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アラベスクもしくはトロイメライ 23

第五章 二

 「うっそぉ、雪だー。ねぇ、傘、持ってない?」
「あるよ。また、天気予報、外れたね。」
下駄箱で華唯を待つ私の前を、お揃いの制服を着た二人組が話しながら通り過ぎていく。ツインテールに結った丸顔の少女とポニーテール姿の快活そうな少女。二人の髪には、お揃いの赤いリボンが揺れている。見覚えのあるどこか懐かしいその光景に、私はどうかそのリボンを地に落とさないでと言葉に出さずに、そっと祈る。

「樋賀さん。」
私の名を呼ぶその声に振り返ると、廊下の端で一人立つ石澤蘭佳の姿がそこにはあった。三つ編みのお下げ髪は、今日もきっちりと一分の狂いも許さないように結わわれ、自分が正しいと思う事を愚鈍な程に信じる彼女を造り上げている。
「何?」
怖さを紛らわすように強めに問い返した私の声。そう、いつだって、私は彼女が怖かった。その怖さがばれないように、今も必死に取り繕っている。そんな私に彼女は気づいているのか気づいていないのか、ゆっくりとした歩幅で私に近づく。
「・・・・・・ねぇ、どうして、私達は甘い甘いこの中に居てはいけないの?」
「・・・・・・石澤さん?」
 私や風花のような、黒い羊は必死に黒であることを隠そうとした。でもそれが上手くいくのは、沢山の色がある世界の中だけ。
「どうして、皆、ここから飛び立とうとするのよ!貴方たちが花園風花と呼ぶあの子もそう。せっかく、仲間に入れてやったのに。ねぇ、何がそんなに不満な訳?樋賀さん、貴方もよ。ねぇ、何が足りないっていうのよ?教えてよ。私は、必死にこの学園を良い学園にしようと頑張っているだけなのに。一体、何が不満なのよ!」
 彼女が造り上げる真っ白な世界の中では、私達のように黒い羊はすぐに見つかってしまう。
「私、見たのよ。昨日の放課後。視聴覚教室。あなたと櫻井先生の事。・・・・・・なんて、汚らわしい。」
「・・・・・・のぞき見なんて、石澤さんらしくないよ。」
「はぐらかさないで!ねぇ、こんなことして、許されると思っているの!?」
「別に、誰かに許してほしい訳じゃないし。それに、そもそも石澤さんには関係の無い話よ。・・・・・・誰かに話したければ、好きなだけ、話せばいいわ。」
「・・・・・・私、樋賀さんのそういう所、大っ嫌い。いつも、貴方はそうよ。自分の事に関しては、何が起きてもいいやって顔しているのよ。そのくせ、馬鹿みたいに他人を助けようとする。ねぇ、どうして、いつもそうなの?
どうして、もっと自分の事を大切にしようとか思わないの?おかしいわ、貴方も花園風花も。」
「・・・・・・そうだね、そうかもしれない。私も風花も、どこかおかしいのかもね。私、多分、明日が来なくても別にいいの。最悪なのは、風花のように出来ない事。消極的にね、明日が来ない事を望んでいる。石澤さんの、その真っすぐすぎる所、嫌いだけど、でも凄く憧れていた。貴方はそうやって、何でも黒を白に塗り替えてきた。今までだって、これからだって、貴方はそれを正しいと思ってやっていく。
 でも、私には無理、出来ない。白にはなれないの。皆と同じようになろうと、これでも努力してきたんだけど。結局、石澤さんには通じなかったみたいだし。嘘がばれた時の対処法を学ばなかった私の負けよ。」
「何を言っているの?全然、理解できないわ。・・・・・・きっと、あの子のせいね。」
「え?」
「志摩華唯よ。皆は奇麗だなんて言うけど、私には解る。あの子、おかしいもの。あんな風に、ころころ口調を変えて、皆が戸惑うのを楽しんでるんだから。砂奈さん、止めた方がいいわ。志摩華唯と付き合うのは。」
「何、言って「いい?これは、忠告。華唯と付き合うのはやめなさい。今なら、まだ間に合うと思うの。砂奈さんが、あの子にそそのかされただけなら、うん、大丈夫。貴方は私が元に戻してあげるから。」
そう話し終えると用事は済んだとばかりにくるりと背を向け、石澤蘭佳は暗闇の中へと消えていく。
後に残された私は、ただ一人、廊下に佇んだまま、白い雪が降り積もる外を眺めている。

 華やかな少女の声も、下校時刻を告げるチャイムの音も、どこか遠くから聞こえる吹奏楽部が奏でる調子っぱずれなメロディーも、全てが白い雪の中に吸い込まれていく。彼女が造り上げた、白い砂の城の中に。

時折駆け抜けていく、冷たい風が心地よい。

鍵を掛けに来た用務員のおじさんに追い出されるまで、私は音が無くなった空間で、街灯に照らしだされる雪の姿を見つめ続け、そうして、ある結論に行き着いた。

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