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モノローグでモノクロームな世界

第三部 第三章
一、
 「着いてきて。」
部屋の何処からともなく聞こえてきた声に、声の主を探すと、彼女は部屋の扉に手をかけ僕を真っ直ぐに見つめていた。
腰まで届く白く長い髪と同じに真っ直ぐ見つめる視線。闇市の門で合言葉を言い合った少女は、僕が首を縦に動かしたのを見ると、その長い髪の毛を翻しながら扉の奥へと消えていく。
慌ててぎしぎし音をたてるソファから腰をあげ、少女の後を追う。
 診療所兼応接間の扉を抜けると、地下へと続く階段が続いていた。少女が持つ小さなランプでは足下がおぼつかない程、暗闇が舞う。僕らはそろりそろりと一段ずつ下へと下っていく。やがて、辿り着いたそこは、どうやら居住スペースとして使われているようだった。階段を降りた両隣に二部屋その向かいに三部屋、合計五部屋の一番端の部屋の扉を持っていた鍵束で開くと、階段を降りる最中、終始無言だった少女がその小さい口を開いた。
「ここ、マドカの部屋。・・・・・・もう、使う人はいないから、好きに使っていいわ。」
ざっと部屋の中を見渡す。
白いシーツがかけられた小さなベッドと机。机の上には、本が何冊か残されているだけだった。その他には調度品も無ければ、マドカの物と解る物は何も残されていなかった。その殺風景さがまた、彼女らしいと言えば彼女らしかった。
「君は?」
「私達は、自分達の部屋があるから。」
「あぁ、ごめん。そういう意味じゃなくて。僕はミハラケイ。君は?」
「ルウ。流れる雨って書くの。」
「漢字、知っているんだね。」
「いいえ。自分の名前だけ。クジョウが、意味を教えてくれたの。」
「クジョウ?」
「さっきの医者よ。」
小さな声で話すルウは、手に持っていたランプをテーブルの上に置くと、マドカのベッドの上に腰かける。僕は白いペンキに塗り潰された床の上に胡坐をかき、彼女を下から見上げる。
 まだどこかあどけなさを残す少女の顔は、ともすれば、淡く灯すランプの影に消えてしまいそうな程に、儚さが支配している。生命感が無い。あるいはそう言った方がしっくりくるだろうか。どこか厭世的な瞳は、投げやりに何も写す事が無いように映る。
「君はマドカの事をしっているの?」
「えぇ。尤もここで暮らしていた時の事は知らないわ。私がここに拾われたのは、最近の事だから。マドカは、時々ここにやってきて、外で取って来たお土産を沢山くれた。クジョウはマドカの事をただの腐れ縁だって言っていたけれど、私の目には、まるで親子のように見えた。もっとも、私は本当の親子なんて知らないから、比較はできないけれど。」
「君は、一体どこの生まれなの?」
「知らないわ。もう、とっくの昔に忘れてしまった。」
「・・・・・・そうか。ごめん、変な事を聞いて。」
「別に構わないわ。私は忘れたくて、忘れることができた。忘れたいのに、忘れることもできない事に比べたら遥かに恵まれていることだわ。
マドカはね、私にとっては、リトリみたいな存在だった。」
「リトリ?」
「知らないの?レディオ・スタァよ。
キー・ステーション151から発せられる、リトリの番組は、サカイですごい人気なの。不定期発信だから、なかなかキャッチするのが難しいんだけど。」
「へぇ。聞いてみたいなぁ。レディオなんて、中じゃ聞けないから。」
「クジョウが明日は雪だって言っていたから、もしかしたら、今日、配信があるかもしれないわ!まっていて、今、機械持ってくるから。」
そう言って自らの部屋に駆け出していった少女の長い後ろ髪を見つめる。
 リトリの事を話すルウの瞳は、先程まで漂わせていた厭世的な雰囲気から一変して、きらきらと輝いて見えた。
マドカにもあんな風に、瞳を輝かせて明日を夢見ていた時代があったのだろうか。少なくとも、僕が見ていたマドカはいつもどこか投げやりで疲れた表情をしていた。少女だった彼女は、ここでどんな暮らしをし、どんな経緯で僕の前に辿りついたのだろうか。どんな哀しみを抱え、どんな希望を捨て、どんな望みを胸に抱き、僕の前に辿りついたのだろうか。
僕は、君の期待に応えることができるのだろうか。
僕は、君に輝いた瞳を取り戻すことができるのだろうか。
この、君の居ない世界で。
 記憶の中のマドカは、いつだってどこか悲しそうだった。僕はその表情にどうしようもなく、惹かれながら、どうにかして、そんな表情から彼女を解放したいと心の奥底で思っていた。その事を彼女に言葉で伝えた事は無いけれど。それはそうだ。僕はあの時、そんな自分自身の気持ちに気づくことさえできなかったのだから。適度な距離を保つことで、僕らは自分の気持ちにセーブをかけた。

 「ケイ、貴方、ついているわ!」
 部屋の中に駆け足で入り込んできた弾んだルウの声に現実に引き戻される。使い古された小さな長方形の箱を大事そうにテーブルの上に置くと、ルウは聞き耳をたてるように、その前で座り込む。静かにその姿を見守りながら、僕は慣れない場所に疲れ切った身をベッドに横たえる。
白い天井に影が揺らめくのを眺めながら、そっと瞼を落としていく。
 夢の中で聞いた歌声は、どこか懐かしい気がした。


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