ありのままの自分

自分のことが好きか、という問いに対して、はいと答えられる人は、少ないのではないだろうか?

人間は皆違い、育ってきた環境も違う。さらには、個人でそれぞれ自分に対するコンプレックスを持っていることもあるだろう。顔や体格、性格など、自分のここが嫌いということが、何かしらあることが多い。

そこで今日は、私自身のことについて、少し話していこうと思う。

プロフィールにも書いているが、私には先天性の身体障がいがある。つまりは、障がいを持って生まれてきたということである。出生時の体重は1281gという超未熟児、帝王切開出産にて生まれた。

自分の身体に障害があることが分かったのは、生まれてから約2年後のこと。私には2歳年上の姉がいるのだが、姉や周りの子よりも、立ち上がれるようになるのが遅いなど、気になることがあったようだ。病院で診断を受けたところ、身体障がい者として認定された。その時うちの両親はどのように思ったのだろう...まさか自分たちの子がと思ったりしたのだろうか...

しかし、体に障がいがあるからと言って、その事実以外は健常者と変わらない。歩くことが人より少し遅い、人より転びやすい、エスカレーターが苦手っといったことがあるくらいである。つまりは、人間的な欲求に違いはないということだ。

一般的に、身体障がい者というと、社会的弱者などと呼ばれることがある。その理由は、社員を雇う側としても、健常者を雇うほうが効率がいいということもあり、採用されにくいということがある。障がい者採用で働いている私自身、そのように感じている。

このようなことからも、身体に障がいがあるということは、コンプレックスになりやすい。私自身も、障がいがあることが理由でやりたいことができないなどのことがあると、なんで自分ばかりこんなに苦い思いをしないといけないのだろうと思ってしまうことがある。

しかしその一方で、コンプレックスを長所に変えることで、自分の強みが見つかる。

例えば、鉄道会社に勤務する私の場合は、障がいをお持ちのお客さまが何を必要としているのか、どこに不便を感じているのかなどを、当事者の目線から考えることができるし、サポートをする側にも助言ができる、設備保守の職場に勤めていることもあり、ユニバーサルデザインを意識した設備の提案もできる、健常者とほとんど同じ生活を送りながらも、不便なところも見てきている。誰かの役に立てることが無限にある。障がいを持っていてよかったということではないが、それを含めて、自分が歩んできた人生なのだ。

そう思うからこそ、毎日臆せずに生きていけるし、自信にも繋がっていく。できないことへの不便や不安が拭えるのは、きっと死んでからだろうが、今を精一杯楽しみながら生きていく、そうすることで、ありのままの自分でいられるのではないかと感じている。

不自由なところ以外では何も変わらない。もっとこうなりたい、気になる異性がいる、その誰かに自分を好きになってもらいたい、そんな感情は誰にでもあると思う。

だって、人間にそういった感情があることにより愛し合った結果、私が生まれてきた、そういうことだと思うからだ。



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