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性的マイノリティを隠して生きること前提の社会

当事者がいる可能性の開示も、カップルとして認めることも、アウティングと感じるかどうかは人によると思う。

これからの人たちの為にも、以下のような”黙って隠れてれば安心”をそれを望まない、また該当できない当事者にまで押し付けるような社会や認識のままでは、改めていけないと思った。

世の中には男女と異性愛者しかいないから、それに当てはまらない貴方たちは、自分の責任で好き勝手不良してるんだから、それくらい上手いことやってのけなさい!って、当事者に非当事者の当然を押し付けるのが大人のする事なのか?

自分はそれに適応してきたけど、それを当然とは思われたくないね。

黙って隠れて安心なのは、当事者ではなく、社会の大半を占める非当事者であるという事も触れておきたい。

別にどんな人間がいたって問題ない訳だけど、自分は自分、他人は他人。一見受け入れがたい属性の他人が隣にいても、自分には関係ないはずなのを、知らないから不安に感じる。

だから、自分の自分たちの知らない理解してない人たちは、存在しない方がいいし、存在してほしくない。

自分に分かる範囲の人だけの世界であってほしい。

百歩譲って、いても自分たちに寄せる努力をしてほしい、できないなら日陰から出てこないでほしい。まだまだそんな社会ですから。

分からない不安を克服するのは、とても大変な事だけど、その不安解消の為に誰かを日陰に追いやってるって忘れちゃいけない。

クローズド大前提の社会も、この度緩和された特例法の手術要件もそう。日陰に誰かを閉じ込め成り立つ社会を次の世代にそのまま渡す姿勢ではいけないと思いますけどね。

河上リサのホームページ


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