見出し画像

何者かになりたい欲求は私になりたい欲求だった。

何者かになりたいという欲求は、私になりたい欲求だった。
私は私に潜在するワタクシ性を凝縮して、ハイエンドワタクシになりたいのだ。

今の私はそれを言語化するには少し眠すぎるため、せめてその思考の一端をここに記録しておきたい。


何者かに憧れるということ

憧れる人はたくさんいる。
この人すげぇな……とか、この人みたいになりてぇ……とか。
あとは私の場合、「すごい」よりも「面白い」の方が優先度が高い。
こいつ、面白い……と思う人に、憧れを抱く。

例えば

例えば
フッ軽で色んなことに首を突っ込める、デザイナーの友人A
思いつきで変な所に行ってたり変な物を食べたりしている、東大生の友人B
私の関心のある分野でめっちゃ活躍しているうちの大学の准教授C
”色”を確立した詩を高いクオリティで書き続けている文学サークルの先輩D

肩書や功績に関わらず、面白い、すごい、と思うことはよくある。
私はその度、それになりたい、と思う。

フッ軽で興味があるものには手当たり次第首を突っ込めるようになりたいし、
人目を気にしてできなかった少し変な思いつきを何も考えず衝動的に行動に移せるようになりたいし、
関心のある文学と障害というテーマについてはずっと勉強と研究をし続けたいし、
私も自分にしか書けない小説を書き続けたい。

(「肩書や功績に関わらず」と言いながら、例えば憧れる友人Bを形作る数多ある特徴から東大生という一片をあえて取り出したのは、やはり私の中に潜む優性思想とそれに伴うコンプレックスが原因しているのだろう。)

オモシロ要素を取り入れたい

友人Aに憧れる時、私は何も、友人Aになりたいと願望している訳ではない。
友人Aに内在する、「フッ軽で色んなことに首を突っ込める」というオモシロ要素Aを、私は取り込みたいのである。

そして私は同時に、「思いつきで変な所に行ってたり変な物を食べたりしている」というオモシロ要素Bや、「私の関心のある分野でめっちゃ活躍している」というオモシロ要素Cを取り込みたいと願望する。

これは「何者かX」になりたい欲求ではなく、複数のオモシロ人たちから複数のオモシロ要素を取り出し私に合成することで、新たなる「進化した面白いワタクシ」を創り上げたいのである。

何かをしでかしたいということ

昨日、意識の高い大学生が集まるコミュニティに参加してきた。
そこには、意識の高い大学生が集まっていた。

私自身も意識高い系人格を持っているので、その場には馴染むことができた。
大学生ながらに色々なことを考え行動し、自分でビジネスをしている人がすごい、という空気があった。
それはある意味で正しいし、正しくなかったとしてもその空気が存在するのは仕方がないことである。
何らかの団体で代表を務めているとか、自分で起業をしているとか、どこかのすごい人と知り合いだとか、そこらのすごそうな人と知り合いだとか。

私も意識高い系人格の心中で「起業したい」という野望を抱えていたため、起業はすごい、起業が偉い、起業したい! という雰囲気に逆らわずそこにいた。
皆、起業に向けた具体的なプランなどを持っているようだった。
しかし、やはり、そこには「起業がしたい」という思いが先行している印象があった。無論、それは否定すべきことではないが。

起業したいとは思いたくない

私は「起業したい」とは思いたくない。
「芥川賞を獲りたい」とは思いたくない。
「紅白に出たい」とは思いたくないし、「金の盾が欲しい」とも思いたくない。
「何者かになりたい」とは思いたくない。

私がインターンをしている先の社長(私が最も尊敬している人間の一人)に、起業したい、と話した時のことを覚えている。
将来何したいの? と雑談に問われて、起業したいと答えた時、私は鼻で笑われた(実際には鼻で笑われた訳ではないのだが、その時のニュアンスと私の受けた印象を伝えるのには鼻で笑われたと表現するのが一番容易だ)。
要約すると、起業したいと思って起業してはいけない、やりたいことをやっていたら、いつの間にか起業せざるを得なくなっている、それが起業する時だ、というような話だった。
その話を漠然と覚えている時に、別の知り合いが会社を持っていることを知った。
彼になぜ起業したのか聞くと、「したい仕事をするのに会社作った方がやりやすかったから仕方なく」と話した。
その時、ようやく、社長の言葉が私の腑に落ちてきた。

いつの間にか

やりたいことをやっていたら、いつの間にか起業していた。
それが丁度いい気がする。
それは、起業ではないかもしれない。
やりたいことをやっていたらいつの間にか紅白に出ているかもしれないし、気付いたら登録者100万人を突破しているかもしれない。
それが理想だ。

何かをしでかしたいと願望することは、自分を分かりやすく進化させたいと願望することだ。
今の自分に足りないことを恣意的に発見して、目標を立てる。
それは非常に分かりやすいが、私はあまり好きではない。
私は今の自分を愛しているので、このままでいい。飛躍的に、分かりやすく進化する必要はない。
ただ、なんとなく面白いと思ったことを少しずつ自分に取り入れながら、やりたいことをやっていきたい。
そうすると、何かのゴールに辿り着くかもしれないし、着かないかもしれないし、そもそもそれはゴールではないのかもしれない。
私は何かをしでかすより、今、自分の好きなことを好きにやりたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?