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宇沢弘文『自動車の社会的費用』抜粋まとめ


まえがき

■戦後日本の高度成長のプロセス

ポール・サミュエルソン
自動車のことにふれて、「まともなアメリカ人だったら、東京の街で一カ月間生活していたら完全に頭がおかしくなる」

・人々の市民的権利を侵害するようなかたちで自動車通行が社会的に認められ、許されている(産業公害も同じ)

・経済活動にともなって発生する社会的費用を十分に内部化することなく、第三者、とくに低所得者層に大きく負担を転嫁するようなかたちで処理してきたのが戦後日本経済の高度成長の過程の一つの特徴

■社会的費用・外部不経済

・社会的費用の発生は資本主義経済制度のもとにおける経済発展のプロセスに必ずみられる現象だが、経済学の分野で社会的費用あるいは外部不経済という問題が斉合的な理論体系のなかで論究されることはなかった

セシル・ピグーソースティン・ヴェブレンたちの貢献は経済理論のなかに斉合的なかたちで組み込まれてこなかった

■新古典派理論の限界

・新古典派理論…日本でいう近代経済学の理論的支柱を形づくる正統派理論
・世界の多くの先進工業諸国で現在おこりつつあるさまざまな経済的現象は、正統派理論的フレームワークにもとづいては分析できなくなってきた
=「経済学の第二の危機
(ケインズ経済学を生みだした1930年代の「経済学の第一の危機」と匹敵)

序章

1 自動車の問題性

たんに自動車購入のための支払いやガソリン代などという私的な資源の利用に対する代価だけではすまされない問題
||
道路という社会的資源をつかわなければならないが、道路は都市環境のもっとも重要な構成要因

1970年、日本における交通事故の犠牲者の約20%が子ども
1968年、東京都だけで、子ども(幼児・小学生・中学生)の交通事故による死傷者のうち、死者114人、負傷者1万2902人

子ども180人に1人の割合で交通事故で被害を受けている(『市民の交通白書』、1968年)

cf.現在

R4年度交通安全白書
R4年度交通安全白書
R4年度交通安全白書

■自動車の危険性
①排気ガス
日本における可住面積当たりの自動車の保有台数はアメリカの約8倍

窒素酸化物、炭素酸化物など有害な物質を含む排気ガスで、市民の健康をはかりしれないほど破壊している

②騒音・振動

③交通犯罪
殺人・強盗などの兇悪犯罪も自動車を利用してはじめて可能となるようなものも増えてきている

④自然環境と社会環境の破壊

■コスト・ベネフィット分析
社会的便益が社会的費用をどれだけ上回っているかによって、道路のルートなり規模なりを決めようというのが基礎の考え方

市民社会の重要な前提条件(市民的権利)を否定する

2 市民的権利の侵害

■自由権
職業・住居選択の自由、思想・信条の自由…

■生活権
健康にして快適な最低限の生活を営むことができる権利
=安全かつ自由に歩くことができる「歩行権


■近代経済学の理論的支柱=新古典派経済学
社会的費用を発生するような経済現象を斉合的に分析することは、その理論的前提からの制約によって不可能
自動車にかんする社会的費用の内部化がなされてこなかった

【問題点】
①新古典派の理論は、厳密に純粋な意味における分権的市場経済制度にのみ適用され、生産手段の私有制が基本的な前提条件になっている

②新古典派理論では人間をたんに労働を提供する生産要素として捉えるという面が強調され、社会的・文化的・歴史的な存在であるという面が捨象されている

↓ なぜ、新古典派が理論的支柱とされてきたのか?

新古典派理論が個々の経済主体の合理的行動にかんする公準から出発して、市場均衡のプロセスを定式化して組み立てられた、唯一の形式論理的に斉合的な理論体系だから(=現実的妥当性をもつことを意味せず、経済学的な立場からの論証をおこなうためには最低限要請されることでなければならない)

■自動車の社会的費用の内部化
歩行、健康、住居などにかんする市民の基本的権利を侵害しないような構造をもつ道路を建設し、自動車の通行は原則としてそのような道路にだけ認め、そのために必要な道路の建設・維持費は適当な方法で自動車通行者に賦課することによって、はじめて実現する

・歩道と車道とが完全に分離
・並木などによって排気ガス・騒音などの直接被害を与えない
・住宅などが街路側との建物との間も十分な間隔
・歩道橋ではなく、車道を低くするなりして、歩行者に過度の負担をかけない
・センターゾーンを作って、事故発生の確立を低くする

Ⅰ 自動車の普及

1 現代文明の象徴としての自動車

■自動車の便益
・移動の自由、快適な生活を最大限に享受するために不可欠
(とくに、個人生活の独立を尊重する西欧諸国で自動車の普及がその極限にまで達しようとしているのは、自動車のもつ独立性、プライヴァシーが一つの要因)

・物の運搬・輸送

・経済成長をあらわすもっとも目につきやすい尺度
→大量生産:高度に発達した生産技術と生産資本との蓄積を反映
→大量消費:国民生活のゆたかさを象徴

Cf.所得倍増計計画
・日本の第二次世界大戦後の長期経済計画として、1957年に岸信介内閣が「新長期経済計画」を手掛けた

池田勇人内閣が「国民所得倍増計画」(1960年~)
・この"高度経済成長政策"の理論的骨格は、宏池会が結成された1957年頃から、池田の指示を受けた下村治たち池田のブレーンが、ケインズ経済学を初めて導入して、日本経済と国民生活がこれからの10年間にどこまで豊かになれるかという潜在成長力の推計を大蔵省内の一室で続け、池田とのディスカッションを経て練り上げたものが大元

・昭和35年(1960)12月27日、実質国民総生産を10年以内に2倍にすることを目標とする「国民所得倍増計画」が閣議決定

・翌1961年4月期からの10年間に実質国民総生産を26兆円にまで倍増させることを目標に掲げたが、その後日本経済は計画以上の成長に至った(1956年9月から1973年11月頃までを高度経済成長期と呼び、この間、日本は年平均10%という驚異的な経済成長)

・国民所得倍増計画は、輸出増進による外貨獲得を主要な手段として、国民生産を倍増させ、これによって、道路・港湾・都市計画・下水・住宅等の社会資本の拡充と失業の解消や社会保障・社会福祉の向上等を実現する目標

・経済成長を支える人間の要素に注目し、教育・訓練・科学技術の向上等を重視。経済的な各種の格差や地域発展の問題等が取り上げられた

2 自動車と資本主義

大量に自動車生産

需要が生み出されるように、つぎからつぎに消費意欲をかきたてるための手段が開発される

浪費を美徳とする広告宣伝活動が行われる

さらに自動車の大量生産を誘発…

すべての生産活動が利潤動機にもとづいて計画され、消費もまた私的な利益のみを追っておこなわれるような分権的市場経済制度は、もともと内在的な不安定性をもつ

このような不安定性は、自動車の導入によっていっそう加速化されることになった

■生活水準
・たんに市場で購入される財・サーヴィスのみによって決まるのではない
基礎的な教育、医療、交通など公共的に供給されるサーヴィスの質、さらに自然・都市環境によっても大きく左右される

とくに、都市環境の重要な構成要因である公共的交通サーヴィスの質が低下し、人々が代わりに自動車を所有しなければならなくなるときには、実質的生活水準の分布は名目的所得分配の不平等性をいっそう拡大化したかたちになる

■ガン細胞のように経済社会で拡大する自動車
①交通事故
移動の自由、速さ、快適性、効率性などという魅力がそのまま事故の要因を構成

②公害現象
排気ガス、騒音、振動など

マスキー法(自動車排気ガス規制、1970年~@アメリカ)
ガソリン乗用車から排出される窒素酸化物の排出量を現状あら90%以上削減するという規制
→石油危機でアメリカ業界はこの規制を骨抜きにしてしまった
→日本では、1978年~。自動車の低公害化が進み、段階的に排出ガス基準がきびしくなった

③犯罪の増加
・交通犯罪の件数=自動車の保有台数とともに増える傾向
・強盗・殺人などの兇悪犯罪も自動車を利用してはじめて可能となる性質のものが増加

自動車は経済社会のなかで有用なはたらきをしている面があって、有害な面だけを切り離すことが不可能に近い
||
経済社会を構成する個々の細胞は人間だから!

■普及のプロセスの決定的要因
自動車通行にともなう社会的費用を必ずしも内部化しないで自動車の通行が許されてきたから
=さまざまな社会的資源を使ったり、第三者に迷惑を及ぼしたりしていながら、その所有者が十分にその費用の負担をしなくてもよかった

■鉄道との比較
・鉄道
線路や駅をはじめとして車両が通行するところは、鉄道の専有地として、そのために必要な費用は原則として鉄道利用者が支払うことになっている

・自動車
ほとんどの道路について自動車通行者は無料で使用することができ、歩行・者・住民に大きな被害
・重量税、ガソリン税、自動車損害賠償責任保険などによって一部自動車使用者が負担しているとしても、道路建設・維持にかかわる費用、公害、交通事故による死傷などの被害に対してごく一部にしかなっていない
→「マイカー」という言葉に、他人にどのような迷惑を及ぼそうと自らの利益だけを追う、飽くことをしらない物質的欲望がそのままあらわれている

3 アメリカにおける自動車の普及

■普及の過程
◇19世紀終わりごろ
 現在のような自動車が発明された

◇1885年
 ドイツのカール・ベンツとゴットリープ・ダイムラーの二人によって、ガソリンを燃料とする自動車が開発された
◇20世紀~
 アメリカで自動車の本格的な発展
 
 1908年
 フォードのT型モデル誕生
 
 1914年
 完全なアセンブリー・ライン方式によって大量生産され、生産台数増加
 (1900年4000台→1908年65000台→1920年200万台→1920年代末550万台)

■普及の要因
◇1921年、連邦道路法制定
 各州は、その管轄する道路のうち7%までを一級道路と指定でき、建設費の2分の1は連邦政府から補助を受けることができるようになった

◇1919年、オレゴン州でガソリン税案
 ガソリンの販売に課税し、その税収を道路建設にあてることによって自動車用道路整備を促進させる
 ↓
◇1920年代、すべての州が採用(年間20億ドルの投資)

◇1930年代
・ニューディール政策による失業対策で、アメリカの300万マイルを超す道路のうち、半分を自動車通行用に改修
 =公共投資のうち、ほぼ50%近くが道路関係の投資

・有料高速道路建設

◇第二次世界大戦中
 道路建設中断、民需のための自動車生産ほぼ0

◇1945年、終戦
 戦前をはるかに超えた水準

◇1960年代末まで
・1956年、ハイウェイ・トラスト・ファンド制度
 自動車用ガソリンに課税された税金は、そのまま全額が新しい自動車道路の建設にあてられなければならず、他の用途への転用は禁止
→高速道路網の建設・整備加速
→延長4万マイルにわたるインターステート・ハイウェイ網の建設費のうち、90%が連邦政府負担。1971年完成で300億ドルといわれていたが、1966年には500億ドル超、完成までに600億ドル超


乗用車とトラック合わせて1億台の自動車、全労働者の30%が自動車関連産業、都市面積の20%以上が道路と駐車場、人の移動の85%が自動車

4 公共的交通機関の衰退と公害の発生

■公共交通機関の衰退
◇20世紀初頭、アメリカ
路面電車を中心とした公共的な交通サーヴィスが、低廉で安定的に供給

◇第二次世界大戦後
自動車の普及にともなって公共的交通機関が衰退、加速

◇現在
ごく例外的な都市を除いて路面電車廃止、バス・サーヴィスも不十分

都市生活の不安定化、犯罪・貧困の大きな原因

■アメリカにおける自動車通行のもたらす社会的費用
◇もっとも大きなものは交通事故による死傷
 →1960年代、交通事故による死亡年間5万人、負傷者200万人
  高速のため重傷者が多く、一生身体障碍の確率も高い
  なんらかのかたちで被害者あるいは加害者の立場にたったことのある人が1家族に必ず1人

◇歩・車道の分離
分離はおこなわれており、市街地に子どもたちの遊び場が比較的多く用意されている
(歩・車道の分離がおこなわれていない街路では、20m程度の間隔を置いて山場を盛り上げるように舗装している)  

◇自動車公害
・市民生活への広範な悪影響(大気汚染、騒音、振動)
・排気ガスの寄与率(一酸化炭素の75%、炭化水素の56%、窒素酸化物の52%が自動車の排気ガスに起因)
 Cf.ロサンゼルス…一酸化炭素98%、炭化水素66%、窒素参加ブウ72%

●大気汚染によって発生する損害額
・アラン・クニース博士の推計
 1963年、アメリカ全体で55億ドルほど
 (医療費・葬儀費・事故によって失われた所得だけの集計)

・1965年の大統領科学諮問委員会の報告書『環境の質を回復するために』
 カリフォルニア州の自動車管理局による推計
 大気汚染の1年あたりの費用110億ドル
 これらのうち、約60%が自動車の排気ガスによる
 →1960年代のはじめで自動車の排気ガスによる大気汚染の直接被害額は年間50億ドル前後

●1970年、大気清浄法の改正(マスキー法)
自動車排気ガスについて、一酸化炭素と炭化水素とは1975年から、窒素酸化物は1976年から、それぞれ1970年型の自動車が排出する量の10%以下に規制

5 1973年の新交通法

公共的交通機関がほとんど存在しないか、きわめて非効率的なサーヴィスしか提供していないアメリカの多くの年においては、自動車通行に対してさまざまな規制がおこなわれていたとしても、人々が自動車を所有し、運転するというインセンティブは減少しない。

逆に、自動車の価格が上昇したり、ガソリンの価格が上がると、低所得者階級の実質的生活水準がさらにいっそう低下するという、所得分配上好ましくない結果を生み出さざるをえない

■1973年、新交通法
・公共的都市交通機関の資金調達にかんする立法

・ハイウェイ・トラスト・ファンドに割り当てられ、道路建設にしかしようできなかったガソリン税の税収の一部を、公共的都市交通機関の建設に向けることができるようになった
→公共的な交通機関の整備は、より長期的な観点にたって、都市交通の全体的なバランスを考慮しながら計画することが可能になってくる

・利益集団の反対にもかかわらず議会を通過したのは、ウォーターゲート事件の副産物
→ニクソン大統領が自らのスキャンダルの泥沼のなかにあって、アメリカ社会の真の安定的な発展を望む強い力の前にまったく無力となってしまって、これまでのように特定の産業の利益を政治的な観点から擁護することができなくなってきた

■1973年2月、大ロンドン市会の環境開発委員会が策定した画期的な自動車対策
・道路に沿った空き地に設けられている一時的駐車場8800箇所を全廃し、これによって得られる50エーカーの土地をすべて緑化
・駐車場の新建設は原則として一切認めない
・特定地域の注射には特別の許可制を導入し、運転者に高額の許可料を課す

Ⅱ 日本における自動車

1 急速な普及と道路の整備

■日本における自動車の普及
・戦後の高度経済成長のプロセスをそのまま象徴的に反映するもの
・1950年40万台→1960年340万台→1972年末2400万台(7倍)
・とくに乗用車の保有台数増加が著しい(1960年44万台→1972年997万台)
・1972年4.7人に1台保有(アメリカは1.8人に1台、イギリスは3.8人に1台)
・人口密度が高い日本では、国土面積当たり、可住面積当たりの自動車保有台数が他国より以上に高い
(例)可住面積1平方キロメートルあたりの自動車保有台数
 1960年30台→1972年200台(東京は1500台、大阪900台)
 (アメリカ26台、イギリス120台、西ドイツ102台)

■旅客・貨物輸送のなかでの自動車の占める割合増加
・旅客輸送(1960年1.4%→1970年30%)
・貨物輸送(1960年15%→1970年40%)

道路整備がきわめて急速なテンポでなされてきたから
(例)建設省道路局調べ 
 道路事業費推移
 1960年2113億円→1972年2兆1408億円(10倍)
 
 名目国民総生産額に対する割合
 1960年1.30%→1972年2.36%

・1973~77年、第7次道路整備5か年計画案では19兆5000億円
・1963年から発足した高速自動車国道→1973年1000㎞近い延長
・一般国道も1960年には約25000㎞延長→1971年33000㎞拡張
・舗装率も元一級国道については45%→98%
 元二級国道については18%→75%
・1971年3月末現在で、道路総延長は102万㎞、国土面積1平方㎞あたり2.71㎞→国土面積あたり道路延長でみればベルギーについて世界でもっとも稠密
(アメリカ0.64㎞、カナダ0.08㎞)
・可住面積1平方㎞あたり約8.7㎞の道路延長(アメリカの約8倍、カナダの約60倍)

2 都市と農村の変化

・東京、大阪などの大都市について、路面電車とバスに依存していた交通手段に対して、乗用車の占めるウエイトが大きくなってきた
・とくに路面電車はごく少数の都市について例外的に残っているだけ→地下鉄・バスなどによって代替
→低所得者、老人、子ども、身体障碍者が自由に利用できず、住みにくい
→低廉な価格で安定的な交通サーヴィス、軌道を路面電車専用tすることによって快適さ、速度などという観点からすぐれた交通機関、ゴムタイヤなどの使用によって騒音公害を防止し、住民の生活環境を破壊しないように配慮していう
路面電車が中心となっているような都市が、文化的にも、社会的にもきわめて望ましいものであることを考え直してみる必要がある
(例)西ドイツの都市の路面電車

Cf.路面電車
アメリカでは自家用車の普及に伴い、多くの都市で路面電車廃止の流れも始まった。1970年代初頭には、路面電車や郊外電車(インターアーバン)は全盛期の4割が廃止され、残存していた6割もゆっくりだがマンネリ化が進み、「世界最大の路面電車保有国」の地位をソビエト連邦(ロシア)に譲っている。
欧州の一部でも第二次世界大戦後までにこの流れでロンドン、パリなどの都市で廃止された。一方で、旧ソ連と東欧諸国、そして西ドイツでは、第二次世界大戦後も路面電車を活用した。
西ドイツでは、車の普及により、路面電車を導入していた都市の半数では廃止されたが、重要な都市内交通手段として位置づけ、連接電車の投入や運賃の収受に信用乗車方式を導入するなど、輸送力増強と生産性向上に努めた都市も多い。路線網の再構成も盛んに行われた。
また、郊外への路線延長を図る一方で、渋滞に影響されずに高速で走り、定時性を確保するため、専用軌道を確保し、都心部においてはさらに地下化を推進した。この方式はシュタットバーンと呼ばれている。 このシュタットバーンは新交通システムの開発で行き詰まっていたアメリカ合衆国に影響をあたえ、1970年代に入り、連邦交通省都市大量輸送局によってライトレール (LRT)という言葉が定義される。
フランスでは1980年代後半より、上記の「シュタットバーン」や「ライトレール」化の流れではなく、路面電車に対する新たな取り組みが始まり、後に欧州大陸諸国にも広まった。日本では路面電車の次世代化などと呼ばれる。

次世代型路面電車 / LRT

・ロサンゼルス
都市面積の25%が道路、25%が駐車関連施設、道路混雑は未解消

そのような都市はもはや都市とよぶにふさわしい社会的・経済的・文化的機能をはたすことは困難
||
非都市

cf.

■農村地域における自動車
さまざまな点から望ましいといえるが、乗用車依存度が高まってきたために、鉄道・バスなどの利用者が少なくなり、サーヴィスの質の低下、さらには路線の廃止という結果が必然的になってきつつある点は考慮する必要がある

3 非人間的な日本の街路

■ウォルター・ロストウ『経済成長の諸段階』
自動車の保有台数をもって、大量生産・大量消費という経済成長の究極的な段階に入ったことを示す尺度としてとらえようとした
→自動車の普及にともなっておきているさまざまな社会的・文化的な諸問題をあまりにも無視したものであったのではなかろうか

まずは街路を歩いてみよう
・歩道狭い
・並木なども少ない
・常識を超えるような広さの空間が自動車通行用に当てられている
・歩道すれすれに建物が並ぶ
・排気ガス、騒音
・歩行者の便宜を無視した信号によらざるをえない
・信号機も自動車の通行にできるだえ都合よく設定されている
・歩道橋で急な階段を上り下りしなければ横断でいない

横断歩道橋ほど、日本の社会の貧困・俗悪さ・非人間性を象徴したものはないであろう!一種の恐怖感すら覚える
→歩行者が自由に安全に歩くことが無視されている
→老人、幼児、身体障碍者は使用不可能

・高架の高速道路が走っていて、そのみにくい構造物のかげに身をひそめながら生活し、歩かなければならない
・高速道路の建築基準では、道路の橋が家屋からわずか1.6m離れていればよい場合もある

・裏街なら、歩道と車道が分離されているところがますます少ない
・自動車1台がようやく通れるような狭い街路
・電柱に身を潜め、たえず前後に目を配る必要

■ルドフスキー『人間のための街路』
アメリカの都市における街路は人間のためではなく、ハイウェイと駐車場として自動車通行用の道路になってしまっている

日本の都市の街路はアメリカよりはるかに非人間的!

自動車が1台通ると人間の歩く余地がなくなってしまうような街路に自動車が通る権利があるのだろうか?
自動車に轢かれて、死んだり、怪我をしたときに、加害者だけの責任絵すむのであろうか。道路を管理すべき地方自治体なりが、このような欠陥道路で自動車の通行を認めているということの責任をとるべきではなかろうか

4 異常な自動車通行

歩行者のために存在していた道路に、歩行者の権利を侵害するようなかたちで自動車の通行が許されている

各人が、安全に自由に歩行することができるというのは、近代市民社会における市民のもっとも基本的な権利の一つ
この市民的権利を侵害するような自動車通行がこれほど公然と許されているのは、文明国において日本以外には存在しないといってもよい

アメリカのいくつかの州では、20世紀初めまで、自動車を運転するときは必ず誰か一人が赤い旗をもって、自動車の十数ヤード先をあるかなければならないという法律が有効だった(NYで8万頭近くいた馬を自動車から守るため)

住民、歩行者の基本的な権利を侵害し、ときには生命を奪い、健康を損なうことを知りながら、自動車を運転するということは、ピストルを使うのと同じような意味で犯罪的な行為=行政当局の社会的責任は重大

■自動車事故による死傷統計
・死亡数1971年
16000人(警察庁統計、事故後24時間以内死亡)
21000人(厚生省統計)
・負傷者数1971年:95万人
・死亡数のうち、約半数が歩行中あるいは自転車乗車中
・15歳未満の子どもの交通事故死傷者数
死者2000人、負傷者12万人、うち80%が歩行中および自転車乗車中

■陸上における交通事故によって保護者を失った交通遺児
・1971年度約6万人が小中高校に在学中
 うち90%近くが母子家庭
・40%近くがなんらかのかたちで背活保護を受けているか、それに準ずる程度に困窮している世帯
・過去10年間に交通事故による死傷の累計80万人(都民5世帯に1人)

経済的損失、精神的苦痛…

■交通犯罪の増加(昭和47年版『犯罪白書』より)
・業務上過失致死傷を除く刑法犯
 1960年約140万件→1971年約120万件
・業務上過失致死傷
 1960年9万件→1971年65万件
 →ほとんどが交通事故であると考えてもよいから、自動車の保有台数の増加に比例している

・刑法犯の新規受理人員の60%以上が交通犯罪
・道路交通関係特別法違反の新規受理人員1971年167万人

・1971年の少年刑法犯の検挙人員のうち40.6%が交通事故関係の業務上過失致死傷
・少年特別法犯の送致人員のうち、交通犯罪が96.3%
→業務上過失致死傷のうち3分の1をこえる犯罪が少年によって占められている

■大気汚染、騒音、振動
◇大気汚染
一酸化炭素93%、炭化水素57%、窒素酸化物39%(1972年『環境白書』)

公害問題による健康損失、生命喪失、生活環境の悪化…不可逆的な性質

■自然環境と社会環境の破壊
・観光道路の建設と自動車通行による

Ⅲ 自動車の社会的費用

1 社会的費用の概念

■道路の拡大や新建設、自動車保有台数増大の要因
・自動車通行によって第三者に大きな被害を与え、希少な社会的資源を使いながら、それらに対してほとんど代価を支払わなくてもよかった

【悪循環プロセス】
自動車の所有者あるいは運転者が負担しなければならないはずであった社会的費用を、歩行者や住民に転嫁して自らはわずかな代価を支払うことで自動車を利用することができた

自動車を利用すれば利用するほど利益を得ることになる=自動車需要増大

保有台数が増加し、道路が混雑

道路の拡大、新建設

ますます便利になり、保有台数増加&道路拡大・建設

交通事故の増加、公害現象の悪化


自動車通行によって発生する社会的費用を自動車を利用する人々が負担するという本来の立場にたち返るべき

■外部不経済(external dis-economies)
ある経済活動が、第三者あるいは社会全体に対して、直接的あるいは間接的に影響を及ぼし、さまざまなかたちで被害を与えるとき、外部不経済が発生しているという

■社会的費用
・外部不経済をともなう現象について、第三者あるいは社会全体に及ぼす悪影響のうち、発生者が負担していない部分をなんらかの方法で計測して、集計した額

ウィリアム・カップの『私的企業と社会的費用』に詳しい

■自動車の社会的費用
(1)自動車通行が可能になるように、道路を建設・整備し、交通安全のための設備を用意し、サーヴィスを提供するために必要な費用

→たんに舗装の費用だけを考えてよいのか? 
 自動車通行を許すことによって歩行者たちがこうむる被害はどのように評価したらよいか?

(2)自動車事故によっておきる生命・健康の損傷の評価
→人命・健康にかかわる外部不経済効果を軽量化することが、概念的に可能か?

◇ホフマン形式
人が交通事故で生命を失ったとき、その被害を評価するのに、その人が交通事故にあわないでそのまま生きつづけたとすれば、その生涯を通じてどれだけの所得を生みだしたかで推計

その所得を適当な割引率で割引いて、現在価値を計算

割引現在価値額に相当する額が、その人の死亡によって失われた経済的損失をあらわす評価

※負傷の場合も同じく、負傷を受けたために、一生を通じてどれだけ所得が少なくなったかということに、医療費などをどれだけ必要としたかという点を考慮して、負傷の経済的損失額を評価

||
人間を労働を提供して報酬を得る生産要素とみなして、交通事故によってどれだけその資本としての価値が減少したかを算定することによって、交通事故の社会的費用をはかろうとするもの
||
・仮に所得を得る能力を現在ももたず、また将来もまったくもたないであろうと推定される人が交通事故にあって死亡しても、その被害額はゼロと評価されない
・高所得者は評価額が高く、低所得者は低くなる
・老人、身体障害者は被害額が小さくなる
||
人間のもつさまざまな社会的・文化的側面を捨象して、純粋に経済的な側面に考察を限定し、希少資源の効率的配分を求めてきた新古典派経済理論の基本的な性格を反映するもの

(3)自動車交通にともなって発生する公害現象の結果生ずる都市環境の破壊の評価
→住宅環境の破壊、街路の機能阻害などの物理的な破壊はどのように計測するか?

・従来、こちらもホフマン方式で計測されてきた

(4)観光道路建設による自然環境の破壊の評価
→自然環境の汚染・破壊によってどれだけの被害が発生したか、それによって住民がどれだけ被害をうけたかをどう計測するか?

(5)道路の混雑にともなう社会的費用
→自動車の通行量が限界的に一台だけふえるとき、道路の混雑度が高くなり、その効率性が低下する。このとき、他の自動車通行者がどれだけの経済的損失をこうむったかを推計し、すべての自動車通行者について集計した額

2 三つの計測例

(1)1970年運輸省による計測例
・石月昭二「イコール・フッティングについて」(『総合流通読本』第15巻、一隅社、1971年)より
・1963~68年度実施

①交通安全施設の整備のためにかかったコスト
・576億円(1968年度)
・踏切道立体交差化、信号機設置、歩道および横断歩道今日の整備、児童公園等の整備…

②自動車事故による損失額
・4658億円(1968年度,対前年度増991億円)
||
◇死者損失額
・個々の死亡者の生涯所得を推計する代わりに、当該年度の一人当たり国民総生産額(GNP)を当て、割引率としてGNPの伸び率をとっている
・平均寿命は70歳、死亡時点の平均年齢は37歳(1963年度の場合)

◇負傷者損失額
・当該年度の負傷者一人につき、交通傷害に対する自己賠償平均額と訴訟・調停の平均利用率に和解・調停成立平均額を掛けた額をその一人当たり損失額とみなす

◇交通事故にともなう物的損失額
・一件当たり1000円以上の自己を対象にした警察庁調べによる自動車事故物的損失額を計上

③交通警察費
・228億円(1968年度,対前年度増71億円)
・交通取締り車両等の整備費、交通警察官の人件費等

④交通安全思想普及費
・13億円(1968年度,対前年度増4億円)

||

交通事故に関連する自動車の社会的費用:1649億円
・交通安全施設投資費(576億円)+事故損失額・交通警察費などの前年度費用に対する増加額(991億円+71億円+4億円+α)

↓ 1年間における自動車保有台数増加が約230万台

自動車1台の増加に対する社会的費用:約7万円
(1968年度の自動車の限界的な社会的費用)

【問題点】
・大気汚染、騒音、振動などの公害現象については、社会的費用が大きいであろうことは認めながら、客観的な計量化は不可能に近いとされ、一次近似的な試みすらおこなわれていない

・道路混雑にともなう自動車1台当たりの限界的社会費用:4万8341円(1963~67年度)
直接走行経費の増加+旅客および貨物の時間損失+車両回転効率の低下にともなう損失

・交通事故による死亡・負傷という生命・健康にかかわる被害を、ホフマン方式あるいはその変形によってはかってよいのかというのが最大の問題点

・とくに、一人当たりの国民総生産額をもって代替し、その成長率をもって割引率とする方式はどのような観点から正当化されるのか

・経済学的な観点からみても、人命とか健康とかの損失は不可逆的なものであり、復元することができないので、ホフマン方式が妥当する前提条件はもともと満たされていない

・現在自動車が通行している道路はもともとは歩行専用のもの
→たんに人間または物を移動するためにだけ存在していたのではない
 文化的・社会的交流の場(遊び場、公園など)として重要な役割をはたしてきた(ex.ルドルフスキー『人間のための街路』)

・歩道橋をつくるということ自体、非人間的(日本以外で見られない!)
 ⇔歩行者が安全に歩ける街路(ストックホルムの街路の構造)

(2)自動車工業会による計測例
・大石泰彦「自動車輸送の便益・費用分析」(『日経新聞』「やさしい経済学」1971年8月12-16日)

・「運輸省の算定では、歩道および横断歩道の整備、踏切道の立体交差、児童公園の整備等が交通安全施設として、自動車増加の限界社会費用の一部を構成するものと考えられているが、歩道橋の整備とか児童公園の整備などを、自動車の増加による社会費用と考える神経はむしろ異常であり、ここにあげられる交通安全施設の増加の多くの部分は、自動車の増加のいかんに無関係なものと考えなければならない。交通警察についても同様である……。しかも注意すべきは、道路交通安全施設のうち道路管理者分については、道路建設費として、すでにその大半は自動車利用者が負担している。この点で運輸省は二重の誤りの上に立った過大算定をしている」

①交通安全施設増加額:576億円→15億円

・交通事故による損失のかなりの部分が、自動車利用者によって保険というかたちで負担されており、その分を削除する必要が指摘されている

②事故損失増加額:991億円→66億円

・混雑減少にともなって自動車通行者のこうむる損失は自動車の利用者がすでに負担していると考える(混雑によって走行時間と走行経費が高くなることで自動車利用者が損失をこうむっているから)

||

自動車1台の増加に対する社会的費用:6622円

【問題点】
・保険の機能にかんする自動車工業会の考え方は正しいが、それ以前に人命・健康をホフマン方式にもとづいて評価していいのか

・自動車利用者自らが混雑による損失をこうむり、そのことを承知して自動車を利用しているから、混雑にともなう損失を社会的費用の一種とは考え難いという論法を進めると、交通事故による死傷も自動車利用者は承知で利用している以上、自動車利用者自身の交通事故による被害も社会的費用とはなりえなくなってしまう

cf.新幹線と高速道路の比較

・新幹線:利用者の死傷数ゼロ(1964年業務開始以来)

・名神高速道路:死傷者10499名(1963年開通~1971年末)

・東名高速道路:死傷者6660名(1968年開通~1971年末)

(3)野村総合研究所による計測
・鈴木克也「わが国のモータリゼーション」(NRI研究シリーズNO.1、1970年11月)
・公害現象にともなう社会的費用に対しても考慮した計測

①道路事業費:1兆0455億円
②交通事故にともなう費用:4780億円
③救急費および警察費:371億円
④交通渋滞による費用1272億円
⑤排気ガスにともなう費用1070億円
(大阪における大気汚染損害額162億円×大気汚染物質中自動車が放出する割合62.3%)÷大阪の対全国比率9.4%
||
自動車使用の社会的費用総額:1兆7948億円

自動車1台(四輪車)の増加に対する社会的費用:17万8960円

【比較】
(1)1970年運輸省による計測例:約7万円
(2)自動車工業会による計測例:6622円
(3)野村総合研究所による計測:17万8960円

3 新古典派の経済理論

・社会的費用を計測するための理論的フレームが構築されてきていなかった
 =新古典派経済学では例外現象とみなされてきた

・人間的な側面は捨象されて、労働という生産要素と消費財・サーヴィスの購入者という面だけが取り上げられてきた

・すべての希少資源は自由にその用途を変えることができるという、いわゆるマレアビリティ(malleability)の条件が前提されている

・社会的費用を第三者、とくに労働者あるいは低所得者階層に転嫁することによって、はじめて資本主義的な経済制度のもとでの経済発展は可能であったといえる

■新古典派理論の前提条件
純粋な分権的市場制度を通じて資源配分がおこなわれているような国民経済を主な分析対象としている

①生産手段の私有制
・生産・消費という経済活動にさいして必要とされるような希少資源はすべて個々の経済主体に分属され、各経済主体はそれぞれ所有する希少資源を自由に使用することができるという前提

・もし私有されない資源が存在するとすれば、希少性をもたず、各経済主体が自由に使用できるということ

・各経済主体が自ら所有する資源をどのように使ってもよいということは、外部性を前提によって排除しているという面をもっている

・各経済主体は自ら所有する資源を自由に使用することができるが、どのような行動が許容されるかというという点にかんしてほとんど言及していない
↑↓
現実には各経済主体の行動が第三者あるいは社会全体になんらかの影響を与えることは、必ずしも例外的ではなく、むしろきわめて一般的な現象
||
経済的条件は独立的ではありえない!
||
経済活動の外部性について十分解明できる余地を与えず、経済行動の自由にかんする規定を、制度的な条件から独立な、ある意味では絶対的なものとして取り扱っている

②報酬
各経済主体は、それぞれ自ら所有する生産要素を市場に供給して、市場価値によって評価された額を所得として得る

=生産手段の私有制とこの報酬制度とは、市場機構を通ずる資源配分が効率的なものとなるという命題が妥当するために不可欠な前提条件

・ある人についてその所有する労働に対する市場の評価が低くて、生存するのに必要な収入を得られないものであったとしたら、その人は生存することが不可能となってしまうが、新古典派理論ではこの点に関する配慮はまったくされていない=きわめて非人間的な面

③個人への分解可能性
経済循環のプロセスの分析が、個々の個人の行動を分析し、それを集計することによって可能になる

・しかも、個々の個人は合理的に選択し、行動し、その行動基準は、経済循環のプロセスとは無関係にアプリオリに与えられるものであるという前提
||
個人の合理性
・その選択基準の基礎となる効用概念、あるいは主観的選好概念については、ソースティン・ヴェブレン以来多くの経済学者によって批判的な分析がなされてきた。ガルブレイスの『ゆたかな社会』など

・個人行動への分解可能性を前提とするために、企業について、新古典派はきわめて特徴的な立場をとる

合目的な有機体的構成をもった経営・管理組織としてはとらえられていない企業に属する個人は、それぞれ自らの主観的価値判断にもとづいて合理的な行動をおこない、企業活動はそれらの個々の行動を集計することによって説明されるということを意味する

利潤率が低くなって、企業を構成する物的な生産要素の所有者に対して市場的利潤率が支払わられなくなったときには、物的生産要素はより高い利潤率を生みだすような他の用途に振り向けられる。人的な生産要素も、常により高い賃金率を求めて移動する
||
市場価格体系の変化にともなって、人的および物的生産要素が集散離合し、企業はたんなるヴェールにすぎず、利潤条件にもとづいて常に形を変えていく

マレアビリティと密接なかかわり

◇パレート最適(pareto optimum)
・資源配分を行う際に、誰かの状況を改善しようとすれば他の誰かの状況を悪化させることになる、つまり資源が最大限利用されている状態

個々の経済主体の主観的価値基準はそれぞれ独立であって、異なる個人間の価値基準を比較し、あるいは集計するということは不可能であるとされる

ある所得分配が実現したときに、それを他の所得分配と比較してどちらが社会的効用が高いか、ということを判定する基準は客観的には存在しない。せいぜい、ある所得分配のもとで、すべての個人についてその所得が、もう一つの所得分配のときより高いときにのみ比較可能となるだけ

・所得分配の公正性にはまったくふれないもの

・ごく少数の人に所得のすべてが集中されているようなときも、パレート最適であるということができ、新古典派的な厚生基準のもとでは、所得分配の公正に立ち入ることは許されない
||
虚構的世界

・一般均衡理論の経済的前提条件は理論化されてこなかった
→世界の経済学研究の中心がイギリスの大学からアメリカの大学に移っていったことと無縁ではない
→新古典派理論がアメリカの経済学者の間で定着していったことは、戦後アメリカの政治的・社会的背景にも密接な関係をもつ
||
完全競争的な市場機構を通じておこなわれる資源配分は効率的であり、所得分配はパレート最適となる、というこの基本命題は、ある意味で自由放任主義の市場経済制度に対する弁明でもある
制度的な真空状態における、摩擦をともなわない市場経済において、市場機構のはたらきを、パレート最適という効率性基準のみによって評価しようとしている
↑↓
・現実の市場経済においては、市場機構はさまざまな制度的・社会的制約条件のもとではじめて機能するものであって、これらの条件を無視して市場機構のはたらきを抽象的に考えること自体は意味をなさない

個人および企業の経済活動に対する社会的・制度的制約条件をできるだけゆるめることによって、社会的な観点から望ましい資源配分がおこなわれるという、自由主義的な経済体制を正当化し、擁護しようとしてきたアメリカ経済学の立場をあらわしたもの
利潤追求は各人の行動を規定するもっとも重要な、ときとしては唯一の動機であると考え、価格機構を通じてお互いのコンフリクトを解決することが最良の方法であるという信念
・シカゴ学派に限定されるものではなく、広くアメリカの経済学者一般に共通

・新古典派の世界では、国民経済活動に対しては、所得分配を考慮することなく、もっぱら資源配分の効率性を基準として評価が与えられる

国民総生産額(GNP)などの集計的な市場経済指標によって、経済政策の効果も評価されることになる(GNP主義

政府の役割として、完全競争的な市場形成をすることが重要視される

財政支出の効果についても、具体的内容を問うより、有効需要の調整を通じて国民総生産額にどれだけ影響を与えるか、ということによって評価することになる

・公害問題の深刻化にともなって新古典派理論の限界は明確化
 ↑
・公害・環境破壊の現象は、私有を許されないような自然的あるいは社会的環境の汚染・破壊であることが第一の要因
・環境破壊は実質的所得分配をいっそう不公正なものにする
・環境破壊は一般に不可逆的なプロセスである
・所得水準が低い人々は土地を移れず、公害病によって健康を蝕まれてきた

■公害防止基準への考察
【短期的】
現在の時点で存在するさまざまな生産要素は、過去の環境基準のもとで投資活動によって蓄積され、これまでの生産技術を前提とし、消費のパターンに見合うようなもの

環境規制をきびしくしたならば、消費のパターンがどのように変わり、生産技術の選択がどのような影響を受けるかを分析しなければならない

【長期的】
???

4 社会的共通資本の捉え方

■資本
・アーヴィング・フィッシャーの意味における広義の資本概念
・生産・消費のプロセスにおいて必要とされるような希少資源のストックを広く資本と呼び、この資本から生み出されるサーヴィスを使ってさまざまな経済活動がおこなわれる
・その資本の所有関係のあり方にもとづいて私的資本と社会的共通資本とに分類するが、経済の規模とか多数者による共同消費などという純経済技術的な条件だけによって決められるものではなく、そのときどきの歴史的・社会的・経済的条件にもとづいて社会的に決められる

■生産・消費活動をおこなうために必要となってくる希少資源のカテゴリー

(1)第一カテゴリー:私的資源・私的資本
・各経済主体に分属され、自由に使用される
・各経済主体は市場を通じて、あるいは自ら私的資本を所有することによって、さまざまな私的資本から生み出されるサーヴィスを享受する

私用する私的資本のサーヴィスに対して、市場で決まってくる価格を支払う

市場機構(マーケット・メカニズム)ないし価格機構(プライス・メカニズム)のはたらきによって、需要と供給とが等しくなるよう、乖離が減少する傾向をもつ

(2)第二カテゴリー:社会的資源・社会的共通資本
・私的な経済主体には分属されず、社会全体にとって共通の財産であり、広い意味で社会的に管理される
・市場機構ないし価格機構がはたらく余地はない

◇社会的共通資本の分類
①自然資源・自然資本

大気、河川、土壌など

②社会資本
道路、橋、港湾など

③制度資本
司法・行政制度、管理通貨制度、金融制度など

■社会的共通資本から生み出されるサーヴィスの特徴
①選択可能性

各経済主体がそれぞれ、そのサーヴィスをどれだけ使用するかということを自ら判断して決定できる
(例)
国や地方自治体が道路を建設し、管理し、社会的共通資本としての道路のストックを用意→各人は自らの必要に応じて道路サーヴィスをどれだけ、どのように使用するか、自由に決める
cf.ポール・サミュエルソンの公共財の概念
・政府によってある一定量のサーヴィスが提供されたときに、各経済主体はその好むと好まざるとにかかわらず一定量のサーヴィスを享受し、しかもいわゆる混雑減少はおきないようなものであって、普通公共財と言っているものとはほとんど無縁のもの
②混雑現象の発生
各経済主体がサーヴィスを一定量使用したときに、得られる効用なり利益は、他の経済主体が同じサーヴィスをどれだけ使用しているかに依存するという現象がおきる
||
社会的共通資本のストック量は無限ではない

社会的共通資本のストック量が所与のものと想定し、課せられる規制・料金によって、サーヴィスの使用量、混雑状況が変わる

↓ その基準

限界的社会費用にもとづく価格づけ
ある経済主体がある社会的共通資本のサーヴィスを限界的に一単位だけ使用したとき、混雑現象がおき、同じ社会的共通資本を使用している他の経済主体になんらかのかたちでの被害を与えることになる

この限界的な被害額を適当な単位ではかってすべての経済主体について集計する

※社会的共通資本の使用にさいして、この限界的社会費用に見合う額を使用料金のかたちで賦課するときに、社会的共通資本のもっとも効率的な使用が可能になるというのが、限界的社会費用にもとづくか価格づけの原則

5 社会的コンセンサスと経済的安定性

■社会的共通資本のカテゴリー決定
市民の基本的生活の内容についての社会的コンセンサスが成立するか、コンセンサスを形成するためのメカニズムがあるかが問題

■市民の基本的権利
・ある国の市民として当然享受できるものであって、所得の多寡など先天的あるいは後天的要因によって左右されてはならないものを一般的に包括する

・他人の市民的自由を侵害しないかぎりにおいて、行動の自由を認められる(ジョン・スチュアート・ミルの市民的自由)

①思想・言論・信教などの自由
人間意識の内面的領域にかかわるもっとも重要な市民的自由

②生活様式、職業選択の自由
各人が自らの性格に適合するような嗜好および目的を追求する自由

③個人相互間にさまざまな形態における団結を形成し、参加する、あるいは参加しない自由

④生活権
各市民が健康にして快適な生活を営むことができる権利
衣食住、教育、医療、交通、自然環境などについて、どんな市民も最低限のサーヴィスを享受できること

■分権的市場経済制度における資源配分が導く、所得分配の不平等化傾向

純粋な分権的市場経済制度のもとでは、すべての希少資源はなんらかの経済主体によって私有され、財・サーヴィスは市場を通じて取引される

外部不経済も内部不経済も存在しないようなときには、各時点で社会全体に賦与されている希少資源がもっとも効率的に配分されることになる

時間の経過にともなって、所得分配はますます不安的になる傾向をもつ

私有されない社会的共通資本が生産および消費のプロセスで重要な役割をはたし、しかも社会的に希少となるときに、社会的共通資本の使用になんら規制を加えないとすれば、実質的な所得分配の不平等化を誘発する

【防止策】
①所得トランスファーによる再分配政策
完全競争的な市場均衡のもとにおける所得分配は、世代的にみて不平等化する傾向をもち、各人が基本的生活を営むに必要な最小限の所得を得るという保障はない

所得トランスファーを通じて、どのような人も基本的生活に必要な所得を確保できるようにする
||
負の所得税をも含めて税・補助金体系を適当にデザインすれば、すべての人々が基本的生活を営むに最低限必要な所得額を得ることができ、しかもそれぞれ自らの嗜好に合うように選択的に消費をすることができる

【問題点】
・ある税・補助金体系を導入したときに、各経済主体の行動様式は変わり、同時に資源配分のパターンも変わってくるが、新しい均衡状態は必ず安定的で、しかも時間的経過をともなわないで到達可能であるという前提が必要

・他の新古典派の前提条件、とくに生産要素のマレアビリティ(可塑性)がみたされているときに、はじめて所得再分配政策の理論的可能性を論ずることができる

・動学的不均衡のプロセスにおいては、価格体系はたえず変化しつつあり、とくにインフレ―ショナリーな状態では、生活必需的な財・サーヴィスの価格上昇率が相対的に高くなる

基本的生活を営むために最小限必要な所得水準は年々上昇し続け、事前に設定された最低所得水準との乖離は大きくなる傾向を一般に持つ

所得トランスファーを通じて基本的生活を保障するという制度は必ずしも理論的斉合性をもつことができない

6 市民的自由と効率性

■ときとして相反する二つの基準

◇効率性基準
・ある目的を達成するために、限られた資源をどのように配分すればもっとも効果的であるかという点から評価しようとする
・生産手段の私有制を前提とし、完全競争ていな市場機構を通じての資源配分は、このような効率性基準をみたす

◇安定性基準
・社会的に設定された最低限の基本的生活を、各人がその所得の多寡にかかわらず享受することができるという点から評価する
・すべての生産要素を社会化して、中央集権的な経済計画にもとづいて資源を配分し、各市民が社会的に決められた基本的生活を営むことができるように分配をおこなうときに、この安定性基準をみたす

【問題点】
・生産手段の社会化および計画の策定・実施にさいして無視できない資源の非効率的配分が起きる
より基本的な市民的自由が侵害される


市民的自由を侵害せず、効率性をできるだけ損なわないようなかたちで、安定的に資源を配分することのできる機構が存在するであろうか?

■経済主体のタイプ
◇企業
・生産要素を雇用し、生産活動をおこない、市場に供給する

◇家計
・労働および金融的あるいは実物的資産の所有者であり、それらを市場に提供して、賃金・利息などからなる所得を得て、消費あるいは貯蓄にあてる

■企業の雇用する生産要素
①固定的

ある特定の単位期間に、その用途を変えることが技術的あるいは制度的な理由により不可能か、困難であるもの→企業に固定化され、市場で取引できない
 
②可変的
単位期間に、なんらの費用もかけないで自由にその用途を変えることができるような生産要素→市場で取引できる

・企業は、市場を可変的な生産要素(家計によって所有されているものも多い)を購入、あるいは雇用して、自らのなかに蓄積されている固定的な生産要素と組み合わせて生産活動をおこなう

その産出物は市場に供給され、企業は売上額を収入として受け取る

売上の一部は可変的な生産要素に対する支払いや利息、配当に割り当てられる

生産要素のうち、一部固定的なものが存在するとき、厳密な意味では市場の完全競争性という前提は満たされなくなる
||
完全競争的であるというためには、市場価格が需要と供給との乖離に応じて瞬時に変化するような制度的条件が整っていることが必要
・需要が供給を上回るときには、価格はただちに上昇し、逆の場合には下降する
・生産要素について、ある用途に対する収穫率より他の用途に対する収穫率のほうが高いときには、ただちにその生産要素の用途を転換することが可能であり、そのためになんら追加的なコストを必要としないという条件も満たされていなければならない
・消費主体の行動にかんしても、市場価格の変化にともなって、消費計画とただちに変更して、彼自身の主観的価値判断のもとでより望ましい計画に消費を変更することができるという前提条件が満たされていることが必要

各企業の産出物に対する需要は、単に企業がその産出物につける価格だけに依存するのではなく、代替性をもつ財の価格および消費主体の所得にも依存する

企業の最適生産は、限界収入と限界費用とが等しくなるような水準に決められる

賃金や原材料価格の上昇↑
最適生産計画は減少↓

消費者の所得水準、代替物の価格の上昇↑
最適生産計画は増加↑

(例)
消費者の所得:上昇↑
企業の産出物に対する需要関係は上方にシフト↑
限界生産と交わる点では産出量より大きくなる
製品価格も上昇↑
上昇率は、需要の価格にかんする弾力性が低ければ低いほど高くなる
||
必需度が高く、代替の可能性の少ない財ほど需要の弾力性は低くなるから、このような財については、消費者の所得水準の上昇による価格上昇が大きい

■企業の投資計画を決定する要因
◇最適投資量
投資の限界効率が実質利子率に等しくなる(利益率を見込める事業案件までを投資をする)というフィッシャー=ケインズの考え方を適用できる

◇投資の限界効率が依存する要因
①投資効果にかんする技術的・経営的な要因(企業内部)

投資財の購入、工場設備の建設などという投資活動によってどれだけ効果的に企業の生産能力をふやすことができるか

実質投資額とそのとき得られる企業の生産能力の増加との間に存在する関係を規定したスケジュール(=事業計画・予定)によってあらわされる

②将来の市場条件についての期待にかかわる要因(企業外部)
所得の上昇、一般的な物価水準の上昇にかんする期待

期待利潤率の上昇あるいは実質利子率の低下は、投資の限界効率のスケジュール(=投資計画の数値)を上方にシフトし、最適投資水準を高め、企業の成長率をも高くする

消費者の所得水準の上昇にともなって、利潤率は高くなる

期待利潤率もまた高まる

最適投資量はふえ、企業の成長率も高まる
このとき、投資のスケジュールが弾力的であればあるほど(期待利潤率の変動などにより自分たちの計画を柔軟に変えられるか)、最適投資水準(最適投資計画達成水準)に及ぼす影響は小さい(弾力的でないと最適投資計画達成水準に達しにくい)
||
企業の生産能力をふやすことが限界的に困難になるにしたがって、需要曲線のシフトの影響は小さく、投資量をわずかに増加させるにすぎない

企業能力の計画成長率も低いものになる

企業が労働などの可変的な生産要素に対する需要計画、財の生産計画、投資計画を立てる

すべての企業の生産計画・投資計画を集計

・企業部門全体の生産要素に対する需要、財の供給、投資需要が求められる
・家計部門における可変的な生産要素の供給、さまざまな財・サーヴィスの受容にかんするスケジュールが求められる

各種類の生産要素・消費および投資財にかんして、需要と供給が等しくなるような価格体系および生産・投資量が決定される

||
■このような一般均衡体系(経済におけるすべての市場価格決定メカニズムだけで同時的に均衡していること)のもとの、資源配分および所得分配のパターンの、時間の経過にともなう変化

各家計は、所有している労働などの生産要素および金融的な資産に対して、市場価格にもとづいて評価された額を受取る
(はじめにどのような希少資源をもっているかに依存する)

生存のために必要な最低限の財・サーヴィスにかんしては、限界効用(消費財および用役が消費者に与える主観的な満足度(効用)に関して、消費量が一単位増加した時、これに伴って増加する満足度の大きさ)が極めて高い
||
所得水準の低い人ほど、所得の大きな割合を消費財の購入に当てようとする


低所得者は、所得の大きな部分を消費に当て、金融的および実物的資産の購入(=貯蓄)は相対的に少ない額となる
||
所得の低い人のほうがより多くの部分を消費し、少ない割合を貯蓄するから、時間の経過にともなって、所得水準の高い人はより高く、低い人はより低くなる傾向

さらに、必需的な財で代替の可能性の乏しいものについては、価格の上昇率は相対的に高くなることが示される
||
名目所得の分配が時間的経過にともなって不平等化する
実質的な所得分配はいっそう不平等化する

はじめに所得水準が相対的に低い人々は、やがて生活が不可能にならざるを得ない
||
最低限の生活を市民の基本的権利として保障することができなくなる

【具体例】
市場機構を通じての配分のメカニズムはそのままにしておいて、市民の基本的な権利にかかわる財・サーヴィスを所得保障を通じて解決しようとする場合

市民に必要な最低所得額を現行の市場価格体系のもとで月額一人2万円(仮)とする
必要な財源は累進性をともなう税収からまかなわれるとする

各人に2万円の所得保障

2万円に満たない所得しかなかった人は、2万円になるまで所得補助を受ける

低所得者層による基本的な生活にかかわる財・サーヴィスに対する需要はふえ、高所得者層による選択的な財・サーヴィスに対する需要は減少する

基本的な生活にかかわる財・サーヴィスについては、需要面においても供給面においても、代替の可能性は乏しく、需要のスケジュールのシフトによって価格の上昇率が選択的な財・サーヴィスより高い

つぎの期には、月額2万円では基本的な生活は営むことができない

くりかえし・・・
(需要の価格弾力性が低ければ低いほど、または生産能力の投資弾力性が低ければ低いほど、スパイラルな物価上昇の可能性が強くなる)

■すべての人が基本的生活を営むことができるようにするためには、
所得保障政策以外の手段をも講じなければいけない

◇公共料金的な規制
・需要の価格弾力性および供給能力の投資弾力性がともに低いような財・サーヴィスに対しておこなう
・生産は私的な経済主体によっておこなわれるが、価格については政府が公共料金として決める
・生産者には、この公共料金のもとで発生する需要に見合うだけの生産をおこなうことを義務づける

財・サーヴィスの生産のために投下された資本に対して、他の用途に向けた場合と競争的な収穫率が得られるように、一般財源から補助金を与える、賦課金を課す必要

(例)
公共料金0円

基本的生活を営むために必要な最低限の所得は前より低くなる

所得保障額は全体として少なくなり、物価水準の上昇がおこったとしても、低所得者層が主として需要するような財・サーヴィスの価格上昇率は、前に比べて低い水準になる
||
スパイラルな物価上昇と最低所得水準の上昇がおこる可能性は低まる

需要の価格弾力性が低くて、供給能力の投資弾力性も低いような財・サーヴィスについて、公共料金的な規制を受けるようなものの種類を多様化していくことによって、結局、所得保障政策によって基本的生活をすべての市民に保障でき、不安定的な価格上昇とそれにともなう最低所得水準の上昇とを防げる
||
基本的生活を営むために必需的な性格をもち、需要面でも供給面でも価格弾力性が低いようなサーヴィスを生みだす希少資源は、社会的共通資本として、社会的管理下におくことによって社会的な安定性を高める
・再生産が不可能・きわめて困難:自然環境
・その形成に大きな投資と長い時間的経過とを必要とし、短期的には供給の弾力性がきわめて低い:医療・教育資本

7 社会的共通資本としての道路

■社会的費用の内部化
◇歩行の場合
・仮に歩行に対して料金が課せられたとしたとき、歩行需要の料金についての弾力性は低い
||
料金がきわめて低いか、無料になったとしても歩行に対する需要はあまり増えない

・他人に迷惑をおよぼすことは少なく、社会的費用の内部化は容易に行える

◇自動車の場合
・歩行者に対して危険を与える可能性があり、社会的費用を無視できない
||
専用のレーンをつくる、スピードその他に関する規制を設けるなど、社会的費用の内部化をはかる必要

すべての人が自動車を所有・運転、サーヴィス享受が当然の権利ではない
理由①
歩行・自転車などと異なって、もし自動車重量税、通行料金などによって、自動車を所有し、運転するコストが高くなったとき、自動車所有・運転に対する需要がはるかに低くなる

支払い能力があり、支払う意志をもつ人だけが自動車を所有し、運転できるという市場機構的な原則が貫かれるべき性質のもの

理由②
すべての人が自動車を保有したときに、自動車通行によって他の人々の基本的権利が侵害されないように道路網を建設し、整備するということは、ほぼ不可能に近い


・自動車通行は市民の基本的権利を構成する要素ではない
選択的なかたちで消費されるもの

自動車を所有し、運転する人は、他の人々の市民的権利を侵害しないような構造をもつ道路について運転を許されるべきであって、そのような構造に道路を変えるための費用と、自動車の公害防止装置のための費用とを負担することが、社会的な公正性と安定性という観点から要請される

■自動車による「非都市」化
・歩行者の基本的権利を侵害し、生命の危険にさらしている
・社会的共通資本としての道路のはたす機能が著しく阻害され、実質的所得分配にかんする内在的不安定性が拡大している
・都市環境が悪化し、ハイウェイと駐車場で占められている
・公共交通機関の整備されていないため、通勤・買い物などが基本的生活が車なしではできない

・都市の郊外に人が家を求め、都市自体は人が減少

自動車通行にともなう社会的費用を利用者が負担する原則を確立し、都市構造を変えることが必要

8 自動車の社会的費用とその内部化

■自動車の社会的費用
  ||
自動車の通行を市民的権利を侵害しないようにおこなおうとしたとき、道路の建設・維持にかかる追加的費用
 +
現在の道路建設費
  |
自動車通行者が負担している額

※道路のキャパシティに限界があって混雑現象がおこるときには、その混雑にともなう限界的社会費用を自動者通行者に賦課し、社会的費用の内部化は完全におこなわれているとする
※日本では物理的に不可能な場合が多く、現存する住居の移動など社会的に大きな障害が存在する。このようなときには自動通行の社会的費用は無限大、ないしはきわめて大きいと考える

■市民の基本的権利を侵害しないような道路とは
・歩道と車道が完全に分離され、しかも並木その他の手段によって、廃棄ガス・騒音などが歩行者に直接に被害を与えないように配慮されている
・歩行者の横断のために、歩道橋ではなく、むしろ車道を低くする也して、歩行者に過度の負担をかけないような構造とする
・センターゾーンを作ったりして、交通事故発生の確立をできるだけ低くする配慮をする
・住宅など街路に沿った建物との間にもまた十分な感覚をもうけ、住宅環境を破壊しないような措置を講じる

■東京都において自動車通行が可能とされている公道(1973年4月1日)
 延長2万1061㎞,面積114平方㎞=平均幅5.5m弱の道路
 車道幅が7.5m以上の道路:延長6882㎞(全体の32.7%)

■市民の基本的権利を侵害しない構造に変える費用

①歩道を車道から物理的に分離する
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 道路の幅を両側に4mずつ拡げなければならない(計8m

②歩道と車道との間に緩衝地帯を設ける
(排気ガス、騒音など自動車通行にともなう公害現象によって、歩行者の健康が侵されないような配慮)

③歩道橋をなくし、車道の位置を歩道より低くして階段を使用しないで安全に横断できるような施設を用意する
(ストックホルム市などのように、歩道を交差点で中断しないでそのまま連続して通し、車道を中断する)

④道路の狭い街路の多くは自動車の通行を禁止する
(児童公園などの施設を代替的に用意しても、街路ほど十分な魅力的な遊び場としての機能は全部代替しえない)

⑤道路と住居の間に緩衝地帯を設ける
(住民の生活環境を破壊しないように)

■自動車関係の税収
自動車関係諸税(ガソリン税、重量税など)からの税収額:1兆5000億円
・一般道路に対する国と地方公共団体の投資額:1兆6000億円 (1972年)
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道路投資の93%は自動車関連に対する税収から賄われている

■自動車の社会的費用を内部化する方法
◇東京都の2万㎞の道路の構造を変換する場合
用地費と建設費で仮に1平方mあたり15万円とする
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東京都の2万㎞の道路の構造変更には24兆円かかる

道路網を利用する自動車の台数を200万台とすれば、
自動車1台あたり1200万円

自動車の社会的費用を自動車通行者が負担するために、1200万円という投資額に対する年々の利息分を、自動車1台あたりに年々賦課する

1200万円を他のもっとも生産的な用途に向けたとき、実質で10%の収穫率を生みだし、物価水準の平均上昇率を6%とすれば、名目利子率は16.6%
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自動車1台あたりの年間賦課額は約200万円

自動車1台に対して年間200万円が社会的費用税として賦課されたとすれば、自動車保有台数は著しく減少し、2万㎞延長の道路網はほとんど利用されなくなる

◇東京都における2万㎞延長の道路のうち、幅5.5m以下の道路について原則として自動車通行を認めないとし、残りの道路にかんして構造変換の工事をする場合
5.5m以上の道路延長は全公道の約30%なので、総投資額約7兆円
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自動車1台当たりの年間賦課額は60万円


自動車の社会的費用は、道路利用にどのような直接規制が課されているかということと、自動車保有台数が何台であるかということに依存する
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自動車保有台数は、自動車1台当たりの社会的費用の大きさと、どのような方法で賦課金が課されるかによって影響をうける
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市民の基本的権利についえ社会的合意がえられ、理想的な道路の構造がある程度確定したとき、自動車通行が許されるような道路延長と社会的費用の大きさおよび賦課方法を求めることが可能になる
賦課形式
①自動車保有に対してなされるもの
②自動車使用に対してなされるもの

Ⅳ おわりに

社会的共通資本は、その使用に対して、社会的費用が発生しないように設計され、管理されなければならない。社会的費用は、もともと発生してはならないものであって、社会的費用の発生をみるような経済活動自体、市民の基本的権利を侵害するものであるという点から許してはならないもの


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