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性同一性障害特例法の手術要件撤廃に賛成?反対?

私は、手術要件も何も、特例法がなかった時分に性別適合手術を行なった。
他人に認められようがられまいが、私には性別適合手術は必要だし、今生きていられるのは手術あってのものだ。

手術を終え感じたのは、手術を受けても、それ以前と変わらず、女ではなく男として扱われる事に対する生き辛さだった。

それは公私共に手術をしても、所詮は偽物だっていうやつを、個人間だけでなく、公にもされるわけ。だから、仕事にもありつけないから、夜しか働けないし、結婚なんかも無理だったわけ。
そんな時特例法ができて、性同一性障害という言葉を知り、私は本当心の底から救われたと思った。

これは一つのケースで、手術をしない、したくてもできない人がいる。

そんな人がいるにも関わらず、社会はずっと今まで素知らぬフリをしてきた。

当事者でない人は、"手術をする人はそうでもしなきゃ生きられない可哀想な人"だという感覚で当事者を見ていると、たまにトランスジェンダーという在り方の人について当事者でない人と喋りながら感じる事がよくある。

誤解なんだけど、当事者自身も、それを肯定し補強するような発信したりするから、一向に溝が埋まらない。

私の盟友というか、保護観察者でもあるやましーなミキティのいうように、当事者にとってのアイデンティティの安定や、性別移行が齎す社会の混乱の緩和と解消が大きな役割を果たしている法だと私は思っていて、性別適合手術も特例法も、別に私を含め当人らの性別を変えてしまうようなそんな魔法のようなもんじゃないんだけどな〜と。

そうなるなら、なぜ手術をしてる人だけ、社会の混乱と解消が図られんのかな?
アイデンティティの安定が図られんのかな?
おかしいよね。

今のままだと結局手術をしなければ、ずっと社会の一員として皆と一緒には歩めないよ。

だって混乱を生むからさ。

それが今のトランスジェンダー当事者の生きづらさなわけでしょ?

私の師だと勝手に拝ませていただいてるゾンビさんに教えてもらった私の大好きな本の『トランスジェンダリズム宣言』にも、当事者とそうでない人との上手な渡り合い方が書かれていて、まさにその通りなわけど、それも本当ならしなくてもいい努力だと思うの。

もし、社会に当事者のような人が当たり前にいる世の中ならね。

しかもあれは特例法前に書かれたものだし。

まさか今の時代になっても、そうだよなって頷けるの、マジ社会がこれまで何にもしてこなかったって事の証拠だよねって泣けてくる。

当事者じゃない人たちばかりが悪いわけじゃないし、当事者だって、当事者じゃない人と一緒に生きてるわけだから、この度の裁判をきっかけに、どちらもが変わらなきゃって思う。

当人が在りたい在り方にも、その他方の在り方にも、まず当事者自身が寛容にならなきゃって思う。

当事者でない人は、当事者を通じてでないと、当事者の事なんか、わからないから。

さて、特例法の手術要件撤廃についての私の気持ちは、法律が変わっても、それに社会が追いついた内容でなければ、結局理想を掲げた誰にもシカトされる綺麗事にしか辿り着けないと思うから(福祉の現場にいると割とそういうの感じる)、私は手術要件の撤廃に賛成とか反対とかいうより、上に書いたように、手術しようがしまいが、同じ社会に生きさせてくれとしか思わないし、そのために社会が変わるための行動を私は引き続きするつもりだし、それを頑張らなきゃ、結局理想に終わる事になると思う。

だから、やる。
ずっと、そのつもりでやってきた。

今声を上げてる皆様は、本当に素晴らしいと思う。水面下で、当事者でない人にレクチャーする皆様も。あ、違うねん。皆やれよ!って圧力ちがうねんで。誤解しやんでよ。

頭が上がらない。

だから、指を振り上げて、特例法についての気持ちをそのまま書き上げてみた。

同じ当事者の事でもあるし、私の知る人にも関わる事だし、沈黙するのも違うなってね。

ただ、気持ちそのままだから、文章雑でごめんなさい。

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