見出し画像

偏見コレクションの話

常識とは十八歳までに身につけた

偏見のコレクションのことをいう(アインシュタイン)

・・・なるほど。そう考えてみると、十八歳までにあらゆる経験を積んでいるなと改めて実感する。生きるため行動をする術、笑うために心を動かす術、怒るために相手を感じる術、愛するために思いやりを手にする術、豊かになるために相手に耳を傾ける術・・・。あらゆる術を小学生から高校卒業までに得ているといわれて妙に納得する。常識がない人というものはいない。常識とは、偏見コレクションのことであって、多数派の感覚のことではないからだ。少数に分類されることを恐れ、多数を演じてみる。それは大変に身を削る作業だ。十八歳へはもう後戻りはできない。そこから先はおそらく、偏見コレクションと偏見コレクションのぶつかり合いなのだろう。全くもってコントのようなシチュエーション。「くらえ!偏見コレクション!」なんて、ユニークなビームが出て盾で受け止める。大人になってからだと新しい技を覚えるのは難しく、秘伝マシンみたいなものでも身につかない。なかなか聞き入れたくないものは受け入れられないものだ。ついつい無い物ねだりになって、相手のコレクションが輝いて見えてしまう。だけど、真似をしたってモノにはできない。「まるっと認める術」コレクションが欲しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?