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巨人を倒せ!運命のデュエル ー ダビデ対ゴリアテ

巨人を倒せ!運命のデュエル ー ダビデ対ゴリアテ

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▶️David and Goliath (5:27)

旧約聖書サムエル記 第一 17章45, 47節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
『1サム17:45 ダビデはペリシテ人に言った。「おまえは、剣と槍と投げ槍を持って私に向かって来るが、私は、おまえがそしったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かう。47 ここに集まっているすべての者も、剣や槍がなくても、主が救いをもたらすことを知るだろう。この戦いは主の戦いだ。主は、おまえたちをわれわれの手に渡される。」』
旧約聖書サムエル記Ⅰ 17章1-58節~18章5節 JCBリビングバイブル
『1 ところで、ペリシテ人イスラエルに戦いをしかけようと軍隊を召集し、ユダソコアゼカとの間にあるエフェス・ダミムに陣を敷きました。2 サウルはこれに応戦するため、エラの谷に兵力を集めて戦いに備えました。3 ペリシテ人とイスラエル人は、互いに谷を隔てた丘の上でにらみ合うかたちになりました。

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4-7 その時、ゴリヤテというガテ出身のペリシテ一の豪傑が陣地から出て来て、イスラエル軍に向き合いました。身長が約三メートルもある巨人で、青銅のかぶとをかぶり、五十七キロもあるよろいに身を固め、青銅のすね当てを着け、七キロもある鉄の穂先のついた太い青銅の投げ槍を持っていました。盾持ちが、大きな盾をかかえて先に立っていました。

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8 仁王立ちのゴリヤテは、イスラエルの陣営に響き渡るように大声で叫びました。「よく、こうもたくさんそろえたもんだ。おれはペリシテ人の代表だ。おまえらも代表を一人選んで一騎打ちをし、それで勝負をつけようじゃないか。9 もし、おまえらの代表の手にかかっておれ様が倒れでもすりゃあ、おれたちは奴隷になる。だが、おれ様が勝ったなら、おまえらが奴隷になるのだ。10 さあ、どうした。イスラエル軍には人がいないのか。おれと戦う勇気のあるやつは出て来い。」
11 サウルとイスラエル軍は、これを聞いてすっかり取り乱し、震え上がってしまいました。 

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12 エフラテ人エッサイの子のダビデには七人の兄がいました。13 三人の兄エリアブとアビナダブとシャマは、このペリシテ人との戦いに義勇兵として従軍しており、14-15 末っ子のダビデはサウルの身辺の警護に当たりながら、時々ベツレヘムへ帰り、羊を飼う父の仕事を手伝っていました。
16 さて、巨人ゴリヤテは四十日間、毎日、朝と夕の二回、イスラエル軍の前に姿を現しては、これ見よがしにのし歩いてみせました。
17 ある日、エッサイはダビデに言いつけました。「さあ、この炒り麦一エパ(二十三リットル)とパン十個を、兄さんたちに届けてくれないか。18 このチーズは隊長さんに差し上げ、あの子たちの様子を見て来ておくれ。あの子たちから何かことづかってくることも忘れないようにな。」

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19 サウルとイスラエル軍は、エラの谷に陣を張っていました。
20 ダビデは翌朝早く、羊を他の羊飼いに任せ、食べ物をかかえて出かけました。陣営のはずれまで来ると、ちょうどイスラエル軍がときの声を上げて戦場へ向かうところでした。21 やがて、敵味方が互いににらみ合う態勢となりました。22 ダビデは持って来た包みを荷物係に預け、兄たちに会うために陣地へ駆けだしました。23 兄たちと話をしながらふと見ると、敵陣から大男が向かって来ます。あのゴリヤテです。彼はいつものように、ふてぶてしく挑発してきました。
24 イスラエル軍はゴリヤテを見ると、おじけづいて後ずさりを始めました。

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25 「あの大男を見ろよ。イスラエル軍をなめていやがる。あいつを倒した者には、王様からしこたまごほうびが頂けるそうだ。王女の婿にしてもらえるうえ、一族はみな税を免除されるそうだ。」
26 ダビデは、ほんとうの話かどうか、そばにいる人たちに確かめようと尋ねました。「あのペリシテ人を倒して、イスラエルへの悪口雑言をやめさせた者には、何をしていただけるのでしょうか。全く、生ける神様の軍をなぶりものにするなんて! いったい、あの、神様を知らないペリシテ人は何者ですか。」27 人々は、先ほどのことばをくり返しました。
28 ところが長兄エリアブは、ダビデがそんな話に首を突っ込んでいるのを聞いて、腹を立てました。「いったい、ここへ来て何をしようというのだ。羊の世話はどうした。とんでもないうぬぼれ屋め。戦見たさに、のこのこやって来たんだろう。」
29 「僕が何をしたっていうんです? ちょっと尋ねただけじゃありませんか。」
30 ダビデはほかの人のところへ行って、次々に同じ質問をして回りました。だれからも同じような答えが返ってきます。31 そのうち、ダビデのことばの裏にある意図をくんだだれかが、そのことをサウル王に告げたので、王はダビデを呼びにやりました。32 ダビデはきっぱりとサウルに言いました。「こんなことで何も心配には及びません。私が、あのペリシテ人を片付けましょう。」
33 サウルは言いました。「冗談を言うな! おまえみたいな小僧が、どうしてあんな大男と渡り合えるのだ。あいつは若い時から鍛え抜かれた戦士だぞ!」

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34 「私は父の羊を飼っているのですが、ライオンや熊が現れて、群れの子羊を奪って行くことがよくあります。35 そんな時、私は棒を持って追いかけ、その口から子羊を助け出すんです。もしそいつらが襲いかかって来たら、あごひげをつかんでたたきのめします。36 ライオンも熊も、こうしてやっつけてきました。あの、神様を知らないペリシテ人だって、同じ目に会わせてやります。生ける神様の軍をばかにした男ですから。37 ライオンや熊の爪や歯から守ってくださった神様は、あのペリシテ人の手からも、私を守ってくださるに違いありません。」 サウルは、ついに首をたてに振りました。「よし、わかった。行きなさい。主がついておられるように。」
38-39 サウルは、自分の青銅のかぶととよろいをダビデに与えました。ダビデはそれをまとい、剣を持ち、試しに一、二歩、歩いてみました。そんなものを身に着けたことがなかったのです。しかし、「これじゃ、身動きがとれません」と言うや、脱ぎ、40 川からなめらかな石を五つ拾って来ると、羊飼いが使う袋に入れました。そして、羊飼いの杖石投げだけを持って、ゴリヤテに向かって行ったのです。

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41-42 ゴリヤテは盾持ちを先に立て、ゆっくり近づいて来ましたが、まだ初々しい少年だとわかると、ふふんと鼻で笑い、大声で言いました。43 「杖なんか持って来やがって、おれ様を犬っころ扱いする気か。」彼は自分の神々の名を挙げてダビデをのろい、44 「さあ、来い。おまえの肉を鳥や獣にくれてやるわい!」と叫びました。

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45 ダビデも負けずに答えました。「おまえは剣と槍で立ち向かって来るが、私は天地の主であり、おまえがばかにしたイスラエルの主のお名前によって立ち向かうのだ。46 今日、主がおまえを打ち負かしてくださる。おまえの息の根を止め、首をはねてやるからな。そして、ペリシテ人らのしかばねを鳥や獣にくれてやる。すべての国々は、イスラエルに神様がおられることを知るのだ。47 そしてイスラエルは、主が武器に頼らずにご計画を実現なさるということ、神様のなさることは人間の企てとは無関係だということを学ぶのだ。主はおまえたちを、私たちの手に渡してくださる。」

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48-49 近づいて来るゴリヤテめがけて、ダビデは駆け寄りました。そして、袋から石を一つ取り出すと、石投げでビュンとそれを放ちました。石はゴリヤテの額にみごと命中し、額に食い込み、ゴリヤテの巨体は揺らいで、うつぶせに倒れました。

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50-51 ダビデは石投げと石一つで、このペリシテ人の大男をしとめたのです。剣を持っていなかったダビデは、走り寄ってゴリヤテの剣を抜き、それでとどめを刺して、首をはねました。ペリシテ人は自分たちの代表戦士がやられてしまったので、しっぽを巻いて逃げ出しました。 

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52 イスラエル軍は、どっと勝ちどきを上げると、あとを追いかけ、ガテとエクロンの門まで追撃しました。シャアライムへ至る道のそこかしこに、ペリシテ人の死者や負傷者があふれました。53 イスラエル軍は引き返して、もぬけの殻となったペリシテ人の陣地を略奪しました。54 ダビデはゴリヤテの首を持ってエルサレムへ帰り、ゴリヤテが着けていた武具を自分の天幕に保管しました。

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55 サウル王は、ダビデがゴリヤテと戦うために出て行くのを見た時、司令官のアブネルに尋ねました。「アブネル。あの若者は、どんな家系の出なんだ。」 「それが、全くわからないのです。」
56 「そうか。では、さっそく調べてくれ。」
57 ダビデがゴリヤテを倒して帰って来ると、アブネルはその首をかかえたダビデを、王の前へ連れて来ました。17:58 「みごとであった。ところで、おまえの父親はどういう人かね。」王は尋ねました。「父はエッサイと申して、ベツレヘムに住んでおります。」
18:1-3 「サウル王がひととおりの質問を終えたあと、ダビデは王子ヨナタンを紹介され、二人はすぐに深い友情で結ばれました。ヨナタンはダビデを血を分けた兄弟のように愛し、4 「自分の上着、よろいかぶと、剣、弓、帯を与えました。王はダビデをエルサレムにとどめ、もはや家に帰そうとはしませんでした。 5 ダビデは王の特別補佐官として、いつも任務を成功させたので、とうとう軍の指揮官に任命されました。この人事は、軍部からも民衆からも喜ばれました。」
(終)

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#ダビデとゴリアテ
ダビデは主イエスの預言的な型です。そしてゴリアテは、私たちの人生で立ちはだかる様々な困難や問題に例えることが出来ます。
ダビデは小石による一撃でゴリアテを倒し、後に王としてイスラエル王国を打ち立てました。岩(石)なる主イエスも、十字架の贖いと復活による一撃で、罪と死と悪魔と呪いと病と闇を倒し、王の中の王として永遠の神の王国を打ち立てられたのです。イエス・キリストに信頼するなら、決して失望させられることはありません。

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⬆️石投げ器(スリングsling)と丸石

『ダニ2:44 この王たちの時代に、天の神は一つの国を起こされます。その国は永遠に滅ぼされることがなく、その国はほかの民に渡されず、反対にこれらの国々をことごとく打ち砕いて、滅ぼし尽くします。しかし、この国は永遠に続きます。45 それは、一つの石が人手によらずに山から切り出され、その石が鉄と青銅と粘土と銀と金を打ち砕いたのを、あなたがご覧になったとおりです。大いなる神が、これから後に起こることを王に告げられたのです。その夢は正夢で、その意味も確かです。」』旧約聖書ダニエル書2章44~45節
『詩18:1 彼は言った。わが力なる主よ。私はあなたを慕います。2 主はわが巌イワオ わが砦 わが救い主 身を避けるわが岩わが神。わが盾 わが救いの角ツノ わがやぐら。3 ほめたたえられる方。この主を呼び求めると私は敵から救われる。』旧約聖書 詩篇18篇1~3節
『みな、同じ霊的な飲み物を飲みました。彼らについて来た霊的な岩から飲んだのです。その岩とはキリストです。』新約聖書コリント人への手紙 第一 10章4節
『マタ21:42 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、聖書に次のようにあるのを読んだことがないのですか。『家を建てる者たちが捨てた石、それが要の石となった。これは主がなさったこと。私たちの目には不思議なことだ。』43 ですから、わたしは言っておきます。神の国はあなたがたから取り去られ、神の国の実を結ぶ民に与えられます。44 また、この石の上に落ちる人は粉々に砕かれ、この石が人の上に落ちれば、その人を押しつぶします。」』新約聖書マタイの福音書21章42~44節
『使4:10 皆さんも、またイスラエルのすべての民も、知っていただきたい。この人が治ってあなたがたの前に立っているのはあなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの名によることです。11 『あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石、それが要の石となった』というのは、この方のことです。12 この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。」』新約聖書 使徒の働き4章10~12節
『だれも、すでに据えられている土台以外の物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。』新約聖書コリント人への手紙 第一 3章11節
『エペ2:14 実に、キリストこそ私たちの平和です。キリストは私たち二つのものを一つにし、ご自分の肉において、隔ての壁である敵意を打ち壊し、15 様々な規定から成る戒めの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、この二つをご自分において新しい一人の人に造り上げて平和を実現し、16 二つのものを一つのからだとして、十字架によって神と和解させ、敵意を十字架によって滅ぼされました
17 また、キリストは来て、遠くにいたあなたがたに平和を、また近くにいた人々にも平和を、福音として伝えられました。18 このキリストを通して、私たち二つのものが、一つの御霊によって御父に近づくことができるのです。
19 こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なのです。20 使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられていて、キリスト・イエスご自身がその要の石です。21 このキリストにあって、建物の全体が組み合わされて成長し、主にある聖なる宮となります。22 あなたがたも、このキリストにあって、ともに築き上げられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。』新約聖書エペソ人への手紙2章14~22節
『1ペテ2:4 主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが神には選ばれた、尊い生ける石です。5 あなたがた自身も生ける石として霊の家に築き上げられ、神に喜ばれる霊のいけにえをイエス・キリストを通して献げる、聖なる祭司となります。6 聖書にこう書いてあるからです。「見よ、わたしはシオンに、選ばれた石、尊い要石を据える。この方に信頼する者は決して失望させられることがない。
7 したがってこの石は、信じているあなたがたには尊いものですが、信じていない人々にとっては、「家を建てる者たちが捨てた石、それが要の石となった」のであり、8 それは「つまずきの石、妨げの岩」なのです。彼らがつまずくのは、みことばに従わないからであり、また、そうなるように定められていたのです。
9 しかし、あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民です。それは、あなたがたを闇の中から、ご自分の驚くべき光の中に召してくださった方の栄誉を、あなたがたが告げ知らせるためです。』新約聖書ペテロの手紙 第一 2章4~9節
『ヘブ2:14 そういうわけで、子たちがみな血と肉を持っているので、イエスもまた同じように、それらのものをお持ちになりました。それは、死の力を持つ者、すなわち、悪魔をご自分の死によって滅ぼし、15 死の恐怖によって一生涯奴隷としてつながれていた人々を解放するためでした。』新約聖書ヘブル人への手紙2章14~15節
『キリストは自ら十字架の上で私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえにあなたがたは癒やされた。』新約聖書ペテロの手紙 第一 2章24節
『ガラ3:13 キリストは、ご自分が私たちのためにのろわれた者となることで、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。「木にかけられた者はみな、のろわれている」と書いてあるからです。14 それは、アブラハムへの祝福がキリスト・イエスによって異邦人に及び、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるようになるためでした。』新約聖書ガラテヤ人への手紙3章13~14節
『ヘブ9:11 しかしキリストは、すでに実現したすばらしい事柄の大祭司として来られ、人の手で造った物でない、すなわち、この被造世界の物でない、もっと偉大な、もっと完全な幕屋を通り、12 また、雄やぎと子牛の血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度だけ聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられました。』新約聖書ヘブル人への手紙9章11~12節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

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▶️フランス語吹替『David et Goliath - Drame - Action - Film complet en francais- HD 1080 (1:12:28)

Hollywood Action movies 2016 - David and Goliath 2016 - 720p Full English (1:04:40)

▶️The Bible - David and Goliath (3:47)

▶️【聖書の話】//ダビデとゴリアテの戦い(3:47)日本語字幕付き

▶️知られざるダビデとゴリアテの物語(15:29)日本語字幕有り(右上下から選択)by マルコム・グラッドウェル

『逆転!強敵や逆境に勝てる秘密(原題:DAVID AND GOLIATH - UNDERDOGS, MISFITS, AND THE ART OF BATTLING GIANTS)』マルコム・グラッドウェル著(by Malcolm Gladwell) https://amzn.to/2K0PQgy

プロローグ  ダビデとゴリアテ
羊飼いの少年はなぜ屈強な大男を倒せたか

史上最も有名な決闘
 険しいユデア山地と、地中海沿いの広々とした平原のあいだに横たわるパレスチナは、その昔シェフェラと呼ばれていた。息をのむほど美しい景色、ぶどうと小麦が豊かに実り、森が広がるこの一帯は、戦略的にもきわめて重要なところだった。
 シェフェラの覇権をめぐっては、数えきれないほど戦いが行なわれてきた。地中海沿いに暮らす人びとにとって、高地にあるヘブロン、ベツレヘム、エルサレムに行くにはシェフェラの渓谷を通るしかない。最も重要だったのは北のアイジャロン谷だったが、最も多く逸話に登場するのはエラの谷だ。一二世紀、エジプトのスルタンだったサラディンが十字軍と対決したのがこの谷だった。それより一三〇〇年前、マカバイ家がシリアに反旗を翻したときも、ここが舞台となった。だがいちばん有名なのは旧約聖書の時代、建国したばかりのイスラエル王国がペリシテ人の軍勢と衝突した戦いだろう。
 ペリシテ人はクレタ島の出身だ。海を越えてやってきて、海岸沿いに定住した。イスラエル人は初代のサウル王のもと、山岳地帯に肩を寄せあって暮らしていた。ところが紀元前一一世紀後半、ペリシテ人が東に移動を開始し、エラ谷を上流にさかのぼりはじめる。ねらいはベツレヘム近くの山を征服し、サウル王の国を分裂させることだった。好戦的なペリシテ人は、イスラエル人にとって宿敵であり、危険な存在だった。事態を察知したサウル王は兵を集め、彼らを迎えうつべく山を下った。
 ペリシテ軍はエラ谷の南側の尾根に陣をとった。イスラエル軍は北側に陣営を構える。両軍は谷を挟んでにらみあい、どちらも動こうとしなかった。谷底におりて、敵陣に向けてふたたびのぼるのは自殺行為に等しいからだ。しびれを切らしたのはペリシテ軍だった。膠着状態を打開するため、ひとりの屈強な兵士が谷をくだりはじめた。
 彼は身の丈二メートルを超える大男で、青銅のかぶとと甲冑をまとい、槍と剣を手にしていた。大きな盾を構えた別の兵士がその前を歩いている。巨漢の兵士はイスラエル軍の前に立ちはだかり、大音声で叫んだ。「誰かひとり出てきて、俺と対決しろ! 俺を負かしたら、全員奴隷になってやる。だが俺がそいつを倒したら、おまえたちが奴隷になれ」。
 イスラエル軍の陣営は誰ひとり動こうとしなかった。あんな恐ろしい大男に勝てるわけがない。とそのとき、羊飼いの少年が名乗りをあげた。少年は、前線にいる兄たちに食べ物を届けるためにベツレヘムから来たところだった。サウル王は「おまえはまだ子どもではないか。あのペリシテ人は百戦錬磨の戦士だ。とうていかなわない」と難色を示す。それでも少年の意志は固い。「ライオンや熊に羊をさらわれたときも、私はあとを追いかけて猛獣を倒し、羊を取りかえしました」。
 そこまで言われると、サウル王も承諾しないわけにいかなかった。羊飼いは谷底へとおりていく。待ちかまえるペリシテ人は叫んだ。「かかってこい。おまえの肉を天の鳥や地の獣の餌にしてくれるわ」。こうして史上最も有名な決闘が幕を開けた。
 ペリシテ人の大男の名前はゴリアテ。羊飼いの名前はダビデだった。

どんな強者にも弱点はある
 ふつうの人間が巨人と戦うにはどうすればいいか──それがこの本のテーマだ。「巨人」とは圧倒的に強い敵のこと。軍隊や戦士だけでなく、障害、不運、抑圧といったことも含まれる。この本では一章でひとりの人物を取りあげる。有名人もいれば無名の人もいるし、凡人もいれば才人もいるが、共通するのは手に余る挑戦に直面し、それを乗りきらなくてはならなかったこと。ルールを守るのか、おのれの直観に従うのか?  忍の一字で耐えるか、降参するか?  反撃に転じるか、許してしまうのか?
 この本では、章ごとにさまざまな物語を紹介しながら、二つのことを掘りさげていきたい。ひとつは、圧倒的に不利な状況に置かれながらも、あえて戦う道を選ぶ姿は美しく、崇高だということ。勝ち目のない戦いに挑む精神は尊い。そこから扉が開かれて、新しい歴史や価値がつくられる。そしてもうひとつは、どんなに強くて大きい巨人にも、かならずどこかに致命的な弱点を持っているということだ。
 だが現実には、巨人の迫力に圧倒され、戦わずして逃げだす人がほとんどだろう。そんな人たちが一歩前に踏みだすために、的確な指南書を用意したい。そんな願いを込めたのがこの本だ。
 ゴリアテがイスラエルの軍勢に対して要求したのは「一騎打ち」だった。古代世界ではおなじみの形式だ。全面衝突で多くの血が流れるのを避けるために、代表者一名どうしが決闘する。紀元前一世紀のローマの歴史家クィントス・クラウディウス・クァドリガリウスは、ガリア人とローマ人の戦いで起きたこんなエピソードを紹介している。ガリア兵に挑発されて、「高貴な生まれの若者ティトゥス・マンリウスが憤激し、ガリア兵に決闘を申しこんだ」。

 勇壮で知られたローマ人の顔に泥を塗られたままでなるものかと、軍団の盾とスペイン風の剣で武装したマンリウスは前に歩みでた。一騎打ちの舞台はアニオ川にかかる橋の上だった。二人は正面からにらみあう。ガリア兵は伝統にのっとって盾を構え、攻撃に備える。マンリウスは勇気ひとつを頼みに、自分の盾もろとも相手に体当たりした。ガリア兵が体勢を立てなおそうとするところへ、さらに体当たりを食らわす。ついに形勢が逆転し、敵のふところに飛びこんだマンリウスは剣を相手の胸に突きたてた……マンリウスはガリア兵の首を切りおとし、その舌を引きぬくと、血まみれの舌を自分の首に巻いた。

 戦士どうしの一騎打ち──ゴリアテもそれ以外の形は想像もしていなかった。そこで相手の攻撃から身体を保護するために、青銅の鱗をびっしりつけた鎧で、上半身から腕、ひざまでおおった。その重さたるや五〇キログラムは下らなかっただろう。さらに脚にも薄い青銅板をかぶせた。かぶとも重たい金属製だ。武器は接近戦で威力を発揮するものばかりで、盾や鎧さえも突きぬける槍、腰から下げた剣、それに「柄が機の巻き棒ほどもある」短い投げ槍だった。投げ槍には紐と重りが付いていて、標的に正確に命中させることができた。歴史家モシェ・ガーシールはこう書いている。「太い柄の先に長く重たい鉄の刃がついているこの槍を、ゴリアテがその強靱な腕で投げれば、青銅の盾も鎧も突きとおすだろう。イスラエル人はそう思ったにちがいない」。これでは、ゴリアテとの一騎打ちを志願する兵士などいるはずがない。
 そこに現われたのがダビデだった。サウル王は自らの剣と鎧を与えようとするが、ダビデは断る。「鎧は不慣れなので、着けると歩けません」。代わりにダビデは丸石を五個拾って肩から下げた袋に詰め、羊飼いの杖を持って谷をくだっていった。敵軍からやってきたのが百戦錬磨の戦士ではなく、貧しい羊飼いの少年だったので、ゴリアテは気分を害する。あんな粗末な杖で自分の剣と戦おうというのか。ゴリアテは言った。「棒きれ一本で向かってくるとは、犬並みの扱いだな」。
 だが、伝説はそこから始まった。ダビデが革製の投石器から放った石は、ゴリアテの無防備な額に命中する。不意を突かれたゴリアテはその場に倒れた。すかさずダビデは駆けよってゴリアテの剣を奪い、ひと振りで巨人の首をはねた。「ペリシテ軍は、自分たちの勇士が殺されたのを見て、逃げ出した」とサムエル記上には記されている。
 どう見ても勝ち目のない弱者が、戦いで奇跡的に勝利をおさめる。私たちは歴史を通じて、そんな逸話をいくつも語りついできた。「ダビデとゴリアテ」といえば「ありえない勝利」を意味する慣用句になっているほどだ。

必ずしも剣や槍で戦う必要はない
 古代の軍隊には三種類の兵士がいた。まず馬や戦車を駆る騎兵。次に鎧を着け、剣と盾を持つ歩兵。そして三番目が擲弾兵。いまで言う砲兵で、弓や投石器を使う。投石器とは袋状になった革の両端をロープにくくりつけたもの。石や鉛球を革に入れて振りまわし、勢いがついたところでロープの片方を放すと、石が前方に飛んでいく仕組みだ。
 投石器を使いこなすには高度な技術と習練が必要だが、名人が扱えば威力充分の飛び道具になった。中世の絵画には、投石器で飛んでいる鳥を射止める場面がえがかれている。アイルランドには名手が多く、はるか遠くにかろうじて見える硬貨にも命中させたという。旧約聖書の士師記には、兵士の投げる石は「髪の毛一筋」の精度があったと書かれている。経験を積んだ投石兵であれば、二〇〇メートル離れた敵を即死させたり、重傷を負わせることもできた(* 1)。古代ローマ軍の兵士は、投石器の犠牲になった兵士の死体から、めりこんだ石を取りのぞく特別な石ばさみを携行していたという。たとえばメジャーリーグのピッチャーが、自分の頭めがけてボールを投げてくるところを想像してほしい。投石器の威力はおおよそそんなところだ──しかも飛んでくるのはコルクと革でできた野球のボールではなく、固い石である。
 歴史学者のバルーク・ハルパーンは、古代の戦闘において投石器がこれほど重要な役割を持っていたおかげで、三種類の兵士はちょうどじゃんけんの石、紙、はさみのようなバランスを保っていたと考える。長槍と鎧で武装した歩兵は騎兵を寄せつけない。騎兵はすばやい動きで擲弾兵の攻撃をかわすことができる。重たい鎧のせいで動きがままならない歩兵は、一〇〇メートル離れた擲弾兵にとって格好の標的だった。ハルパーンは言う。「ペロポネソス戦争で、アテナイのシチリア遠征が失敗に終わったのは、まさにそれが理由だった。アテナイ軍の重歩兵が、山中で敵軍の軽歩兵が使う投石器によって壊滅させられた様子を、トゥキディデスは詳細に記録している」。
 ゴリアテもまた重歩兵だった。彼が想定していたのは、自分と同じ重歩兵との一対一での戦いだ。「かかってこい。おまえの肉を天の鳥や地の獣にくれてやろう」と言ってダビデをけしかけたように、相手が至近距離までやってくることが前提だった。サウル王がダビデに鎧を着せ、剣を持たせようとしたのも同じ意図からだった。
 ところがダビデ本人は、決闘の決まりごとに従うつもりはさらさらなかった。羊の群れを襲うライオンや熊を倒したことがあるというダビデの主張は、自らの勇気を示すだけでなく、野獣と同じように投石器でゴリアテと戦うという意思表明だった。
 ダビデはゴリアテに向かって走りだした。重たい鎧を着けていないおかげで、身軽に動くことができたのだ。そして投石器の袋に石を入れ、ぐるぐると振りまわす。その速さが一秒に六 ~七回転に達したところで、ゴリアテの唯一の弱点である額めがけて石を発射した。イスラエル軍の弾道学の専門家エイタン・ヒルシュは、熟練者が三五メートル離れたところから平均的な大きさの石を発射すると、時速一二〇キロメートルの速さに達すると計算した──額に命中すれば頭蓋骨にめりこみ、即死か意識不明だ。敵の威力を奪う目的なら、現代のピストルと遜色ないだろう。ヒルシュはこう記している。「ダビデが投石器を構えてからゴリアテを倒すまで、一秒強だっただろう。その場にじっと立っていたゴリアテが、石をよける時間はなかっただろう」。
 ゴリアテにはなすすべもなかった。五〇キログラムの鎧をまとって敵の攻撃を防ぎ、手に持っている槍でひと突きしてやろうと、その場に仁王立ちになっていたのだ。こちらに走ってくるダビデを見ながら、最初はせせら笑っていたにちがいない。しかし、これは自分が予想していた戦いではないことに気づくと、驚き、そして恐怖が彼の心を支配しただろう。
「おまえは剣や槍や投げ槍でわたしに向かって来るが、わたしはおまえが挑戦したイスラエルの戦列の神、万軍の主の名によっておまえに立ち向かう。今日、主はおまえをわたしの手に引き渡される。わたしは、おまえを討ち、おまえの首をはね……主は救いを賜るのに剣や槍を必要とはされないことを、ここに集まったすべての者は知るだろう。この戦いは主のものだ。主はおまえたちを我々の手に渡される」。(サムエル記上17章45~47節)
 ダビデが二度も剣と槍に言及したのは、自分の戦いかたが敵と根本的に異なることを強調したかったのだろうか。彼が石を取りだしたとき、谷の両側で成りゆきを見守っていた両陣営は、ダビデが勝つとは夢にも思わなかった。しかしダビデは、飛び道具で重歩兵を一撃のもとに倒した。
 歴史学者ロバート・ドーレンベントは書いている。「ゴリアテに勝ち目はなかった。青銅器時代の戦士が剣で立ち向かうその相手が、 45口径ピストルを持っていたようなものだからだ(* 2)」。

巨人と戦うときの教訓
 ダビデとゴリアテの対決は、愚かで誤った思いこみだらけだった。そのひとつが、力に対する思いこみだ。サウル王が勝ち目はないと考えたのは、ダビデが小柄で、ゴリアテが巨人だったから。つまり腕力のあるほうが強いと信じて疑わなかった。だが力は腕力だけではない。常識をくつがえし、すばやく意表を突くことも大きな力になりうる。サウル王から時代を隔てた私たちもいまだに同じ思いこみにとらわれ、それが子どもの教育から、犯罪対策まであらゆる面に影を落としている。
 だがもうひとつ、さらに根が深い問題がある。サウル王をはじめとするイスラエル人たちが、ゴリアテに対して抱いた思いこみだ。彼らはゴリアテをひと目見て無敵の戦士と判断したが、ほんとうの姿を見ぬいてはいなかった。実際、ゴリアテの行動は不思議なものだった。谷底におりてきた彼は盾持ちに前を歩かせていたのだ。盾持ちは弓兵に随行することが多い。弓矢を使っていると自分では盾で身を守れないからだ。だがこれから一対一で戦うゴリアテが、なぜ盾持ちを伴わなくてはならないのか?
 それだけではない。ゴリアテはダビデに「さあ、来い」とけしかけた。なぜ自分から向かっていこうとしないのか?  旧約聖書ではゴリアテの動きの鈍さが強調されているが、無限の力を持つ勇士にしてはそれもおかしな話だ。ダビデが剣も盾も持たず、鎧も着けずに斜面を下ってきたのを見たゴリアテは、もっと早く反応できなかったのか。しかし彼はダビデの格好を不審に思うのではなく、侮辱されたと感じた。自分の置かれた状況に無頓着だったのだ。「私は犬か。杖を持って向かって来るのか」というゴリアテの発言も不思議だ。原文ではこの杖が複数形になっているが、ダビデは一本しか杖を持っていなかった。
 現代医学の専門家のあいだでは、ゴリアテは先端巨大症をわずらっていたというのが定説になりつつある。脳下垂体にできた良性腫瘍によって、成長ホルモンが過剰に分泌される病気だ。ゴリアテの身体が人並みはずれて大きい理由もそれで説明できる(史上最も背の高い人間としてギネスブックに記録されているロバート・ワドローは、死亡時の身長が二メートル七二センチで、死んだあとも身長が伸びていた)。
 先端巨大症の症状のひとつに視覚障害がある。脳下垂体にできた腫瘍が大きくなり、目につながる神経を圧迫することで、視野が狭くなったり、ものが二重に見えたりするのだ。だから盾持ちの兵士は、目の悪いゴリアテの先導役だったのである。ゴリアテの動きが鈍かったのも、視界がぼやけていて、ダビデが意外な戦法をとったと気づくまで時間がかかったからだ。それどころか、ダビデがすぐそばに来るまでゴリアテには見えなかったにちがいない。「かかってこい。おまえの肉を天の鳥や地の獣にくれてやろう」という言葉にも、ゴリアテの弱点が隠れていた──もっと近くに来ないと、おまえがどこにいるかわからないじゃないか、と。不可解な杖についてもこれで納得できる。ダビデが持っていた杖は一本だが、ゴリアテには二本に見えたのだ。
 谷の上にいるイスラエル人たちには、ゴリアテは恐ろしい巨人に見えたことだろう。しかし実際には、ゴリアテの並みはずれた体格こそが最大の弱点だった。どんなに強そうでも、見た目ほど強いとはかぎらない──これはあらゆる巨人と戦うときに役だつ大切な教訓だ。
 ダビデは勇気と信仰を原動力としてゴリアテに向かっていった。ゴリアテは身体が大きいばかりで動きもままならず、視界も悪い。何が起こっているのかわからないまま、ゴリアテは倒されたのだ。だが私たちは、長年この逸話を誤った形で理解してきた。それを正しく語りなおしていこうというのが、この本だ。

(1)現代ではラリー・ブレイが一九八一年に達成した四三七メートルが世界最長記録だ。ここまで距離が伸びるとさすがに精度は落ちる。
(2)イスラエルの軍人・政治家で、一九六七年の第三次中東戦争では国防相として勝利に貢献したモーシェ・ダヤンも、エッセイのなかでダビデとゴリアテに言及している。「ダビデがゴリアテと戦ったときの武器は、劣っているどころかむしろ優秀だった。ダビデが偉かったのは、はるかに強い相手との戦いに自ら臨んだからではない。弱い者も武器の使いかたしだいで立場を逆転させ、優勢になれることを知っていたからだ」。

(プロローグ 終)

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【福音】新しく生まれ変わる!(新生の祝福)
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【預言の学び】預言とは&個人預言を受ける際の注意点(改訂版)
イエス様もなさった個人預言 の聖書の実例の解説、現在の個人預言の映像リンク集付き
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【なぜ、ライジング・デスティニー(シャイニング・デスティニー)を始めたのか(過去20年間の日本宣教史年表付) 】
【The Reason We started Rising Destiny (Shining Destiny): The History of Japanese Mission in the Past 20 Years】
https://note.mu/risingdestiny/n/nc415e4303df2

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