おかゆいところはございます

 美容院で頭を洗われている時「おかゆいところはございませんか」と問われて「ございます」と返せる者が果たしてこの世に何人いるのか問題についてだが、まぁ、全世界でトータル5人とかだと思う。
 先日私が独自に取ったアンケートでは、かゆいところがありますと言わない・言えない人は全体の77%に及んだ。母数が31票のアンケートの信頼性がどこまであるかという話はあるが、一定の傾向は見出せると思う。たいていの人間はかゆいところがあってもそれを指摘できないのだ。美容師から「ございませんか?」と水を向けられているにもかかわらず。
 そもそも「かゆい部分」をどう伝えればいいのか問題もある。ちょうどぴったりつむじの部分がかゆい、というのでなければ、この広大な頭部のワンポイントを的確に伝えるのは至難の技だろう。なんとか頑張ったとして、
「まず私の頭部を地球儀だと仮定してください。私の頭頂部をウラジオストクだと考えた場合、カンボジアあたりがかゆいです。いえそこはカンボジアではなくミャンマーです」
 みたいなことになると予想され、美容師は焦り、客も焦り、もう手が泡だらけになるのを覚悟して自分で掻いた方が早い。
 そうして私たちは「かゆいところはございませんか?」に対しすました顔で「大丈夫ですー」などと答え、ゆすがれたあとの頭を「別にかゆいわけではないんですけど何となく気になって。いえ別にかゆいわけではないんですけど」とさりげなく掻くことになるのだった。
 変化球として「気持ち悪いところございませんか?」と聞かれるパターンもあるが、余計に返事に窮する。気持ち悪い、とは? 二日酔いで胸焼けがする場合なども言っていいのか? おそらくよくない。そもそも美容師は気持ち悪い部位に対して何をしてくれるのだろうか。「どう気持ち悪いですか?」など聞かれた日には自分の説明能力の限界に絶望して泣いてしまう。私たちは美容院のシャンプーの前にあまりに無力だ。

 とはいえ美容師さんはたいてい丁寧すぎるほど丁寧に髪を洗ってくれるので、実際にかゆい部分が発生することはほとんどない。長々と書いておいてなんだが、私たちが自分のシャイさゆえに美容院で窮地に陥ることはほぼないだろう。
 そんなことを考えていたある日、私は己のシャイさゆえに違う院で窮地に陥った。歯科医院である。
 別に歯医者で髪を洗われたわけではなくて、仮に洗われたとしたら混乱で泣いていただろうがそんなことはなく、普段通りに診察され普段通りに「じゃあお背中倒しますねー」と歯医者特有のリクライニングする椅子を倒されただけだ。その際に、
 椅子の角度が、やや、おかしいのでは?
 と思った。
 歯医者の椅子というものはご存知のとおりほぼ簡易ベッドで、横たわって治療を受ける。その姿を真横から見ると頭部の方が下半身よりも上方にある。それが普通だ。少なくとも私はこの日までそう思っていた。
 気のせいかもしれないけど多分気のせいではないよな~くらいの感覚値で、私の頭部は下半身よりも下方にあった。歯医者で治療を受ける際に足の方が天井に近いことなんてあるか? 治療もしづらいのでは?
 しかしその角度は「いやおかしいでしょ」と全力で突っ込むには僅かな差でしかなく、おそらく実際にその角度にされている私にしかわからない程度の違和だった。「この瞬間に大地震があったらおそらく頭から落ちるな」とは思った。思ったが、「いえ、当院の椅子はその角度が通常です」と言い切られたら納得せざるを得ない程度の角度だった。
「体勢おつらくないですか」とか聞かれた気がするが反射的に「あっハイ」など答えた結果、つつがなく治療は開始された。その体勢のままで。
「痛かったら手をあげてくださいね」
 歯科医師は優しくそう言い、医師を全面的に信頼しておりかつ自分の角度に意識が行っていた私は大人しく2ミリほど頷いて同意を示した(既に口を固定されていたため発話はできなかった)。
 ところであなたは年に何回ほど歯医者に行くだろうか。「虫歯がなければ年に一度も行かない、前にいつ行ったか思い出せない」人も多いようだが、私は何の異常もなくても半年にいちどは検診に行く。口内環境保持ガチ勢だからだ。今回の検診でも特に口内に異常は見られなかったが、生きていればどうしても付く汚れを可能な限り取ってもらうことにしていた。
 悪いところだけ治すのではなく、口内環境全体を満点に近づける方針のこの歯科医院を私はその技術力とともに深く信頼しており、「痛かったら手をあげて」など言われずとも痛いはずがないことをよく知って痛い痛い痛い痛い!
 ぜんぜん痛かった。「ぜんぜん」を肯定文で使うのは原則誤用だということがどうでもよくなるくらい痛かった。
「汚れを可能な限り除去してほしい」私の願いを忠実に叶えるべく、歯科医師は棒だか針だかわからないもので私の歯と歯肉の間を突き刺した。正確には刺されているわけではないのだろうが気分的にはほぼ同じだ。刺されるごとの痛みは耐え難いほどではないが絶え間なく繰り返されることと、歯肉という普段他人に触れられることのないデリケートな部分を痛めつけられている背筋が泡立つ感覚に痛覚が倍になった錯覚を覚える。
 おそらく爪の間に針を刺される拷問にあったときもこんな気分になるのだろう。今度拷問を受ける機会があったら比べてみたい。
 医師は二度と「痛かったら手をあげてください」とは言ってくれず、言ってくれたとしても私は「いえ大丈夫です」とか言ったに違いなく、ただ自分の手を握って耐えた。

 次の患者も待っているのだから精々30分で終わるだろう、終わってくれという願いも虚しく1時間は口内を蹂躙された。後半はほぼ涙ぐんでいた。頭上のライトが目に入らないように目にタオルを被せられていてまだよかった。もう妙に頭部が低くなる椅子の角度も、治療中歯科医師の胸部が後頭部に当たっている気がする問題もどうでもよかった。
 やっと解放され時計を見ると、1時間は経ったと確信していたのに30分しか経っていなかった。なるほどアルベルト・アインシュタインの唱えた相対性理論は正しかったのだと思いつつ会計をして次の予約をした。あんなに苦しい思いをしたのにまだ下の歯の処置しか終わっていないのだった。施術前に「とっても上手に歯磨きできてます」と小学生のような誉められ方をしたのはなんだったのか。
 しかし普段から執拗に歯の世話を焼いているからこれくらいで済んだのかもしれず、歯医者をサボっていたら将来的にもっと悲痛な目に遭っていたはずだ。その時こそ私は本当に泣いていただろう。
 歯医者はほんと半年にいちどは行った方がいいです。



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