時頃から葛西臨海水族園に行って、その後14時から青学奉で葛西臨海公園の海岸清掃ボランティアをやって、その後17時から20時までインターンで義足体験会に行く、予定だった。

昨日の夜27時くらいまでハンチバックの書評を書いていて、漸く終わったと布団に入ったら寝苦しくて眠れない。なんとか眠って、起きた今朝。体温測ると38度5分!最高に充実する筈だった今日の予定が...


23.土曜

執筆が進まない。日記を書く暇あるなら小説を書けよ。

日記を読み返していると、Kさんが22になった日のことも書いてあった。
彼は22か。時々、同い年のようにも思えるけど、3つ年上。私があと3年歳をとったとき、彼に追いついてるかな。

私は付き合う相手によって自己肯定をしてしまうところがある。だから、切った。

もう見せることのない人に向かって、主張している。

友人、と言って顔が浮かぶ人はいないのだけれど、元友人と言って思い浮かぶ人はいて、あー、友人だったんだな、と気づく。

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