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アラベスクもしくはトロイメライ 24

第五章 三

 今日も図書室は静かだ。書物の海に溺れながら、私は午後の堕落的時間を貪っている。始めの内はどうにかクラスに戻そうと躍起になっていた学年主任も保健医も、一向に介さない私の態度に諦めたのか今では見て見ぬ振りをしている。
 櫻井道隆とは、あれ以来顔を合わせていない。今日も今日とて、私はお気に入りの本を手に取ると、図書室の奥の、私と風花の秘密の空間で物語の海に沈み、そこから私の世界を切り取っていく。

 砂奈ちゃんはいいよね。だって、この中では自由でしょ?私には自由な場所なんてなかった。いつだって、花園風花を演じ続けなければならなかったんから。
 それは、私が書いた最後の物語に、風花が書き記した言葉だった。
書棚と書棚の狭い隙間に手を突っ込むと、指をぎりぎりまで伸ばす。伸ばした指に伝わる確かな紙のざらざらした感触。その感触が、懐かしかった。
中指をひっかけるようにして取り出した、赤い表紙のどこにでも売っている大学ノート。だけれど、この図書室で置き去りにされたこのノートには、沢山の風花の為の物語と風花が私にくれた大切な言葉達が詰まった唯一の物だ。私達はここで、交換日記のようにこのノートを介して、物語と感想を言い合った。それは、私が風花と直接的接触を避けた後も続けられた。あの頃の私の態度に、風花は怒ることもなく、別に構わないとノートに記した後で、こんな事を書き足した。
 『砂奈ちゃんの物語は奇麗だよね。私の羽根はもう、捥がれてしまったの。
蝶のね、羽根が捥がれてしまったら、誰も奇麗だとは思わないでしょ?
だから、お願い。私に魔法の粉をかけて。また、奇麗な蝶のように、飛び立てるように。』
その風花の言葉に答えようと、私は必死に彼女に魔法の粉をかけようとし続けた。いつしか、気づいていたというのに。
奇麗なのは、失われていくからだという事を。

 風花は、恐らく、私が彼女の秘密の一部を知ってしまった事に気づいていたのだろう。あの学園に泊まった日に彼女が話していた話。あの時は、本当の事だとは思わなかった。寝ぼけて馬鹿な話をしているぐらいにしか、本当に思っていなかったのだ。だが、あの後、華唯にあの紙を見せられたあの時、私は彼女の秘密が本当だという事を知ってしまった。
 風花の秘密。それを暴けと迫る彼女が怖くて、私は逃げ続けた。私の秘密を風花に、皆に、華唯に、妹に知られるのが怖くて、私は逃げた。全てから。
完璧さを必死に装っていたその化けの皮がはがされ、私の浅はかな本性が白日の下に晒されるのが怖くて、私は逃げたのだ。
 そして、私は、今、風花が死んでまで隠そうとした秘密についても、知ってしまった。

 滑稽な私達は、結局、彼女の手の内に踊らされていたにすぎない。羊飼いから逃げているつもりだったのに、結局、ただの黒い羊だっただけだ。彼女、本物の風花は、それを言えば、私達の前にいた風花がどうなるのか解っていて、彼女に話したのだろう。自分が、本物の風花である事を。
 その事について、私には彼女を責める権利はない。それは解っていても、やはり、風花の最後の砦を壊したことも、そのために華唯を利用したこともやはり許せそうにない。
 どちらにしろ、本当の事を知ってしまった私達は、いづれ、彼女によって、無いことにされるのだろう。私が記したこの言葉達も、何もかも、彼女の手により、上書きされ消去されていくだろう。だが、もしも許されるのならば、一縷の望みをかけて、ここに刻み付ける。ここに私、樋賀砂奈や志摩華唯、そして、私達と一緒に時を過ごした花園風花の生きた証を。
だって、ここは、秘密の場所。ここでならば、私は自由だから。
そして、あの子ならば、きっといつか、この秘密の場所を開けてくれるはずだから。


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