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メカとしてのH3ロケットと、一部の報道姿勢について思うこと

 H3ロケット。純国産の大型の液体燃料ロケットとして、50億円というリーズナブルなロケット。一般的な工業製品として、製品が新しくなって、価格が1/2になるってそうそうないと思うんです。結構凄いことしているんです。JAXAさんは今後、年6回(2ヶ月に1回)打ち上げようともおっしゃっております。2001年~2018年の18年間で40機打ち上げた、前身のH-ⅡAロケットは、コスト100億円で年2~3回だったことを考えると、日本の宇宙産業にとってはだいぶ革命なんです。
 人生で一度は宇宙にあこがれ、高1までは理工学部を志望していた私としては、何らかコメントしないといてもたってもいられないわけです。もっとも、現在は文系の映像学部生として、日々創作活動に勤しんでいる訳ですが。

「エイチ・スリー」なのか、「エイチ・さん」なのか

 公式の呼称は「エイチ・スリー」ですが、放送業界的には「エイチ・さん」です。(補足:NHKの最近の報道では「エイチ・スリー」と読んでいるので、最近はこれを固有名詞として呼んでいるみたいですね。すみません。)なんでやねん放送業界横柄だな、なんて思わないでください。これには訳があります。
 一応、高校時代はいち放送部の部長だったので、放送業界には少しばかり触れてきました。アナウンス・朗読をするにあたって必携なのが「NHKアクセント辞典」なのですが、基本的にはNHKの放送文化研究所というところが指定する方針に基づいて、放送業界のレギュレーションは組み上げられていきます。
 また、NHKのこのルールは、高校の部活だろうが本物の放送局だろうが、人前に出る前に徹底的にたたき込まれます。なので、その道を一度通ってしまったからには、ほとんどの場合、もうその習慣が染みついて取れない体になっているので、その通りに発音するようになります。
 NHKによれば、数詞は「レー」「イチ」「ニ」「サン」……と読んでいくという風に指定されています。H3ロケットの「3」が数詞として認められるので、放送業界では「エイチ・さんロケット」と呼ぶのが正しい、となるわけです。JAXA側から、固有名詞としてこう呼んでくださいと言われない限りは、テレビの向こうのアナウンサーは身に染みついたこの原理原則に従って「エイチ・さんロケット」と読み続けることになります。逆に放送において「エイチ・スリーロケット」と読む方が、個人的には気持ち悪く感じたりします。人前で話すときは普通にそう呼ぶけど。なんかそういうスイッチみたいなものはありますよね。

メカとしてのH3ロケット

 いきなり話が脱線していたので元に戻すと、このH3ロケットはなかなか挑戦的なのです。メインエンジンのLE9エンジンは新開発。固体燃料の補助エンジン、SRB-3も新開発。
 メインエンジンについては、前身のH-ⅡA/Bで使用されていたLE-7Aエンジンは、さらに前身のH-ⅡロケットのLE-7エンジンの部分改良版だったことを考えると、実にこのLE-7Aエンジンがどれだけ優秀だったか……。
 補助エンジンについても、前身のH-ⅡA/Bで使用されていたSRB-Aも、H-ⅡロケットのSRBエンジンの部分改良版で、さらにこいつは、イプシロンロケットの第一段エンジンにも使用されています。
 つまり、メインエンジンも補助エンジンも、実績がかなり確立されていた優秀なエンジンだったのです。これまでコスト以外に改良の余地がなかったとも取れます。このエンジンたちの背中がどれだけ大きかったことか。優秀なので大学4回生までサークルを引っ張ってきた先輩たちが卒業でごっそりいなくなって、次に舵取りを任せられた大学2回生たちみたいな、そんな立ち位置にH3ロケットは居るわけです。
 今回、LE-9エンジンを構成する複数の装置の電源の喪失を検知して、SRB-3の点火をしなかったというのが原因のようですが、果たしてこの原因究明は打ち上げ予備期間の3/10までに間に合うのか……?という一抹の不安はあります。これから「どこの電源が落ちたのか」「それは何で落ちたのか」というのを、複数ある原因元を一つ一つ検証していって、イチからクリアしていかなきゃいけなくて、場合によっては試験が必要になるかもしれないのかなとも考えると、気になります。まぁでもあくまで「試験機」だからね、そういうこともあるよ。いちファンとしてはあたたかく見守っていきたいと、そう思うわけです。

一部の報道姿勢について

 この前打ち上がらなかった件に関して、「失敗」なのか「中止」なのか論争が巻き起こっているわけですが、どっちでもあるしどっちの言葉を使ってもいいと、私は思っています。予定通りに出来なかったのは事実だし、フェールセーフは「失敗を回避するための安全策」であるからして、「大きな失敗になりそうだった小さな失敗を検知したんじゃないか」という話にもなるわけで。ここでは敢えて失敗という言葉を連呼していますが、もう一度いうと私はどっちでも良いというか、その表現については極論、どうでも良いと思っています。
 それよりも問題なのは「失敗」か「中止」かを取り上げすぎて、肝心の「どうしてそうなったのか」を取り上げているメディアがあまりに少ないなぁと、こう思ったわけです。VTuberの方のほうが、公式情報をきちんと整理してSNSで拡散しているのを見ると、「情報はこっちから仕入れるか」となってしまうのです。こうなるといったいマスメディアの存在意義はどこにあるんだろうと、こう、個人の感想としては思ってしまうのです。冒頭で脱線した話にも繋がるのですが、放送業界に少し触れたが故に、報道の現場の人間は普段から「人にものを正確に伝える」努力をしてきているのはよくわかるので、こういうことが起きてしまうのは少し残念だなぁとも思う次第なのです。

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