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fffフォルティッシッシモ-キャプション

ゲーテは謎の女の声が聴こえているということに着想して。
ナポレオンと彼女、ルイと彼女のように、ゲーテと彼女の応酬もあったのではないか、
そしてそれは、ナポレオンの没するより、ルイが不幸の記憶を辿るより前に、
またさらに、ゲーテが『若きウェルテルの悩み』を書いた時だと考えられないか、
といった要素を詰め込んでいます。説明が本当に下手なので結局文字に起こしました。

「人類の不幸」たる謎の女は、『ウェルテル』の劇中にも姿があるし、ルイに「ウェルテルのように自由」と話すことから、勿論ルイの想像の範疇としての〈ゲーテ〉についてを謎の女が投影しているとも読めますが、
半自伝的な『ウェルテル』にゲーテにとっての「不幸」(謎の女)の存在を感じ取ることができるな、と言うのが一つ。

ゲーテは史実ではナポレオンらより歳上なのもあり〈二人を見守る〉役なのかな、と思います。逆に、その史実を無視することで、fffのゲーテは彼の文学そのものを象徴する、抽象性を備えた役と捉えるのも有りかな、と。他の主要人物も多少なりそうなのですが。
書きながら調べたらゲーテはナポレオンとルイより20歳以上年上なのに、ナポレオンとルイの方が早く亡くなっているんですね、沁みすぎる…。
〈ゲーテ〉の役が彼の文学そのもの、「人間の光」なら、それはナポレオンとルイにとって目指すべき場所、皆を連れてゆくための目標として、二人に対して等距離に位置する、三角形の頂点の一つである、という関係性が素晴らしいな…と思うんです。
謎の女が「死は救いなの」と言うのを、ゲーテの受け売りとして口にしていたら、良いな(良いな…)と思うのと、ゲーテ自身がその選択をしないことが、ナポレオンとルイが生を選ぶことに続いていたらなお良いな(良いな…)と思います。そしてそれを見通しているゲーテもいたら良いな(良いな!!!!)。
fffは登場人物が一人の人間として描き出す物語(史実)でありながら、その人生が概念化されて交錯する論文みたいで見応えがあります。

ゲーテが生きる苦しみを『ウェルテル』に託したとき、謎の女はゲーテに突きつけていたであろう銃口を降ろし、それを経て謎の女はゲーテのように「不幸を受け止めて見せる人間」だとルートヴィヒやナポレオンのことを見出しているんじゃなかろうかという話をしたかったんです。彼なら銃を渡してみせても引き金を引かない選択を取るだろう、だから銃を握らせよう、としているように感じられて。
そして、ゲーテはそれよりも深く二人を見出している、というのが熱いじゃないですか。何故ならゲーテの描いた「自由」を受け取った二人に対して、最も良き理解者になるのは、描いた当人のはずだから。

「人生は不幸で、しかし皆、その中を1分でも長く生きていたいということを、見てとることのできる者だけが、その命を捨てる選択をいつでもできる、という自由を得られる」やや難解ですけど、言葉として丁寧な詩だなと思います(脚本ママでなくてすみません)。そのまま受け取れば良いのですが、もっと約すなら「自らが自らの主人であるという自由」と述べている、と思います。一見憂鬱なようで、寧ろ人間の時代の強さに通じている。
生きる不幸から逃れることを選べる自由、とは、死によって救われることの否定では無い、事こそ、ゲーテから謎の女へのアンサーかつ、背中を押すようなテーゼにしたい…なと思い…私の表現力ではとても及びませんが…。

「死は救い」と捉えた謎の女に対して「死より自由であるべき」と答えた。
その〈ゲーテ〉が光そのものであるならば彼の世界は暗闇で、けれど〈ナポレオン〉と〈ルートヴィヒ〉の世界にはその光があるから、どんな暗闇も、自由を抱えながら進むというベクトルを持てる。「不幸を受け止める」より「更に向こうへ」行ける。そしてそのことをゲーテは2人に示す役目として、暗闇に立ち、その言葉で照らし続ける。トライアングル・インフェルノです(違います)

謎の女は人類に憎まれ、自分を憎まない人間が現れると、「憎まないでほしい」と「いずれ憎むようになるはずだ」という裏腹さで自分を憎ませるような人生を歩ませようとするヒロイン像であるなと感じます。
私の個人的な感想としては、ゲーテ、ナポレオン、ベートーヴェンの3人とも彼女を愛したと思うんですが、
その中でルイだけが彼女と共に生きることを「歓喜」だと言えたことが、反転して彼女への救済になった。全てが幸せのはずはなくとも、人の歓びを祈ることはできて、祈ることができるということが人であることの喜びに帰着するのだ、と。ロックだなあ!!

「貴方のいう人間とは?」「よく耕された精神」と答えたナポレオンは真っ直ぐな畝をつくり、
「あの光 自由目指し」と、歌うルイ。
光に向かって暗く孤独な道をゆける二人の革命家に対して、ゲーテはその道標たる「光」そのものを示す存在である。と言うのが私が「ウオ〜〜!!!」ってなりたかったことです。
脚本を繰りながらもう絶対そうだよ!!ゲーテが光だよ!!と思っています。
そこに彩凪さん、望海さん、彩風さんの存在も重なって感じられます。
この3者が等分に思えるから、つい欲張ってゲーテだけに比重をかけず3人とも格好良く描きたい…と盛りすぎましたね。フォルテが3つてそういうことなんですね…。
実際の役者から発される台詞に成ることでようやくこの壮大さを拾えるというか、一つの言葉の濃さが凄くて、濃縮還元300%ぐらいロマンで出来ていますね。上田久美子演出のこの纏め上げ方、本当にタフで好きです。

あとロマン主義本当良いですよね…くやしいけどただただその格好良さが強靭さに拠るのが好きです…
音楽の持つ、内側に聴こえる音そのもの、原音を表現するとか、
現実にある自然に神秘が宿っているとか、
言ってることの隅々に自信が満ち満ちている感じにグワ〜〜〜ッッとさせられるものが有ります。頓珍漢に書きましが、描きたいこと描けて楽しかった!!!イエ〜〜〜!!!幸あれ〜〜〜〜!!!!!!!!


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