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うわさの「大吉原展」

最終週にギリギリセーフで訪れた「大吉原展」。

遊郭という制度を称揚し,女性の人権を軽んじる企画・広報だと,明暦の大火よろしくネット上で炎上し,物議を醸す展覧会だったため,最近の私はそういうヒリヒリしたところに行くとやられてしまうかなとか,以前はるばる千葉佐倉市の国立歴史民俗博物館まで「性差の日本史」展を見に行っていたので重複するかなとか迷っていたのですが,お誘いいただいたのでせっかくだからと行ってきました。

ふたを開けてみたら,「大吉原展」と「性差の日本史」展はよくも悪くも全く違っていたので,両方を見ておけてよかったです。

唯一共通していたのは,高橋由一の〈花魁〉の展示があったこと。
西洋の写実的な表現を真似た油絵だったので,モデルとなった稲本楼の小稲が「わちきはこんな顔ではありんせん」と泣いて怒ったというのは有名な話。

確かに,同じ小稲をモデルとしたものでも,浮世絵師の渓斎英泉による錦絵は,すっとした顔立ちで粋な印象ですが,高橋の小稲は顔の凹凸や血色の悪さが目立ち,疲れたような印象で別人のようです。
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/161315

この既知事項を改めて記憶に留めつつ,今回の「大吉原展」で大変興味深かったのは,開国によって輸入されたカメラで撮影された遊女たち数名の写真が展示されていたこと。
張見世の格子の向こうにいるのは,低身長のぽっちゃりした,普通の日本の女の子という印象で拍子抜けしました。

鳥居清長の長身でのびやかな美人画や,繊細で優美な喜多川歌麿の美人画はもちろん,妖艶で情念を感じさせる渓斎英泉の美人画にも似ていない。

化粧や華やかな装いはしておれど,なんだか現代でもそこらへんでみかけるような普通の人たち。写真からありありとした日常性が迫ってきて,愕然とするほどでした。

つまり,当時の絵師によって描かれた遊女の美人画とは,コマーシャリズムにもとづくものだったということなんですね。
微妙に髪型や表情の描き分けはあれど,美人の「型」があって,実物の遊女の個性は大きくは反映されない。小稲が写実に拒否反応を示したように,遊女も「型」に入れてもらうことを望んでいる。

今でいう,デカ目にしたり,美白にしたりするアプリに,絵師の仕事は近いのかもしれないですね。

けれど,その絵師の仕事こそがすごい。
とくに私が圧倒されたのは,喜多川歌麿の〈吉原の花〉でした。
これは,遊郭の店員も客も女性であるという設定で描かれた大作なのですが,線の一本一本が繊細でありつつ,大画面でも計算しつくされた構図で,近くからも遠くからもずっと眺めていたかったです。

ほかにも,鳥文斎栄之という絵師の,着物の柄の濃やかさや配色の妙など。
うっとりしました。

こういった絵師の超絶技巧を味わうという意味では,「大吉原展」は大変意義深かったですし,実は私はその切り口があってホッとしました。
もちろん絵画に政治や経済が入り込み,文化を支える負の側面があることは十分わかっています。そんなの痛いほど知っているし,痛くて痛くて私だってしんどいです。
そういった抗いがたい構造下におかれながらも,それを感じさせずに力強く生きた人々が描かれている,美しく描いている作家がいる,だからこそ,その力強さや美しさを味わいたいというのが私が作品を見に行く理由なので,政治性だけゴリ押しされた展覧会なら,それは資料館や博物館へ行けって感じもします(今回開催されたのは東京藝術大学美術館)。

ただ,私は本展のポスターを手掛けた現代美術家の福田美蘭さんという方の作品が好きなのですが,今回に関してはちょっとどうだったのかなという気もしています。
福田さんが手掛けたのは「絵」の部分とレイアウト。
福田さんとは別にポップで遊び感のある題字をつくられた方がいたようですが,この題字のデザインがちょっとふざけている,また「江戸アメイヂング」というタイトルもふざけている,そして福田さんがそのタッチに合わせて絵の部分をデザインしたというところが,「負の歴史に蓋をしている」という炎上の一因になってしまったのではないか…と思いました。

また,「吉原なんだから春画もあったんでしょ」と友人から聞かれましたが,そういえばありませんでした。
模型や映像などにもなかった。意図的に抜かれていたんだと思います。
2015年に永青文庫が春画展をやって大盛況でしたが,あくまで私的な施設での開催で,公的な施設では大々的な春画展が行われたことはありません(今回開催されたのは東京藝術大学美術館という国立の施設)。
様々な制約があってできなかったのか,なぜなのかはわかりませんが,その点も炎上の一因だったのでしょうか。
春画はなくとも性的な奉仕を行っていた事実を曖昧にぼかすことで,誰にでも開かれた美術館とする必要があったのでしょうか。ちなみに,入場に年齢制限は設けられておらず,なんなら中学生以下は無料となっています。

…などとさまざまなことを考えましたが,とはいえ遊女の過酷な労働環境の展示や,遊郭をめぐる政治的な歴史変遷の紹介,人権的に二度と繰り返されてはいけないという言葉も添えた辻村寿三郎さんの江戸風俗人形など,負の部分も見せながら,卓越した絵師の技術や成熟した江戸文化の詳細を見せてくれて,個人的にはバランスがとれていたのではないかなとも思います。
(なかでも1872(明治5)年の「芸娼妓解放令」によって,身寄りのない遊女であろうと,個人の選択で色を売っていることにされてしまったことなどは,「性差の日本史」展でも紹介されており,大事なポイントはおさえている感は多少なりともありました。)

もっと深く考えたこともありますが,どこまでも拡大解釈できるし,過去にも現代にも厭世的になってしまいそうなので,これくらいにしておきますね。

結論,錦絵が美しくて,それが見られてよかった。
こうまとめてお開きといたします。



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