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セブ島に親子留学した時のこと

当時年中の娘と二人でセブに親子留学したことがある。たった一週間弱ではあったけれど、自分にとってはチャレンジだった。


守りに入っていた自分

独身時代は南米に行ったりヨーロッパに一人旅をしたり、エジプトでお腹を壊したり、無鉄砲に行動していた。スマホもない時代。親にはとにかく心配をかけた。

それが、産後は我が子を守り育てるプレッシャーに押しつぶされ、とても新しいチャレンジをできる余力はなかった。守りに入っていた (入らざるを得なかった) 数年間とも言える。

そんな中、決めた親子留学。元々、語学留学は興味があって、そこに親子留学という形で子を巻き込み、フライト時間や学校の豊富さなども加味して行き先をフィリピンのセブに決めた。

現地で受けた洗礼

現地の空港に到着し、送迎サービスをお願いしていたので、待ち合わせて一緒にタクシーに乗る。そこでちょっとした現地の洗礼があった。
タクシーのメーターが動いておらず、ぼったくりタクシーだったのだ。
迎えに来てくれた人とタクシーの運転手のハードな言い合いを後ろの席で固唾を呑んで聞く私と娘。(娘はその出来事がよほど印象的だったのか、それからしばらくセブでタクシーに乗りたがらなかった)

そして現金をいくらか用意しておいたものの、大きい紙幣が使えない店も多く (お釣りを用意していない)、初日の夜から夕飯を食べるのに、大きい紙幣もカードも当然使えず、途方に暮れることになった。

娘の逞しさに救われた

一方で、娘は初日から歳が近い子と早速仲良くなって遊んでいた。

そして、初日の夜に「あー今日は最高の日だ」と言って大の字で横になり、そのままスーッと寝た。
こんなこと日本でも今までなかった。

ぼったくりタクシーにあい、夕飯もスムーズに食べれず、異国の緊張も伴い、初の親一人子一人の旅で、自分の寂しさを埋めるために & 親のエゴに付き合わせてしまったかと不安でいっぱいだった私は、
娘のその姿にものすごく救われ、ホッとして涙がでた。

英語学習

日中は英語の時間。娘は現地の幼稚園に通わせてもらったり、子供達でお買い物に行ったり、工作をしたりダンスをしたり、毎日とても楽しそうに過ごしていた。

一方私はテキストに沿って学習しながら、最終日のプレゼン発表に備えて英作文。毎晩これの練習とブラッシュアップに費やしていた。
最終日のプレゼンは録画もしてもらい、恥ずかしくてなかなか見返せないのだけど、当時数日間ながら中身の濃い日を必死に頑張った記録だ。

現地でお買い物!

慎重と大胆さの共存

語学学校最終日、私はまたもピンチに陥っていた。
現金が足りないのだ。正確にいえば、小さい紙幣が足りない。下ろしに行くにも徒歩圏内では下ろせる場所がなかった。

帰国は翌日で最終日はホテルに泊まることになっていた。
語学学校からホテルまでどうするか。
みんながワイワイ卒業と別れで盛り上がっているところ、私は表向きはニコニコしながら内心焦っていた。
しかし、娘と二人の旅。何があろうと自分でなんとかするしかない。心を決めた。

アンテナを巡らし、ちょうど同じ方面に向かう親子がいたので、同乗して向かいましょうかという流れに。そして「すみません、私大きい紙幣しかなくて」とお伝えしたらその親子は小さい紙幣をたくさん持っていたようで快く払わせてくれた。(タクシーもカード使えなかった涙)

無事ホテルに着いた時の安心感。手持ちの現金は数百円のみだった。この時ほどいいホテル (カードが使えないわけない高級ホテル) を選んでよかったと心から思ったことはない。
現金数百円しか実は持っていない私たち親子は、最終日、カードという武器をこの旅で初めて使えることに感謝しながらプールサイドで残金を気にせず注文できた。

無事ここまでこれた安堵で涙が滲んだホテルからの景色

人との出会い

この旅で印象に残っているのは人との出会いだ。
現地でも Sim を買う場所を相談させてもらったり、カフェで偶然お会いして同席してお話したりした温かい思い出がある。

そして、帰国後も今回の旅で出会った人繋がりで、オンライン英語や英語コーチングサービスにお世話になることができた。

一歩踏みだす勇気を出したからこそ出会えた人たち。

人生はそんな点と点が線で繋がるように、温かい記憶が不意に思い出され、残るものではないか。そんな風に思っている。

#ジブン株式会社マガジン
#親子留学
#セブ
#英語


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