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アラベスクもしくはトロイメライ8

第二章 三

 「君が樋賀砂奈さんか、まぁ、座って。」
視聴覚教室のドアを開けた私は、促されるまま椅子に腰かけると目の前に座る男性を見つめた。ダークグレイのスーツが似合うすらりとした体型に少しだけ崩した髪。黒縁眼鏡が無ければ、大学生でも通りそうなその見た目に、連絡係を買って出た石澤さんが、興奮気味に私に伝言を告げた理由が伺えた。
「刑事っていうから、もっと年上で厳つい人かと思いました。」
 週明けから始まった警察の聞き込み調査は、外堀を埋めるかのごとく、風花の名前すら聞いたことがないであろう高等部の三年生から始まり、週の後半に
なり、漸く私達の学年の番となった。この間、学園内の話題は、専ら面談での質問事項と担当の刑事の話で独占されており、否が応でも誰もがその話題を一度は耳にしたことがある状況だった。
「あぁ、それね。……ま、これはどうせ後から解る事だし、いっか。先に言っておくと、俺は刑事でも、警察官でもない。」
「……どういうことですか?」
なぜ、刑事でもない人間が風花の事を、正々堂々と調べ回っているのか。親族でもない彼にそんな権利はないはずだ。訝しる私の気配を悟ったのか、目の前の彼は少し慌てたように、早口で話し始めた。
「亡くなった花園風花さんのご家族が、警察が早々に結論づけた自殺という死因に異議を申し立てたのは、君も知っているよね?」
「……はい。」
それは、学園中に知れ渡っていた話で、無論、私も石澤さんから耳にしていた。
 風花の家、花園家はこの地方で古くから続く所謂、名家と言われるような存在で、彼女はその花園家の三人兄弟の末っ子として育てられた。待望の女の子とあってか、父親を始め、家族、親戚中から相当可愛がられて育ったらしい。照れ隠しなのか、それとも他の理由からか、風花が家族や家の事について、話すことは少なかったが、彼女と同じ中学だったというクラスメイトがそう話していたのを耳にしたことがある。
「学園としては、地元の有力者との関係は悪化させたくない。かといって、神聖な学び舎に警察を容易に入れたとなれば、他の親御達を始め苦情や苦言が出るのは避けられないと見た。学園にとって、幸い……と言うべきかは解らないが、警察は早々に結論づけた自殺説をひっくり返すことは無いだろう。それに、彼女の自殺について、学園の関係者、つまり生徒も教員も含めて、何らかの関与もないと、そう判断した。」
「……つまり、警察は風花の自殺の原因にも、私達生徒は関係していない、そう判断しているという事ですか?」
「あぁ、そうだ。学園としては、確かに不幸な出来事だが、学園には何の落ち度もなかった。ただ、彼女は自分一人で悩み、何らかの悩みを抱えて、一人で死んだ。そう処理された問題に、態々、火種を投下するよりも、無関係な人間に火種を消してもらう方が得策だと考えた。
花園さんのご家族は、彼女が死んだ原因が本当に自殺なのか、もしそうならばその原因を究明したい。学園としては、あらぬ詮索をしてほしくない。
そこで、この面倒な問題を解決してくれそうな人物として、学園が、というよりもここの理事長、志摩氏が目をつけたのが俺だった。元警察官で、現在の職業は探偵。まぁ、実際のところは何でも屋に近いんだけど。まぁ、ともかく、志摩さんのご息女の家庭教師をしている知り合いから、俺にこの話が舞い込み、何でも屋の仕事が底をつきかけていた俺と志摩氏の利害関係がめでたく一致したって訳だ。」
「……最っ低。」
「えーと、今、君、なんか言った?」
「最低って言ったのよ!要は、お金のためにあんたは風花が自殺した理由を調べるって事でしょ?親でも、兄弟でもない、何の関係も無い赤の他人が。
ねぇ、そんなに人の秘密を暴いて楽しいの?風花は、もう居ないのに。あの子の何もかもを暴き出して、一体、誰が喜ぶのよ!」
「いや、だから、それは親御さんが「風花は。……風花は、あんたみたいな屑になんか、絶対に解るわけないっ!」

 どうして、私は今泣いているのだろう。押し殺していた感情が堰を切ったように、行き場を探していた。嗚咽と共にあふれ出る感情をただ垂れ流しにするなんて、私の方が屑だ。本当は解っていた。親でも兄弟でも友人でも無かった私に、風花は自分の秘密を暴けと言い、私はそれを自分勝手な理由で拒み続けた。それどころか、私は。
「……お金の為だけじゃないって言ったら、少しは君の俺を見る目は変わるのかな。」
「え?」
俯いていた顔を上げた私の顔越しにどこか遠くを見つめる彼の懐かしさと寂しさが共存したその顔に瞳を奪われる。
真っ白な机の上を、夕日が静かに滑っていく。
徐々に伸びていく影が酷く寂しい。
「俺には小さい頃に生き別れになったままの妹がいるんだ。八歳違いだから、生きていれば今頃、君や花園風花と同じように、制服を着て笑っているのかな。名前も顔も、もう思い出せないんだけどさ。それでも、不思議な事に幼い頃、繋いだ手の温もりだけは今でも覚えているんだ。
君、妹か弟は居る?」
私は彼の問いに静かに肯定の意味で頷いた。十一歳違いの幼い妹の顔を思い浮かべながら。私と正反対の名を持つ、誰よりも大切な存在。
「じゃあ、解るかな。繋いだ手を絶対に守らなければならない。それは、義務でも何でもない、既にそう決められている事なんだっていう、絶対的感覚を。」
どこか遠くを見つめながら、思い出という時間に浸る彼の瞳を見つめる。
オレンジ色から藍色へと静かに移り行く夜空を背景に話す彼。私は彼の話が真実なのか嘘なのか見抜くことができない。それでも、解った事が一つ。今、話している彼の表情は、あの図書室での放課後に見た風花の顔とそっくりだという事。
「俺は、この話を聞いた時に許せなかったんだ。まだ、たったの十六歳だ。それなのに、その輝かしい未来を投げ打つ程の秘密ってやつが、俺は許せないよ。彼女が何に悩み、何に傷ついたのか、残された者は、知らなければいけないと思うんだ。それが、例え誰かを傷つけるものであっても。それでも、君は怒るかもしれないけど。」
「待って。今、風花の秘密って。」
「あぁ、ごめん、聞いてなかったか。てっきり、彼女、石澤さんだっけ?から聞いてると思ってたんだけど。……花園さんの、その遺体と共に、彼女の日記が入った学生鞄が見つかったんだ。彼女が身を投げたとみられる海岸の岸辺でね。」
「な……んで……」
 思わず口から出た自分の声が、やけに耳元で大きく聞こえる気がした。
全身の血液が一気に落下していくのが解る。遥か遠くから、彼の声がぐわんぐわんと頭上を通り過ぎていく。咄嗟に机の下に隠した指先の震えを抑えるように、きつく両手を絡める。

 きっと、これは何かの間違い。
だって、そんな事あるわけがない。
でも。
   だって。
でも。
   だって。
否定と肯定が頭の中で混ざり合い、混ざり合えずに私の前に転がり落ちていく。
風花が死んだその時、私はすぐ側に居たのだし、あの時彼女は、日記どころか鞄も何も、そう何も持っていなかったのだ。私たちは何も持たず、ただ冬の海岸沿いで向かい合った。北風が寒くて、私は風花に呼び出され歩く道すがら、コートを着てこなかった事を悔やんだのだから、間違いない。
それなのに。
あの時、私達以外にも誰かがいたのだろうか。
あの時の、風花と私の会話は誰かに聞かれていたのだろうか。
「君、花園風花と凄く仲が良かったんだってね。君のクラスの子達が、口を揃えて言っていたよ。花園風花と樋賀砂奈はいつも一緒だった、と。
残念な事に、この花園風花の日記は、意図的にページが破られた箇所が何か所かあるんだ。彼女自身が破ったのか、それとも、他の誰かが破ったのか。ともかく、今手元にあるこの日記を読んだだけでは、花園風花の本当の秘密が解らない。恐らくその破られたページに書かれているのだろう。君、何か思い当たることはないかな。花園風花の秘密について。何でもいいんだ。何か、ヒントになるような。」
「わからない。……私、何も知らない。何も……風花の秘密なんて知らない。」
『砂奈ちゃんの秘密と私の秘密。お互いにその秘密を暴きあうの。』
 青い表紙のノートをぱらぱらと捲り続ける彼の前で、私の意識はばらばらと砕け散っていく。
風花の秘密。私が暴くことのなかった、あの子の秘密。
木漏れ日の下で囁く風花の亡霊が私に迫る。
だから、言ったじゃない。私たちは皆、破滅型なのよ。

 それからの私は、これ以上の失態をさらさないようにと、ただそれだけを念じながら暗い部屋の中で早く時が過ぎ去るのをひたすら願い続けた。
漸く下校時刻の鐘と共に解放された私は、ふらふらとした足取りでドアから出ると、廊下の片隅で私を待っていた華唯に縋りつくように抱き着いた。
 風花の秘密。
それを暴けと言った彼女。
ゲームから逃げ出した私。
何度も迫る彼女に、私は嘘ばかりを話続けた。
何度も何度も何回も嘘をついて、嘘の話をし続けた。
ただ、逃げるために。
風花に、私の秘密を暴かれないように。
あの子に、本当の私を知られないように。
もしも、風花の秘密を暴けたならば、彼女は死ななかった?
彼女の秘密を暴かなかった私のせいで、彼女は死んだの?

「ねぇ、華唯、教えて。
 私が風花を壊したの?」


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