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夏の始まり

最近「イソガシイ」を理由に全くnoteに手をつけていなかった。
人間サボりだすとなかなか戻ってこれないもので、ずいぶんと色々なことをして、書く時間から離れてしまっていた。
僕にとっては自由に書く時間というのは、自分を見つめることでもあるので、もはやこれは一つの仕事の効率化と言っても良いのかもしれない、というアクロバティックな思考のもと、筆を取っている。

とはいえ、久しぶりの投稿なので、考察文というよりはリハビリ的に、自由に書いてみたいと思った次第。

今日は7月の20日。先週末には梅雨も明けて、本格的な夏が到来した。これが夏だ。まごうことなき夏。梅雨の間に「夏来てるやん」と言った自分の襟元を掴んで、ベランダから放り投げてやりたい。「そんなもんはまだまだ夏じゃねぇ」と。


それにしても、今年は季節の切り替えがはっきりしているようで、つい数日前まで家の裏の竹林で鳴いていたホトトギスの声はたんと鳴りやみ、蝉の声に綺麗に切り替わった。ついでにBGMをハワイアンミュージックにして、さらに家の夏感を上げている。いきなり来た夏を最大限に感じながら仕事をしてみるのも、良いもんだ。しっかりクーラーもつけてる。でも、感じるだけでは夏はダメなんだ。

今年の夏は何しようか

どっかの歌手みたいな人が歌っていた気がするが、本当に何をしようか、考えている。というのも、やっぱり大人になってからの季節は早く過ぎてしまって、夏を感じながらボーッとしてるだけだと、「あー、夏満喫したな」という実感を得られる前にすぐに次の季節がやってきてしまうからだ。特に外出自粛になってからは、お盆に親戚の家に集まる、みたいな行事もないもんだから余計に。
目の前の仕事に向き合っていると、1日、1週間、1ヶ月、なんかあっという間に過ぎてしまう。言い訳ではないが、こんな風にnoteを1年ほうったらかしにする、なんてこともザラに起きてしまうわけである。

夏の予定は、とりあえず今週末にソロキャンプに行くことは決まっているが、それ以外には特段決まっていない。でも、こうやって少しでも文章に残したりすることで、もう少しだけ丁寧に暮らしを考えたりできるんではないだろうか、と書きながら思っている。丁寧に暮らしたら「結構夏してたやん」と夏が終わる頃に言えるような気がする。多分。

大人になればなるほど、いろんな事情で丁寧に暮らすことって難しくなってくるから、少しだけでも丁寧に暮らす時間を作ってあげるのがいいのかもしれないな。

誰に宛てたでもない文章というのも、書き連ねたら誰かのためになることだってあるんだろうね。また、書きますね。


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