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モノローグでモノクロームな世界

第四部 第一章
二、
 一緒に暮らすことにより、この関係性が変わること。
それを全く意識していなかったと言ったら、やはり無理があるだろう。
だが、私達はいつも何処かで、変わる事に対して、二の足を踏み続けた。

そうして、私達の緩やかに始まった同居生活は、やがて荒波に呑み込まれたボートのように転覆の一途を辿っていった。

 きっかけは些細な事だった。
それらが幾層にも重なり、気が付いた時にはそこから抜け出せなくなっていた。
 二葉 麻衣。
彼女は言うなれば、自己アピールが上手く、更に言えば自分の事が大好きだった。別にそれ自体は悪い事ではない。自分の事が大切なのは当たり前の事だし、大嫌いで生きるよりも遥かに生きやすいのは間違いないのだから。
 彼女が少しだけ特殊的だったのは、自分がいつでもどんな集団の中に居ても一番でなければ許せなかったことだ。その為ならば、他者をどんな手を使っても自分よりも下に堕とす事も厭わなかった。
 流行物を取り扱う雑誌の中から現れたように一分の隙も見せない彼女は、いつも高い声で自らを可愛く見せていた。それを私は傍目で見て、少しだけ羨ましいとすら思った。あんな風に、自分をさらけ出すことが出来たならば、もっと生きる事に楽であっただろうと。
それと同時にこうも思った。
彼女により傷ついた者のその痛みに気づけない者は、自分の痛みにすら気づけないだろうと。

 その授業は、単位が中々取れないことで有名だった。
必須の授業だというのに、出席日数による判定もレポートによる判定も無い。成績は、期末に行われるたった一度のテストだけ。しかもそのテストが難題だった。
 授業に出席をしていない者は無論の事、真面目に授業を受けていたとしても、受験だけに即した入学したばかりの学生の頭を覚めさせるには、十分すぎる程、それは難易な代物だった。学校側としても、毎年、一科目のせいで留年者が続出しては困ると考えたのだろう。テストに不合格だったものは、追加のレポートを複数仕上げる事で、単位が認定される。多くの学生は、半ば諦めたようにテストで合格をする事よりも、いかに効率よくレポートを仕上げるかに重点を置いていた。その中で、何故か、二葉麻衣だけがこのテストで合格することに躍起になっていた。
 
 誰よりも目立たずに四年間を過ごす事。
間違っても、テストで満点を取らないようにわざと手を抜いている事、間違ってもレポートやテストで必要以上に良い成績を取らないこと。
それが、私にとって平和な学生生活を過ごすために大切な事だった。
特に彼女のような人物に目をつけられたら、最悪だ。
そう分かっていた筈だというのに、私はまたも間違えてしまった。
「知らなかった。李鳥って、頭、良かったんだね。ごめんね、馬鹿な私達なんかに付き合わせちゃって。」
麻衣がそう静かに言うのを背に受けながら、私は彼女の前の椅子に座った。

その日から、分りやすいように彼女は私を目の敵にした。
きっと、彼女のプライドを粉々にしてしまった私を、徹底的に貶めなければ、彼女のプライドが保てなかっただのだろう。
私は、それを自分への罰として受け止めた。
自分への約束を破った、自分への罰として。
 
 彼女のやり方は、高校時代のように白い眼で見られるよりも、陰湿でかつ周囲への影響を考えるならば効果的だった。
ある事、無い事、個人への誹謗中傷がネットいう海の中で一人歩きしていった。子供じみたその行為は、歯止めが効かないように一気にエスカレートしていった。
 今思えば、彼女は私がそれを静かに受け止めたことが許せなかったのだろう。後になってその事に気づいても、それはもう止めることはできなかった。
 無論、大学に相談することも出来ただろう。だが、私にとって、その選択は、これ以上最悪の事態を巻き起こすだけだったのは明白であり、私自身から相談することは無かった。もしも、大学から今回の件で実家に連絡が入れば、私は間違いなく、あの町に、あの家に引き戻されるであっただろう。
それは、無論、私の事を心配して、ではなく、これ以上面倒な事を起こすなという理由で。
そして、それだけはどうしても避けなければならない事だった。
 家には戻りたくない。
だが、大学に行けば、二葉麻衣という蜘蛛が私を食べるために待っている。
その板挟みに、私は何度も足を止めた。
 変化は目に見えて現れていった。
私の成績は坂道を下るように、下降の一途を辿った。学校に居ない時ですら、私の失敗を望む者達により、見張られているような恐怖が常に、私を襲った。
物を食べることも、眠ることすらも、恐怖に変わる日々。

 彼に相談をしようと何度も口にしかけた。だが、その頃の彼は自身の研究とバイトに明け暮れ、毎日睡眠時間を削っているような状態だった。ただでさえ、何の関わりも無い、ただの居候の身だ。彼にこれ以上心配をかけたくない。それに何よりも、私は彼に自身の弱い所を見せたくなかった。
 数か月そんな状態が続いた。夏休みも目前のその頃には、何日間も眠れない状態が続いていた。体が限界を起こし、失神するように眠る悪循環を繰り返す日々。
 大学に行くのは、どうしても必須な授業がある時だけ。食事は人前で取る事ができず、簡易的な食事に頼る日々。いつしか体は骨ばみ、存在自体も空気のように、消えていくような軽さを私自身が感じていた。
もう、その頃には、二葉麻衣の中からも、皆の中からも、私という存在は、そこら辺に転がっている石ころにも満たないような存在になっていたことだろう。
だが、私の中の恐怖心だけは薄れることはなかった。
「どうして、李鳥は周りの子に合わせられないの?本当に、手のかかる子ね。」
「ほら、××ちゃんを見習いなさい。こんな簡単な事ですら、出来ないなんて。なんて馬鹿な子なの。こんな子と同じ苗字だなんて、あの子が可哀そうだわ。」
その頃よく見ていた夢は思い出したくもない夢ばかりだった。

 全ては私が弱すぎるからだ。
あの人が認める子でなければなかったのに。
もしも、真飛に捨てられたならば、どうしたらいい?
もう、此処の他には、何処にも私の居場所は無いのに。


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