モノクロの写真

モノローグでモノクロームな世界    第一部 第二章 二

二、
 今の衛生歴とかつての西暦の一番の大きな違い。それが『太陽』の存在の有無だった。365日、当たり前のように遥か高い宇宙空間から地上の人々を照らし、あまたの信仰の対象となり、常に地球を熱してきた太陽は、衛生歴に入ると、否、あの惨事により地下に潜った人々が再び地上へと戻った時には、すっかりその姿がを隠してしまった。
地下から這い出た人々が見た光景は、暗闇と凍てつく寒さに覆われた極寒の荒野だった。
 太陽が姿を消した理由について、その原因もそして解決策も未だ解明不能のまま、あまたの有象無象の説が無責任に浮上しては、無責任に霧のように立ち消えていった。中にはあの惨事を起こした人類に対する罰だという迷信めいた説も、まことしやかに人々の口に上った。
 何れにしろ、僕らの世界は二十四時間常に闇に覆われ、夜になると月だけが毎夜顔を覗かせる。人類の危機に直面し、急激に発達していった科学技術により、現代では昼時間の間だけ白い光がドーム内を太陽の代わりに地上を照らし、循環エネルギーにより、人間が生存するのに丁度良い湿温管理が徹底されたお陰で、僕らの生活は快適極まりない物へと変貌したが、地下から這い出た衛生歴初期の人々が味わった苦労は想像を絶している。
 とは言え、僕らの世代においても太陽の恩恵に預かれないことによる弊害は沢山ある。その極めて大きなウェイトを占めているのが食糧問題だ。
 西暦と違い、衛生歴では、作物を栽培することも、摂取することも極めて困難になった。かろうじて、肉は今でも市場で売買されることがあるが、家畜そのものの頭数が激減した事、また餌である穀物が極少量でしか出回らない事により、必然的に高級品となり、一般市民では到底、手を出せない。無論、穀物、農産物に関しては、そもそも市場に出回る事自体が無いに等しい。魚類においても、壁の外へ命の危険を冒してまで、漁を取るものもおらず、人々の頭から『魚』という単語すら消えてしまったのが現実だ。
 肉というだけで、高額で取引されることから、壁の外の得体の知れない害獣の肉を加工し、販売する業者が後を絶たず、違法取引の罪で検挙されたとの報道を一時期よく目にしたものだ。
 では、普段、僕らは何を食べているのか。
それは政府から支給される栄養剤、カプセル、それに僅かな携帯食糧や衛生ドリンクが僕らの主な食糧だ。無論、生の野菜や肉、魚、果物よりも栄養も味も見た目も劣る。そんな食生活の中で、このトリプルは大きな役目を果たしていた。

 トリプル・システム。それは、人々の生活をサポ―トするシステム名の総称であり、このトリプル・システムに組み込まれているマイクロチップ入り栄養補助剤の事をトリプルと呼ぶ。
 トリプル・システムはその名の通り、三つのシステムを冠した総称だ。三つのシステムとは、第一に医療システムの構築、第二に感情抑制プログラム、第三に衛生ポイントによる管理体制強化を指す。これらのシステムはナインヘルツ主導の下、世界共通のシステムとなっている。
 
 急激な環境変化についていけなかった衛生歴初代でよく発生した、栄養失調や病死のケースを踏まえ、全世界一丸となり執り行われたのが医療システムの大幅な改革であり、この改革の下、トリプル・システムは生まれた。その改革とは、西暦時代は当たり前だった病気を発症してから治すという考えに基づく医療から、病気や怪我を引き起こす前に、徹底的に危険因子を減らし、個々人の体格や性別、年齢、遺伝情報、環境因子に合わせた適切な予防医療を施すオーダーメイド医療への完全移行だった。
 生まれた時から環境や遺伝情報に基づく、個々人の病気や怪我におけるシュミレーションが作られ、日々のトリプルによる管理、更には実際にその前兆が見受けられた場合には、直ちに最善の医療が施される。例えば、軽微な例を挙げれば、少し風邪気味だなと本人が感じる前に、異常を感知したトリプルが、異常感知の情報をトリプル・システムへと送り、その情報が直ちに管轄の衛生管理局へと飛び、衛生管理局に属する衛生委員により、本人の手元に必要な薬が届けられる。無論、怪我に関しても同様の措置が取られる。たとえ仮に、人気の無い場所で意識を失ったとしても、次に目を覚ます時には、白いベッドの上で、白衣を着た沢山の衛生委員や医師、看護師に囲まれていることだろう。
 つまり、トリプルにより、僕らは衛生的に徹底的に管理され、未来の病気に怯える事無く、より健康的でかつ安全な生活を送れるという訳だ。
 トリプル・システムの第二の機能、感情抑制プログラムは、トリプル・システムが構築され、ようやく国や世界が形を伴ってくる中で起こったある現象に対処する形でその機能を構築していった。
 僕達のような衛生歴生まれの人間には、太陽が無いことも、青空が無いことも、このどこまでも白い世界も見慣れた光景だったが、西暦と衛生歴の狭間の世代は、白い世界に戸惑い続けた。無論、徐々に適応していく者が多かった一方で、新しい国の施設や居住空間の建設ラッシュの最中によく聞かれたのが、『自殺』の二文字だった。
 新しい世界を受け入れられなかった大人達と新しい世界を当たり前と認知する子供達。
そのどちらが正しいのかは分からないが、各国の衛生委員会もナインヘルツ
も、無論この現象を見過ごさなかった。彼らが何をしたのか。それは、トリプル・システムにより不必要な人口減少を食い止めるために、これを機に国民の感情抑制プログラムを発動したのだ。
 具体的には、人々の感情を数値化し、閾値の概念を設け、一定数以上の強すぎる数値、あるいは低すぎる数値の持ち主に対して、警告や薬、あるいは浄化プログラムを強制的に行うというものだった。これにより、今ではマドカのように自殺する者は極めて激変し、皆が精神的に奇麗な状態を保てるようになったというのが、ナインヘルツも含め社会の評価だった。
 そして、第三のシステムは、衛生ポイントによる管理体制強化だ。全世界の九つの国の代表である衛生委員により組織化された世界連合組織、ナインヘルツが衛生歴2年に発令した所謂、ヘルツ宣言。ヘルツ宣言は西暦1946年、かつてこの世界に存在していた61ヵ国により署名され、西暦1947年4月7日にその効力を発生した、WHO憲章を改定する形で発布された。
 それによれば、ヘルツ宣言は、九つの当事国の憲法よりも、事実上強い効力を有し、その概要は、いかなる人々もこの社会において、肉体的精神的生命の維持、その権利を施行することにおいて、いかなる制限も受けないことを謳うと共に、いかなる人々も、社会に対し各々の役目を全うする義務があるとしている。
 つまり、僕らは命や生活、人生を全うする権利を守られていると同時に、社会において、各自が決められた役割を果たす義務があるという事だ。そして、その社会に対する義務を可視化する意味で設けられたのが、衛生ポイントだった。衛生ポイントは、全世界共通の単位で取り扱われ、年代、人種、地域に関わらず、全世界の人間、生まれたばかりの赤ん坊からベッドの上で眠り続ける老人まで、その命を全うするまで一人一人それぞれにつけられる。衛生ポイントは、通貨としても取り扱われ、年単位で加算や減算がされる。衛生ポイント数が多ければ多い程、嗜好品や広い家、質の良い衣類や調度品、サービスが受けられ、その逆に衛生ポイントが余りに少ない場合、社会への貢献度が低いと認識され、浄化プログラムの対象となる。
 ポイントの稼ぎ方は人それぞれだが、このポイントは社会への貢献度と比例する為、貴重職種やボランティアへの参加、あるいは育児や介護などでもポイント数が大幅に増加する。
導入直後は、これにより貴重職種への就職希望が後を絶たなかったと言う。流石に、今では一つの職種に希望が殺到するような事態は減少しているが、それでも子供の就職先として、貴重職種を希望する親は多いし、それにつけこんで、闇市場では他人の衛生ポイントが売買されている。
 衛生ポイントは、西暦時代のように実物の貨幣ではなく、仮想通貨、つまり実体の無い通貨としてやり取りされ、この通貨を管理するのが、ウェアラブル型の端末だ。端末には政府から通常支給される腕時計型の他に、僕がつけているような瞳に装着するコンタクト型、あるいは手に持つタブレット型がある。機能はどれも共通しており、衛生ポイントの売買を含む管理だけでなく、行政機関サービスの利用、翻訳機能や教育関連などの各種サービス、通信機能や電化製品等の補助的なサービス機能、トリプル・システムと連携した健康状態や感情抑制機能の確認、他人の第一情報の閲覧等様々な機能を有している。僕らの日常は、トリプル・システムやこれらのウェアラブル端末無しでは満足に生活することができないだろう。
 町の多くのサービスは民間、行政含め、氏名や年齢、性別、国民IDといった第一サービスの提供無しでは受けることができないし、万が一、この第一サービスの提供においてエラーが出た場合は、お店に入ることも、公共機関を利用することも、学校や会社に行く事すらできない。

 安全と安心。
それらはお互いの信頼の下で、初めて成り立つ物だ。僕らはそれを得るために、個人の情報、プライバシーという言葉を捨てた。
街の情報も、個人の基本的情報も並列で扱われ、常にお互いがお互いを共有し、監視しあう世界。ぼくらはそんな空間で生活をしている。
『私達は究極的に他者との共存を目指す。』
『この国に暮らす皆が、一つの家族。』
 バスに乗れば、運転手の名前、年齢、家族構成、隣に座る人物の名前、職業、そして今彼がどんなリスクに犯されているのか、直ちにトリプル・システムが僕に教えてくれ、逆に僕も彼らに名前や年齢、職業等の情報を与えている。
 個人情報の尊さが歌われていた西暦時代ではとても考えられないことだろうが、お互いがお互いを監視するこのシステムにより、危険感知能力も危機回避能力も上がり、また大幅に犯罪も減り、たとえ犯罪が起こったとしても、無数の人々、施設の監視網により、早期の事件解決が可能となった。殺人や窃盗、その他様々な事件の捜査のみを行う機関はその機能を果たす機会を奪われ、遂には解散。街の治安を守るために存在する衛生委員会に、その機能は集約された。
 このように僕らが安心して健全に生きるために、トリプル・システムは不可欠であり、その機能を最大限に利用するためにも、毎日のトリプルの摂取は不可欠だった。

 

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