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モノローグでモノクロームな世界

第七部 第一章
三、

 赫。

黄色。

緑。

紫。

ステージに設置された照明の色が切り替わるその度に、瞳が一色、一色を捉え、記憶の中の色とその情報を合致させていく。
これは何の色だ?
網膜が色を捉える度に、パズルのピースを当てはめるかのように、記憶の中の、否、もっと奥にある答えを求めて脳が躍動する。知らないものが判明した時の快感は、今まで味わったことが無い程、爽快感が伴った。
『色がこの世界から無くなったんじゃない。
私達が色を忘れてしまっただけ。』
そう話していたマドカの声が、耳元でリフレインした。

 恐らく彼女は知っていたのだろう。壁の外では色が残っていることを。
もしも、十月国の人々がこの事を知ったならば、どう思うのだろうか。
ツツジは?同僚たちは?お祖父ちゃんは?死の谷に突っこんで死んでいった両親は?
壁の中に居る人々は、ここに来るまでの自分と同じように、今もこの世界から色が消えたと信じている。
「・・・・・・色は。
色は、消えていなかったんだね・・・・・・。」
そう呟いたケイの声に、隣に立っていたルウがそっと手を重ねる。
その温もりが、今は嬉しかった。
 
 信じていたものが、また一つ。
壊れた。
壊れていく。
その欠片を繋ぎあわせても、もう元の形には戻らない。
戻ることは無い。
何が正しくて、何が嘘なのか。
それを確かめる術すら、ない。
一体、今まで何を信じ、何のために、あの世界で生きてきたのだろうか。
本当にあの場所は、ただ安心安全な場所だったのだろうか。
「ナインヘルツは、この事を・・・・・・。」
「知っているわ。」
ケイの声にそう返したのは、今までステージで沢山の色を浴び歌っていたリトリだった。白いドレスを着た彼女が、ステージで多彩な色に彩られ歌う姿は、実に美しかった。ケイの手を握っていたルウが顔を近づけて、囁く。
「だから、言ったでしょ?リトリはこの世界の希望なの。
私達のラジオ・スタァなの。この音を、ラジオを通じて世界中に届ける。
色を喪った人にもね。」
彼らにとって、ラジオはただの娯楽を提供する物だけではなく、味方同士で情報を得るための必需品でもあったらしい。
「古い物の方が、以外とばれないものなのよ。きっと古すぎて、あの人たちにも使い方がわからないのね。」
冗談めかしてそう教えてくれたリトリは、ふっと笑みを消すと丸テーブルにケイ達を座らせ、自分も席に着くと、両手を組み、彼の瞳をじっと暫く見つめ続けた後で、再び口を開いた。
「これから話すことは、ワームの根幹にかかわる事柄。
ミハラさん、貴方には世界の秘密を全て知る覚悟があるかしら。」
「・・・・・・はい。」
きっとこれから彼女が話す内容は、自分自身が持つ今ある常識を更に壊すものだろう。
だが、もう耳を背けることはできそうになかった。

「貴方のその瞳の力を信じるわ。
ミハラさん、貴方は人口推移がどうなっているか知っているかしら?」
「確か、緩やかな減少の一途を辿っていると。」
「そう。でもそれは、九か国全体で見ると緩やかとは言い難いものよ。口で説明するよりも、数字で見た方が早いわね。」
そう話すとタブレットを二人の前に差し出した。
画面に表示された折れ線グラフには、横軸に年代、縦軸に世界人口が取られており、確かに彼女が今説明したように、明らかに大幅な減少傾向を示していた。
右肩下がりの棒線。
リトリがタブレットを操作すると、そこに更に一本、線が加わった。
右肩下がりの棒線に反比例する赤い右肩上がりの線。
「この線は?」
「壁の中の世界から消えていった人々の数よ。」
「それって。」
「そう、ここにいる私達みたいなワームもここに含まれている。ホワイトアウトの対象となり、どこの国からも追い出され、サカイに捨てられた人々。
・・・・・・それから、マドカのように、自ら死を選んだ人々よ。」
 そう言われ、改めて画面内の二つの線を見つめる。
壁の中の世界から、消えていく人々。
壁の中の世界から、消されていく人々。
二本の線は今にも交わりそうに見える。
「The Beeは知っているわよね。」
その声に、タブレットから視線を外す。
真っ直ぐに見つめる彼女の視線に戸惑いつつも、脳内の記憶を整理しつつ、ケイは答える。
「えぇ。The Bee、別名、蜂の囀りは、大規模な循環システムの総称。The Beeは、有害な物質が含まれていない空気を生成し、また、少ないエネルギーで効率よく動かすためにエネルギー循環を行い、湿温管理、つまり、外気の極端な低温から人間が生存し活動できるように保っている。・・・・・・The Beeが無ければ、僕ら人類は、この世界で安心して、安全に生きることは不可能と言える。」
「そうね。確かにその通り。
ねぇ、ミハラさん。あれが何で『蜂の囀り』なんて名で呼ばれているかご存知?」
「えっと、それは確か蜂のハニカム構造と機械の形が似ているからと。」
「違うわ。本当の理由は、システムの稼働音から来ている。」
「稼働音・・・・・・ですか?」
「そう、絶えずあれは微振動と共に人間が感知するぎりぎりの音を発しているの。でも、おかしいと思わない?
あれだけのシステムを構築できる機関が、何故、そんな稼働音をそのままにしているのか?振動や音は、十分、『不快』要素なのに。」
「でも、The Beeのシステムから発せられる音や振動は、人が聞き取れるか聞き取れないかぐらいの僅かな物だから、感知することすら難しいと、昔聞いたことがあります。だから、現に今まで問題になってこなかったんじゃないですか?
それに、そもそもThe Beeがあるのは、どの国も、内壁の壁ぎりぎりの場所です。そんな場所に人が住んでいること自体が珍しい。」
「確かに、あの音や振動を浴びたからといって、すぐに身体的に異常は出ない。何よりも、異常を発見するトリプル・システムでもそれは証明されているわよね。」
「だったら、何が問題なんですか?」
 はっきり言って、ケイのThe Beeに対する知識は、乏しかった。
The Beeだけではない、この国のシステム、ナインヘルツやサカイ、果ては自分の体内に取り込まれているトリプル・システムに対しても、その知識は大まかな概要に留まる。
それは、恐らく壁の中に暮らしている大半の人々も同じであろう。
何故なら、答えは簡単だ。
最初からあった安心と安全が提供されるそれらに対し、何の疑問も抱くことはなかったからだ。当たり前の事に対して、ただ当たり前の事を当たり前と認識しただけだからだ。

当たり前だから、疑うことなんてしない。

「蜂の囀りが出す音や振動は、確かに普通に生活している限り、全く気にならない。でも、その気にならないという事が最大の問題なのよ。」
「どういう意味ですか?」
「共感覚って言葉、聞いたことある?」
「いえ。初めて聞きます。」
「簡単に説明をすれば、一つの感覚刺激に付随して、他の感覚刺激が起こる症状のことよ。」
「それと、The Beeとどう関係するんですか?」
「ナインヘルツは、The Beeによって、壁の中全体に、共感覚を引き起こしているの。絶えず、振動と稼働音を発生させることで、一種のトランス状態を起こし、壁の中に住む人々に共感覚を引き起こす。その結果、人々は、皆、あの地を白く美しい、理想的な世界として見る。
勿論、The Beeだけでは、あそこまで徹底して皆が同じ幻想を抱くことは不可能でしょう。そこで、一役買っているのが、トリプル・システムよ。」
「そんな、まさか。」
「毎日、毎日、摂取することが義務付けられているあの小さなカプセルによって、人々は色々な物を喪い、彼らは真っ白な世界を創っていった。幻想を現実にするためにね。幻想と同じように白い建物を建て続け、感情を呼び起こす色を棄てさせ、自分達の理想とする籠の中の楽園を創っていく。」
「・・・・・・そんな話は、馬鹿げています。だって、そもそもトリプル・システムは僕らを守るためのシステムだ。体に異物が入れば、すぐに感知をして、警告を出すはずです。そういった物は僕らの体には害なのだから。」
「でもね、守っているじゃない。大きく見れば。一度一度では大して問題にならない異物と精神的に不安定になることを天秤にかけて、あのシステムはそれらの小さな異物に目を瞑ったのよ。
壁の中が安全なのだから、そのシステムを維持するために、人々を守るために、少々の異物は無しとされる。
 私は、ナインヘルツの全てが悪いと言っているわけではないの。
確かに、初期の世界は、気候も環境も劣悪だった。そんな環境の中で、少ない物資、少ない資源で人々が生き残るためには、劣悪な環境から守る砦とその中で暮らせるように環境を整えるシステムが必要だったのは事実よ。だから、こうして、壁の中の人々も、私達ワームも今ここに居るのだから。
 トリプル・システムだって、The Beeだって、人々が安全に暮らせるように造られたシステムの側面を持っている。でも、そこに悪意を持つ側面を付け加えた今のナインヘルツのやり方は間違っている。自分達が造り上げた壁の中の世界から、出ようとしない。それどころか、自分達が作りあげたあの楽園にふさわしくない者は、強制的に排除をし、『無かった事』にしようとする。人々を安全か安全でないか、楽園にふさわしいかふさわしくないか、強制的にコントロールしてまで、一体彼らは何を目指しているの?
一体、誰のために、世界を守ろうとしているの?
まるで、これじゃ彼らの理想のために、人々が居るみたいよ。それに、コントロールされ、思考も感情も失ったそれは、本当に人間と言えるのかしら。」
「・・・・・・マドカが言っていました。
町から音が消えたと。笑い声や話し声、怒鳴り声も泣き声も。皆、どこか遠くを見つめ、ただ毎日をこなし、同じ方向を歩き、人生という時間を費やしていくだけだと。
笑いもしない、泣きもしない、考えることもしない。
ただ、毎日をやり過ごすだけ。そんな人々ばかりだと。
 でも、そんな事は無いって、僕は説得したんです。だって、僕の同僚のツツジや先輩たちは、皆、冗談を言い合ったり、笑いあったりしていたから。だけど・・・・・・。」
「貴方の周りだけだったんでしょう?」
「はい。本当は、気づいていたんです。マドカに言われる前から。
職場から出ると、僕は誰とも口をきいたことが無い。それどころか、隣の住人も、町で行き交う人々も、毎朝乗るメトロの中の乗客も、誰の声も聴いた事も無い。入国審査に来る人々もそうです。皆、無表情の仮面をつけたように、表情を一切変えずに、僕の前を通り過ぎていくんです。
 僕が幼かった頃は、町の中からも話し声や笑い声が聞こえたし、近所に住む人々とも言葉を交わしていた。
一体、いつから、この国は変わってしまったのでしょうか。」
「感情を呼び起こすものが、もう無いからよ。」
「感情を呼び起こすもの?」
「えぇ。貴方は、例外的に色を知っていた。
どういうきっかけで、それが目覚めたのかは分からないけれど、だからこそ、共感覚やトリプル・システムで矯正をされ続けても、その本質的な部分で、感情その物は消されることが無かった。
 マドカの血で色を見た時に、だから思い出すことができたのよ。強い感情を。
 だけど、色を知らない、感情を知らない子供達は、感情の出し方すら分からない。ナインヘルツがこの世界を統治して、The Beeやトリプル・システムによる矯正が行われてからもう随分長いことが経つ。かろうじて色を実際に見ていた世代も、もう少ないでしょう。」
「・・・・・・もしも、壁の中の人々が、色を見たならば、彼らの感情は引き起こされるのでしょうか?」
「それは、分からないわ。でも、きっといると思う。貴方の周りのように、何かしらの感情を忘れずにいる人々が。
きっと、彼らが壁の中を変える起爆剤になると思っているし、信じているの。

壁はね、内側から壊さなきゃ、意味が無いから。」

そう話すリトリの瞳は、燃えるような赫だった。

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