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読書メモ33「窓ぎわのトットちゃん」

1981ねんというから、43年前。
私も低学年だったのだろうか。
読んで、やっぱりトモエ学園っていいないいなって思ったことを覚えてる。
お弁当の「海のものと山のもの」は特になぜか覚えてる。
多分、「でんぶ」が分からなかったからだろう(好きな食べ物じゃないし)。
今ならネットで調べたらいいんだろうけど、当時は国語辞典くらいしかないなかで、あんなもの文字で見たって「????」だったろう。

時は過ぎ、教育は荒れ果て、というか
人心が荒んでると言った方が意味が近いかもしれない21世紀のこんにち。
そうか、あれからだと、右肩上がりを疑うことがない時代を経て、
ヒャッハーの山を越えて、奴隷の谷にいるのが今、という感じだね。
お金がないと心が荒むというのが、あまりに貧乏くさくてゾッとするけど。
みんな少女パレアナを読めばいいのに。

黒柳徹子という存在も、当時と今とでは大きく違っている。
「あとがき」が文庫版、新装版と3つある。
時代が変わっていくのがチラホラ分かる。
それは私もその時代を生きていて空気を知っているからなんだけど
新装版の時代には発達障害(LD:学習障害として書かれている)が
出てくる。

「君は本当はいい子なんだよ」
と言い続けてくれる人がいてくれる。
本当に、ただそれだけで、人間は前を向いて歩いていけるというのに。
人を貶めるためや足を引っ張るためばかりに言葉を使うことの
多さときたら、人類は必要だからと言葉を創り出したのに
ちょっとまだ早かったのかなー?の状態。

黒柳徹子、トットちゃんの言葉がまっすぐで純粋だからこそ
世界中のみんなに受け入れられたのだろう。

謎の多様性声高ピーポーは、落ち着いて
窓ぎわのトットちゃんを再読してはどうか。
もちろん初めて読むのでもいい。

大人になった今、親になった今再読した私がどうだったかというと、
「トットちゃん、ずっとそこにいたんだね」
という気持ち。
それに、お母さんのすてきさ、小さい頃は気付かなかったな。
チョッちゃんでドラマになってたらしいのは知っていたけど
見たことはなかった。
その後のいろんなブームはあっても、私はトットちゃんしか読まなかった。
続編も読まなかった。
そういう意味では、トットちゃんを大切にしてきたのかもしれない。

あと、仲良しわんさんのロッキーがいなくなった話。
犬の供出のことかなと思ったら、やっぱりつらかった。
本当に戦争なんか、やらんでいいことだ。
聞いてるか戦争してるおっさんら。

息子なんかは黒柳徹子は頭から飴が出てくる人みたいに思ってるだろうから
これを読んでほしいな。

おしまい。


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