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オシフィエンチム

先日、ある趣味のグループで、若いポーランド女性と話す機会がありました。彼女がドイツ人たちに出身地を聞かれた時、一瞬、戸惑ってから「Oświęcim (オシフィエンチム)から来ました」と言うと、その場に何とも言えない微妙な悲哀を含んだ緊張感が生まれました。オシフィエンチムのかつてのドイツ名はアウシュヴィッツです。その女性はちょっと笑って「オシフィエンチムは普通の小さな町ですよ。人口は今は4万3千人、学校も幼稚園も綺麗な公園もありますし、マクドナルドも高級ホテルもあります。旧市街の広場では朝市も楽しめますし、川沿いの散歩道もよく整備されて、市民の憩いの場になっています。強制収容所以外にも見どころはありますよ」と話してくれました。

 調べてみますと、オシフィエンチム は1217年に文献にすでに登場する古い町です。私は、「ナチスドイツがポーランドを占領してからアウシュヴィッツという名称がつけられた」と勘違いしていたのですが、そうではなくて、13世紀末にドイツ人がこの町とその周辺に定住してから、彼らの間でそう呼ばれていたそうです。ユダヤ人の居住は16世紀前半から記録されており、驚いたのは、ホロコースト以前、この町の人口12,200人のうち、ユダヤ人は3,000人、つまり全人口の3割近くにのぼりました。当時はシナゴーグはもちろん、祈祷所、ユダヤ人学校、ユダヤカフェ、ユダヤ劇場、ユダヤレストランなどユダヤ文化が大切にされる町だったのですね。そこにナチスは絶滅収容所を建設し、住人のユダヤ人のほとんどがそこで殺害されました。

 現在、使用されている高級ホテルはかつてのユダヤ人の住居だそうで、ホロコースト映画の撮影隊やハリウッド俳優たちの宿泊に使われています。私はアウシュヴィッツを二回、見学していますが、どちらもクラクフからバスで直行していますので、町を見る機会は全くありませんでした。

 このポーランド女性に出会うまで考えたことがなかったのですが、故郷の町が常に人類史上最も残虐な土地として語られるのは、さぞかし辛いことかと思います。収容所があるのは町の西側の一部分であり、それ以外の場所は普通の人々が普通の暮らしをする普通の町なのに。「オシフィエンチムは強制収容所だけではない」と言う彼女の言葉に、いろいろ考えさせられました。

Rynek w Oświęcimiu. Fot. Małgorzata Musielak

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