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2022年2月16日 栗原が珍しくよく喋る

栗原が珍しくよく喋る@ロックカフェロフト
出演:栗原、春とヒコーキぐんぴぃ


ザクセス代表の栗原さんにスポットライトを当てたライブ。聞き手は、嬉しいことを覚えていて言葉にしてくれて、サビにもなったぐんぴぃ。


昨今は敏腕主催者としてのイメージが強い栗原さん。ぐんぴぃも栗原さんの印象はキレ者、とにかく出来る人だと言っていました。だけどハキ面メンバーと一緒にいる時はちょっとぬけててお子ちゃま扱いされたり、照れカワっぷりをアイドル扱いされたりしちゃうんですよね。そんな魅力たっぷりな栗原さんのバックグラウンドをじっくり知ることが出来るライブでした。


【小学生時代】
・栗原さんが考案した冬ソナ鬼ごっこが学校中で大流行した。既にこの頃から企画力を発揮していた。
・小学校中学年の頃には放課後に学童の友達とお笑いライブを開催して漫才などを披露していた。今まで初めての主催ライブは「フェルメールの絵画代金完済ライブ」と答えてきたが、よく考えたら学童が最初だった。


【中学生時代】
・中学入学後、学校に行くこと自体にあまり意味を感じなくなり不登校気味になる。家にいても暇だろうからとお母様が図書館で本を借りてきてくれて、お笑いが好きな栗原さんのために選んだ本の中に松本人志や千原ジュニアの著書があった。


【高校生時代】
・絵が得意だったので県内で唯一芸術科がある松戸高校の芸術科に進学。男女比が偏っていてクラスに男子が5人くらいしかいなかった。だからといって女子と仲が良かったという訳でもなく、なぜなら、そういう環境で女子と仲良くなるためには女子化する必要があったから。
・お笑いをやりたいと思い、ハイスクール漫才を目指す高校生達の集まりに顔を出したことがあった。しかしそのコミュニティの雰囲気をあまり面白いと思えず実際に漫才をするには至らなかった。
・もしハイスクール漫才のノリがプロの芸人にも地続きだとしたら、芸人になっても楽しくないだろうなと思ったのが高卒で芸人にならなかった理由。
・ハイスクール漫才では若者らしいはつらつとしたお笑いが求められるため、コミュニティの雰囲気もその価値観に引っ張られたものになる傾向があるのだそう(ぐんぴぃ情報)
・当時フラッシュアニメなどが流行っており、芸人になるよりも動画制作などの形で面白いものを作る方が自分には向いているのではないかと思い進学することに。


【大学生時代】
・デジタルハリウッド大学は特待生になれば学費が大幅に安くなる制度があり、高校の先輩がその制度を利用してデジハリに進学した実績もあった。そこで、学費は安い方が良いと思っていた栗原さんもデジハリを受験。しかし特待生には落ちてしまい、結局満額払って通うことに。
・喜利の箱で大喜利をするようになり、シャラ〜ペさん、大久保八億さん、車海老のダンス根本さんらと出会う。
・その繋がりから、早稲田大学の寄席演芸研究会に所属。
・大久保八億さんとのコンビ「生活の知恵」を結成。
※ヨセケン所属と生活の知恵結成の前後関係よく分かんないです。
※シャララのことにはさらっとしか触れていませんでした。


【これから】
・お笑いをやるからにはM-1で結果を出したい。そのためにコンビを組んで漫才をしたい気持ちはあるが、永田敬介さんとのユニット「コーツ」以上に面白い漫才がやれる相方と組まないと意味がないとも思っている。

※ 補足情報として、別のライブで聞いたコーツの活動スタンスを載せておきます。
・栗原さんから永田さんを誘った。
・永田さんはコーツを正式なコンビとして組む意思が1ミリも無いということを最初に伝えており、栗原さんもそれを了承の上でユニットとして活動している。(正式にコンビを組める可能性があるかもと変に期待を持たせて栗原さんの貴重な20代を奪ってしまわないようにという永田さんの配慮)
・正式なコンビとして結成しない理由は、完全に永田さん側の事情によるもの。
・永田さんの口ぶりから推測するに、相手に関わらずもうコンビ活動のストレスに耐える気はないということではないかと思います。


【感想】
私は演者としての栗原さんが(も)好きでなので栗原さんのお喋りを沢山聞けて良かったです。改めて、漫才師としての栗原さんをもっと見たい!!と思いました。

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