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「子供の世話になんてならない。」と、言わないでください。

子供は、親の最期の面倒を看るのは当たり前だと思っている。
しかし、親は、子供には面倒をかけたくないと思っている。
元気なうちはよいが、歳を重ねたらどうだろう?最期は、必ず誰かの世話になるのだ。


この言葉は、ある方の講演会で聞いた言葉だ。
長く介護の仕事をされてきて 今は女性市長となっている方の話だった。
介護の仕事をしていて感じたことは、なかなか子供の世話になることができない親たちが寂しい老後を迎えていることだ。最期は子供の世話になるのだし、子供はあなたが親に思っていたように 親の面倒を看ることを当たり前と思っている。

だから「子供の世話になんてならないと、言わないでください。」という話だった。

私の母ぐらいの年齢の参加者は、みんなこの言葉を聞いて涙を見せていた。
心に響く言葉だったのだろう。
今、祖父母と一緒に住んでいる大家族は少なくなったから、年金をもらう歳になっても夫婦二人暮らしか一人暮らし。
寂しいよね。
でも、まだ元気なうちは、と頑張っているとタイミングが無くなるのではないかな?

想像しただけで本当に寂しくなった。

私もこの方の話を聞くまでは、元気なうちは子供にはできるだけ迷惑をかけたくないな。できれば、別々に住んだほうが幸せだろう。と、考えていた。
嫁と姑の関係とか大変そうだし。

しかし、誰も最期はひとりで死ねない。これが事実なのだ。

それなら、元気なうちに近くにいて子供たちや孫たちの役に立つ人間でいたいと思った。
年に何回かしか会えない家族関係は寂しいし、子供が結婚したら 時間をかけないとお嫁さんやお婿さんとの人間関係も作れない。孫とだってそうだ。

私も、15年前に母を看取った。親の面倒を見るのは当たり前だと考えていた。女二人姉妹の長女だから母のちからになることは当たり前だと思っていた。
当時 私たち家族は、母と同じマンションの階違いの部屋で住んでいた。
子育ても仕事も手伝ってもらっていた。いつも頼ってばかりだったし、喧嘩もあった。
けれど、母は幸せだった と今になって思う。

長男に訊かれた。
「家を建てようと思うんだけど一緒に住まなくていいのか?」と
大丈夫だよ。と、反射的に答えてしまった。
こんな大事なことを・・・

幸いなことに まだ長男は家を建てていない。

最近は、子供たちに「誰かマンションでも建ててくれないかな?
そこを借りて住みたいな・・・」

子供たちに会うたびに 私の夢物語をお酒を飲みながら小出しに言っている。

近くのアパートにでもいいから
孫が大きくならないうちに実現すると、いいなあ。

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