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アラベスクもしくはトロイメライ 19

第四章 三

 「風花の日記を見せてもらえませんか。」
暗い教室で彼と二人きりで向かいあうのは、二度目の事だった。部屋には、私と櫻井先生の二人の姿のみ。余計な外野をいかに排除するかで頭を悩ませていた私にとっては、好都合と言える状況だ。だが、かといってこれでハードルが下がったわけではない。むしろ、目の前の櫻井道隆というハードルをいかに攻略するかの方が難しい事を私は勘で悟っていた。

「何で見たいの?君のそれは好奇心・・・・・・でもないか。」
「風花が何に悩んでいたのか、今の私には思い出すことができないんです。クラスの子達が話していたように、私は風花とよく一緒に居たのにも関わらず。でも、風花が書いたものを読めば、何か思い出すことができるかもしれない。今更って、先生は思うかもしれないけれど、私は風花が何で自ら死を選んだのか、その答えが知りたいんです。」
 少しばかりの嘘と少しばかりの真実を、感情が透けて見えないように、淡々と話す。それは、華唯から伝授された嘘のつき方だ。そして、華唯の魔法は、いつだって完璧だ。櫻井道隆は、しばし考えた後、鞄から一冊のノートを取り出すと私の前に置いた。青い表紙は、色あせることなく、そのままの色で私の目を刺す。
 表紙を捲るとそこには、この学園に入ってから風花が死ぬまでの沢山の日々の出来事や感情の変化が、奇麗な字で記されていた。私が知る風花も知らない風花も、沢山の風花がそこには居た。苦しみ、悲しみ、寂しさに押しつぶされそうな風花。些細な出来事を楽しそうに綴る風花。そして、私の拙い話の感想もそこには、記されていた。
「風花は、自分のことをよく、無色透明だって言っていた。」

 誰も気が付かないの。

               −ねぇ、誰か気づいて。

「でもい、ここには沢山の風花の色がある。」

 名もない私が消えても、誰も気が付かない。

               ーねぇ、私はここにいるよ。

「私達、誰も風花の色に気づいてあげられなかった。
色は光の反射。それでも、青空に私達は感動する。
夕焼けが奇麗だと、それだけで泣く人もいる。
偽物でも、私達の目の前にいた風花が、私達の風花だと、伝えてあげられなかった。風花は言っていた。名前の無い自分の代わりなんて、沢山いるし、今ここで自分がいなくなっても、誰も困らないって。」
 でも、砂奈ちゃんは違うでしょ。私、本当は砂奈ちゃんの事が羨ましかったんだ。だって、いつだって物語の中では自由だし、何より樋賀砂奈は紛れもなく貴方一人だけだもの。
「・・・・・・君は、花園風花が死んだのは、自身の生い立ちが原因だと思っているのかな?」
「・・・・・・はい。前に、文化祭の準備の時に一日だけ、クラスの皆と一緒に学校に泊まったことがあるんです。あの時、どういう経緯か忘れてしまったけれど、道長さんが山で遭難しかけたことがあるって話していて。その時、風花が私の隣で私にだけ聞こえるように、自分の事を話してくれたんです。あの時の風花は、そんなに深刻そうじゃなかったし、あの後も、その話題を出すことはなかったから、だから、冗談か何かだって思って。・・・・・・まさか、死ぬなんて思わなかった。
 風花は・・・・・・自分の死の真相を、皆に知られること、特に、家族に知られることを嫌がると思います。だから、先生お願いです。風花の秘密をこれ以上、詮索しないで。」
 少しの嘘と少しの真実。今日の目的は、最初から風花の日記を取り戻すこと。風花の真実を隠すための最大の障害、それがこの日記だ。華唯によれば、この日記には風花自身の秘密についても、なぜその秘密を知ってしまったのかも、全て事細かく書いてあるらしい。下手をすれば、彼女自身が隠したかった本当の秘密、本物の風花が誰かについても書かれているかもしれない。華唯はそう私に話した。
『砂奈、あの日記が櫻井先生の手の中にある内は、何を砂奈が書いても、言ってもそれは嘘になってしまう。本当に勝る物はないんだから。だから、あの日記を取り戻して、一緒に燃やしましょう。それが、あの子にできる私達の唯一の弔いよ。砂奈は、花園風花の遺書を作って。後は私が全てやるから。』
華唯の指示通り、私は風花の嘘の遺書を創った。後は、風花の日記を私達の手で燃やすだけ。
私達で私達の花園風花を弔うために。
そのためならば、例え、神様を裏切ったとしても私は平気で嘘をつくし、平気でこの身を汚す。
「そのノート、どうするつもり?」
「え?」
「君は、最初から俺の質問に答えるつもりでここに来たわけじゃないんだろう?君が今日ここに来た目的は、花園風花の日記を取り戻すつもりだ。まぁ、盗んだりしないだけまだましか。違うかな?死にたがりの樋賀砂奈さん?」
 『人って、本当の事を告げられると、反発するか、服従するか、そのどちらかよ。』
その言葉通り、咄嗟に睨みつけた私の視線をはぐらかしながら、櫻井道隆は話続ける。その様子を見つめながら私の頭の中を言葉があふれては消えていく。
誰かに解ってもらいたかったの?
本当は誰よりも、死を願っている事を。
それとも誰にも知られたくなかったの?
明日が来ない事を密かに祈っている事を。

なんて、滑稽なのだろう。
華唯が話していた通りの反応を示す、自分が可笑しくなり、彼の声が聞こえなくなる程、笑いだす。
 私は笑いながら、駄々をこねる子供のように泣き出した。

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