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アラベスクもしくはトロイメライ 28

第六章 二

『三月は突風を運んできて水仙の花を烈しく散らす  

                       ーマザー・グースより』

 『砂奈、話があるの。』
そう華唯に告げられ呼び出された場所は、学園の敷地内にある小さな聖堂だった。学園のシンボルと称されるこの小さな聖堂は、神聖な場所である故に教員の許可なくして一般生徒が立ち入る事すら許されていない。だが、華唯はよく聖堂の中に一人で入っていく姿が目撃されていた。恐らく、理事長である父親から無断で鍵を拝借しているのだろうというのが、皆の見解だ。
 華唯の指示に従い、下校時刻まで時間をつぶした私は、人気のなくなった寂しい廊下を抜けると、講堂の脇を通り、月光に照らし出された聖堂の扉を開けた。反地下構造の建物内は、ひっそりと静まりかえり、華唯どころか人の気配すらしない。厳かな空気の中で、月に一度行われる聖堂朝礼の時と同じ席に腰かけると、目の前に立つマリア像に手を合わせる。
慈しむ表情のまま一分も変わらないマリア像は、私の最後の願いを聞き入れてくれただろうか。
「砂奈。待ってたよ。そこの階段から、上に上がってきて。」
頭上から突然降ってきた華唯の声に内心驚きながら、指示された通りにぎしぎしと耳障りな音を立てる木造の梯子を手探りで登りきり、彼女の元へと足を進める。
 このスペースは恐らく、ステンドグラスや建物の補修時にしか使用されないのであろう。二階と言うのも憚れる程、人一人がようやく通れる狭いスペースは、窓越しに射し込む月明りのみを頼りに歩くのは至難の業だった。その上、手すりの隙間から見える階下が、思いの他遠く感じ、足がすくむ。
 そんな訳で手すりを片手で掴みつつ、すり足状態で進む手の平は、彼女の元に辿り着く頃には、すっかり汗ばんでしまっていた。
「これ、奇麗でしょ?こうやって、月光に翳すと、ほら、キラキラ輝くの。」
子供のように嬉しそうに話す華唯の手には、硝子の欠片が握られている。
青色のグラデーションが美しい三角形の硝子。
その鋭利な切っ先が、月光を貫く。
「手、怪我するよ。」 
そんな私の忠告を無視して、彼女は硝子の欠片を更に高く掲げ月光の中に翳したかと思うと、その次の瞬間、自分の手首にあてると、横一直線に引いた。
目の前で勢いよく吹き出す赤い血飛沫と青色の硝子のコントラストが、
私の目を貫く。

 「バラバラにしたの。何もかも。だから、本当は前から知ってた。
私達、とっても醜いってこと。」
手首を抑えながら淡々と話す華唯の声が、一言も発せずに立ち尽くす私の耳に届く。
「ねぇ、知ってる?この学園は、あの人の理想の学園だっていうこと。
あの人、言ってたわ。私達、皆、少女っていう枠の中に放り込まれた、ドロドロの物体なの。チョコレートみたいにね、型に入れられて、冷やされて出来上がり。でもね。
奇麗な形以外は、規格外。首をちょん切られちゃうし、熱い熱の中に入れられて、元のドロドロに戻らなきゃいけない。私は、そのお手伝いをしているの。
あー、また、そんな顔。何で、そんな事言うんだって、思ってるんでしょ。
だって、あの人言ってたもん。これは、私達の理想の学園を作るための、とっても大切なお仕事なんだって。だから、私もこのお仕事をしていれば、いつか、奇麗な形になれるかもしれないの。私達が助かるにはそれしかないの。もう、砂奈にも解っているんでしょ?」
 いつもより饒舌に話す華唯に近づき、その冷えた体をそっと抱き締める。
必死になって、自分を正当だと信じ込もうとする為に、話続ける華唯。
他を傷つけるのも、自己を傷つけるのも同じだ。彼女の手も心も、もう傷だらけでぼろぼろだった。それでも、彼女は自分自身を止める事ができない。
それが、彼女が持つ唯一の世界との繋がり方だったから。
壊したがり。
それが、志摩華唯の本当の姿。
私は、そんな華唯に気づいていたのに、必死になって見ないようにしてきた。

 また、傍観者でいるの?
風花の時と同じように、また、気づかない振りをするの?
また、そうやって壊すの?
「華唯、もう止めていいんだよ。もう、何も壊さなくていいんだよ。歪でも、醜くても、それが私達なんだから、無理に枠にはまらなくていいの。誰かの理想にならなくていいの。」
海色の硝子を手から引きはがし、月光が照らしだす地平線へと放り投げる。
驚く程、冷たい華唯の体。

 だけど。
大丈夫、まだ心臓の音が聞こえる。
大丈夫、まだ私達は生きている。
私は、また華唯を抱きしめられる。
私は、まだ華唯に言葉を繋げることができる。
一人きりの図書室で、何度もそうしたように。
この先、何度でも何度でも、華唯に手を差し伸べ続ける。
たとえ、いらないと罵られても。たとえ、跳ね返されても。
何度でも、何度でも。
この手が届くまで。
だって、私は明日に何も望まない。
ただ、現在を笑いあえればそれでいいのだから。

 誰かがどこかで弾くピアノの優し気な音が、夜風と共に聖堂の中へと吹き込んだ。
「トロイメライだ。」
華唯が子供のように、楽し気に声をあげた。
華唯の一番、好きな曲だよね。
また、前みたいに連弾しようよ。
私達はそう言いながら、笑いあい・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・微笑んだまま、私は落下していく。
手を伸ばして掴みかけた欄干は、無情にも体の向こう側。
伸ばした手は虚空をつかむだけ。

それは、一瞬の出来事だった。

奇麗なウェーブの髪を靡かせて、突風が過ぎ去っていく。
咄嗟に突き放した華唯の驚いた顔。
情況を一気に理解した頭に遅れて、体を凄まじい衝撃が襲った。
視界一面に広がるステンドグラスが奇麗。
奇麗と痛いが交互に私を襲う。
全身の骨が軋む耳障りな音。
息が上手く吸えない。
呼吸ってこんなに大変だったっけ?
意識と体がバラバラになっていく。
在らぬ方向に折れ曲がった腕を持ち上げようとしたけれど、腕は一足先に役目を放棄したように、もう一ミリすら上がらなかった。
体のあちこちから溢れ出る赤い液体で、視界が徐々に歪んでいく。
「砂奈、駄目、行かないで。砂奈のこと、壊さないって約束したじゃん。砂奈が嫌がることもうしないよ。だから、ねぇ、駄目、行っちゃやだ。」
可笑しいな。あんなに望んでいたのに、どうして今泣いているの?
涙がこんなにも熱いと初めて知ったのに。
もうそんな事すら伝えられない。それが苦しい。
「そうだ、砂奈、言ってたでしょ、一緒にあの映画みたいって。約束したでしょ?今度新しくできたケーキ屋に行こうって。・・・・・・子供の時、ずっと一緒にいようって約束したじゃん。二人だけの秘密を沢山、作ろうって。」
 違うよ、華唯。あれをしたい、これをしたいは明日をやり過ごすための呪文だったの。
 違うよ、華唯。私達は、二人だけの秘密でもう、身動きすら取れなくなっているんだよ。
そう伝えようと頑張ったけれど、どうやら私の口は言葉を失ってしまったようだ。
眠気が感覚を鈍らせていく。
痛みも奇麗も、もう何も感じない。
これで、ようやく何も感じなくなれるかな。

 ここは、何もない世界。
華唯の声も、風の音も何も聞こえない。只々、一面真っ白な世界が続いている。アラベスクのメロディーがどこかから聞こえた。
無限の幾何学模様が蔦のように、くるくると上昇していく。
奇麗な幾何学的フラクタル。
くるくる回って、廻って、回って、廻って、廻り続けて、
もっと高く高く伸びたら、あの天まで届くかな?
魂が反動で飛び立てるように、高い場所を探しながら、
葉桜の舞う頃に、私は目を閉じる。



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