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キネマロマンホール 第二話

https://youtu.be/IdvEOXcboXI

安曇と真矢に対する事情聴取はあっけなく済んだ。いや、事情聴取と言うには程遠いものだった。刑事達は半ば呆れ顔で安曇達の説明をひと通り聞いていたが、やがて、二人の作り話にはこれ以上付き合えない、と言わんばかりのうんざりした表情をし始めたのだった。無理もない。パトカーがキネマロマンホールに到着するまでのほんの数分の間に、現場の状況が一変していたのである。血を流して倒れていた人の姿はどこにも見当たらず、映写室へと続く螺旋階段の上がり口付近には、古い荷物やら何かが入れてあるダンボール箱が積み上げられていて、とても上には昇れない状態となっていた。これでは安曇が何を言っても信じてもらえるはずもない。


「ところであんた達は、こんなところで一体何をしていたのかね?」

 挙句の果てに刑事の一人からそう質問される始末で、この上何を説明しても無駄だと観念した安曇は、真矢を連れて事務所に引き返すことにした。

「全く!人騒がせにもほどがある!どうせ暗がりでいちゃついていたんだろう!」

 などと、刑事たちが口にするのを背中で聞きながら、二人は事務所へと急いだ。
考えなくてはならない事が沢山ある。安曇は今しがたの出来事の一部始終を思い出し、頭の中を整理しようとしていた。
気が付くと、事務所の前まで来ていた。すると、それまですっかり口数が少なくなっていた真矢が、郵便受けから取り出した物を手にしたまま、突然、頓狂な声を上げた。安曇が近づくと、それは札束の入った封筒であった。開いた口から、聖徳太子の絵柄が覗いている。

「留守にしてる間に沢田さんが持って来たんだわ。調査費は前払いでお願いします、って言っておいたから。でもこれ、古いお札ですね」

 真矢が珍しそうに絵柄を眺めながら言った。安曇は真矢の手から封筒を取り上げ、すぐに沢田に連絡を取ってくれ、と言って事務所の中に入って行った。真矢も続いて中に入ると、沢田の調査依頼書が収めてあるファイルを取り出し、そこに書いてある番号に電話をかけてみた。しかし、呼び出し音が続くだけで誰も電話には出ない。安曇は何かを思い付いたように、携帯電話から連絡を取り始めた。そして、電話口でこう言った。

「もしもし。あ、俺だ。元気かい?ちょっと頼みたいことがあるんだ。迷宮入りになった、キネマロマンホールの殺人事件について、急いで調べてくれないかな?」

 相手は学生時代からの友人で、新聞社の記者をしている男だった。ほどなくして、その男からの電話が鳴った。少し話しただけで電話を切った安曇は、もう一度、キネマロマンホールに行こうと、真矢を誘った。彼女は驚いて首を横に振った。しかし、安曇は構わずに真矢の腕をつかんで事務所を出ようとした。

「安曇さん、明日にしましょうよ、ね?もう遅いし」

 恐怖心から、そう抵抗しながらも、真矢自身、この事件の謎を知りたい気持ちは安曇と同じであった。何よりも、これは依頼された仕事なのだ。真矢は自分にそう言い聞かせると、安曇に従って事務所を後にした。そうして、いつしか二人は駆け足でキネマロマンホールへと急いでいた。
 
 キネマロマンホールに到着すると、刑事達は既に引き上げた後であった。再び裏口の横板を外し、安曇と真矢は映画館の中へと入って行った。映写室への螺旋階段のところまで来ると、彼らはあらためて積み上げられたダンボール箱を眺めた。最初に忍び込んだ時、こんな荷物はどこにもなかったはずだ。これは一体どういう事なのか。自分達は確かにこの階段を昇って行った。そして、誰かがこの階段を駆け降りる靴音を聞いたのだ。安曇は映写室の方を見上げた。小窓に明かりは灯ってなどいなかった。彼は目の前の段ボール箱を一つひとつどけ始めた。真矢も手伝いながら次第に緊張が高まっていくのを感じていた。

「よし、上へ行ってみよう。何かが分かるかも知れない。いや、あのドアの向こうにはおそらく……」

 安曇は、半ば独り言のように言いながら階段を昇り始めた。真矢は二、三回深呼吸をしてから、彼の後をゆっくりと昇って行った。ドアの前まで来ると安曇は携帯電話を取り出し、先ほど事務所で登録しておいた沢田の連絡先に電話をかけた。

「どうして沢田さんの番号にかけるんですか? それに、さっきは圏外になってましたよね。電話は通じるんですか?」

 しかし、真矢がそう訊き終わるか終わらないかのうちに、ドアの向こうで電話のベルが鳴り始めた。やっぱりか。安曇はそうつぶやいて、真矢の顔を見た。彼女は驚きのあまり、一瞬、声を失った。そして、ようやく言った。説明して下さい……と。

安曇はこう話し始めた。

「この映画館の中で血を流して倒れていたのは、昔、ここで映写技師として働いていた、沢田という男だ。そう、今回の依頼者の沢田だよ。彼は、四十年前に殺されていたんだ。しかし、殺される前の彼が何かのきっかけで現代に迷い込んでしまった。そうして自分が数年後に殺される、その現場を目撃してしまったんだ。おそらく、包丁を持ったまま通り過ぎたという女性が犯人だろう。その殺人事件がやがて迷宮入りになる事を知った沢田は、何とか真実を知らせようとして自分達に調査を依頼してきた、というわけさ。ここの映写室の電話番号を彼は自分の連絡先とした。このキネマロマンホールは、ほとんど閉館されていると言っても、一応、自治会が管理を任されているらしく、映写室の電話番号も当時のまま生きているそうだ」

 安曇がそこまで説明した時、では何故、最初に電話をかけた時に圏外の表示が出ていたのか、と真矢が訊いた。安曇は説明を続けた。

「おそらく、このキネマロマンホールの建物自体が、四次元空間として存在しているに違いない。そして、建物の中でも、あちらこちらに時間の歪みやねじれが点在しているとしか考えられないんだ。最初に俺が電話をした時、何故、圏外だったか。それは多分、映写室のドアを境にして、そこに時間のねじれがあったんだと思う。だから……」

 途中から真矢が口を開き、安曇の言葉に続けた。

「だから、さっきの電話が通じたのは、あの時、そこに時間のねじれがたまたまなかったからなのね」

 彼女は、今回の不思議な事件の謎について、かなり理解をしているようだった。しかし、まだ分からない事がある。沢田は何故、殺されなければならなかったのか?包丁を持っていた女性とは一体何者なのか?沢田とその女との関係は?そんな事をあれこれ考えているうちに、ふと足元に何か生温かい気配を感じ、真矢は小さく悲鳴を上げて安曇の肩にしがみ付いた。彼が懐中電灯の光を向けると、そこにいたのは赤毛の子犬だった。こんなところにどうして犬が……。安曇はとっさに沢田の話を思い出した。この映画館の前で赤い犬を連れた女を見かけたと彼は言っていた。すると、この犬は……。その時、真矢が叫んだ。

「安曇さん!あそこに誰か居る!」

 急いで懐中電灯を照らすと、螺旋階段の上がり口のところに初老の女性が立っていた。安曇と真矢の方をじっと見上げたまま、身動きひとつしない。

「誰なんですか、あなたは!」

 安曇の声が暗闇の中に響いた。真矢にはそれが、恐ろしい事件の謎が解ける合図のように聞こえた。

第二話 終わり

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