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「善財童子」は今日もゆく!(ハコ)

「語る言葉が自己をつくるんだよ」。これは、自分の信条にも近い概念であり、かつ主宰してきたリーダーシップ研修で伝えてきてきた思いでもある。ボーヴォワールも言っている。「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」と。今回この場ではこれを意識して発信する。最新の自己として自己を語ることをテーマに据える。

私は自分自身を仕事と考えていて、私が見たこと感じたこと考えたことのすべてから生まれた手法や表現、哲学やミッションの集大成が私であり仕事だ。便宜上「広報やってます」と言っているが、私自身が成果物という認識で生きている。明確にそう自負したのは2012年前後で、これは自分が出資を受けて起業した際に意図的に行った「精神的自殺」から自己を取り戻し再び魂を回復させていった終着点の発想なのだ。長いこと人生のコントロール権を他者へ譲り渡し、その人の描く物語の1登場人物として生き切っているなーと気づいたときから、「ああやっとリハビリが終わった。今こそ力強く私の生を生きよう」と心底思えたタイミングなので西暦でよく覚えているのだ。

自分自身が仕事ということは、翻って自分のミッションは「よく生きる」ことにつながる。この生きる過程での一挙手一投足すべてが私の仕事だからだ。そも生きることに意味なぞない。生き切るという命題のもと、いかに面白く生きるか?の演出として個々人が自由に(勝手に)意味付けを与えているに過ぎない。なぜか?それくらい人が一生を生き切るということに勝る事業はないと考えている。その旅路をどう演出するか?その取捨選択を日々人は行っている。

こういう考え方に行きついたのには主として2つの理由があるが、最近はそこからも新たな発見と課題が見えてきて「楽しませてくれるなー」と面白く思っているところだ。まず理由のひとつからお話すると、自分は仕事中毒の達成マニアであった。社会に出て発見したことのひとつに、「なんと!仕事だけが唯一、自分の努力によってほしい結果をつくれるではないか!」というものがあった。自分は、のちの考察によると漠とした根強い未来喪失感を抱えたまま青年期を生きており、自己の生を明日につなげると言うことに対してまったくもって執着がなかった。肉体的な意味ではいたわるために休息をとるなどの配慮が皆無で、精神的には忖度と無縁でいることで組織の誰彼に頓着せずに常に正論を吐いていられた。気に入られる必要がなかったのだ。そんな人間なので、普通の人がホメオスタシス的に発揮できる「生命線のデッドラインを守る」本能がなく、基本のジャッジポイントが文字通り「倒れるまで」であったので、そりゃ成果が出るに決まっている。普通は自己を正当に愛する心があったらそうは生きられない。

達成マニアとなり果て、もはや自力で自宅マンションの鉄扉を開ける体力まで喪失して体当たりでドアを押し開ける日常になり、ランチタイムは食事代わりに点滴を受けている生活を当たり前とする異常さに気づけないほど、仕事の達成から得られる麻薬にはまり込んでいた。あるとき、その日も同じようにタクシーに乗り込み、矢継ぎ早に電話をかけまくって(そのためにタクシーに乗るのだ)仕事を片付けてからため息をつくと、じーっと見ていた運転手さんにこういわれたのだ。30歳頃のことだと思う。

「お嬢さんみたいな若い人はさ、未来に一体なんの希望を持ってるの?おじさんなんかの若いころはさ、高度成長期で日本がどんどん変わっていくんだと思ってすごくわくわく生きたものだけど。そんなふうに身を粉にして仕事してさ。おじさんかわいそうになっちゃうよ」と。はっとした。

「未来に希望?」。自分にはその発想自体がこれまで持ち合わせたことがなかった。その問いは以降、頭から離れなくなる。結果から言うと、このことに自分なりの答えを出すために、それまで3年越しで口説かれていた、のちに株主になる人からの「出資するから起業しないか?」とのオファーを受けることになるのだが。もう一つの理由となる体験が、大病をしたときだ。

治療経験は私にさまざまなことを教えてくれたが、結構インパクトがあったのは「自分が思っているよりも自分は人の生に影響していた」という事実だ。“袖振り合うも多生の縁” ではないが、かつて自分の達成だけが命題で生きてきた人間ゆえに、こちらが想うほどに自分は想われていないという前提で生きてきたのだが、家族や友人、仕事仲間などがこんな私でも生きていることを強く望んでいることがわかって衝撃だった。そうか、生きてしまう限り望むと望まざるとに関わらず、人は人の生に影響するのだ。ということは、生きることそのものにこそ意味があるのか。こう考えるようになったのだ。「自分などの生が他者に影響しない」と考えることの不遜を知った。

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(写真は治療を終え「娑婆」に復帰した歓びに吠える筆者)

働き方においても、独立してからずっと「プロジェティスタ」構想を持ち、簡単に言うとプロジェクト成功請負人として機能することを意識してきた。さらには所属を越えたクロスファンクショナルチームで成果を出していくことを宿願としてきており、長いこと腐心してきたが時代が今やっとそうなりつつある。時代のニーズがなければ実現しないことを、一人せっせと無駄な闘いに明け暮れてきたが、「時代の空気のなかで確かに生きる」こと、このことの生きやすさ、呼吸の楽さも最近やっとわかるようになった事実だ。

最新の自己として私は私をなんと呼ぶのか?

私とは、赤々と燃える松明の灯である。
不平を国のせいにする人々を、惜しみない努力と言葉の力で
目覚めさせ、
「ハートに火をつける」、希望の灯をともす松明の灯です。
魂を燃焼するために誕生しました。
私の魂の燃焼は、善なる目的につながる「可能性」に挑戦し続けることでなされます。
人を変えたいのではなく、社会を変えたいのでもない。
一人ひとりが「国のために何ができるのか?」の問いに答えを持とうとする、そんなきっかけとなれるように言葉の力を武器、ツールにして可能性を開いていき「知った」と言える状態をクリア!クリア!クリア!し続けていくためにいま、ここにいます。

これは「WaLa」で宣言した自分の「Who」なのだが、非常にフィット感があってこれなんだよな、と日々思いを強くしている。

自分の人生が大好きだ。デコボコと問題の多い道のりや人格かもしれないが、常にその不完成さに愛を感じる。昨日より今日、いい人間になっていたいと願い変化し続ける自分はすこぶる「よく生きている」と思えるのだ。「変化できる」という可能性の探求、これが私の仕事であり生き方である。

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