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アレグロ・バルバロ 2

2、
 ハナが生まれた時から、多くの時間を共にしてきたハナとアレグロは、血の繋がりこそないものの、ハナにとってアレグロは兄のような存在であり、一番の親友でもあった。
 そして、それはアレグロにとっても同じであっただろう。

 赤や黄、緑や金色に彩られたカラフルなサァカス小屋のテント。
そこが、ハナとアレグロが生まれた場所であり、また常に帰る場所でもあった。テント小屋は、どこの土地に行こうと、ハナにとって『変わらない場所』だった。

 大小のテントの中には、様々なサァカスの住人が暮らしている。蛇の鱗を持つ女。月光を浴びると、猛獣へと変化する男。小さなランプの中で暮らす生き物たち・・・・・・。
 そんなサァカス団の面々と共に、沢山の都市や街を行き交う生活は、物心ついたばかりのハナとアレグロにとって、実に刺激的な毎日だった。
毎朝、テントを出る度に変わる景色。
その光景が時に怖かったこともあったが、初めて訪れる地でも迷子にならずに済んだのは、どこにいても、小さなテント小屋が自分達の帰る場所であることを知っていた事、そして、そこに戻れば、アレグロが居たからだという事をハナは知っていた。

 そんな様々な土地をめぐる、数年に渡る放浪の旅は、団長の一言で、終焉を迎えた。
「我々、サァカス団はこの街を本拠地として活動する。」
あれから五年が経った。
幼かったハナとアレグロも成長し、サァカス団のカラフルなテント小屋も街の一風景として、当たり前のように溶け込んでいった。
 それでも変わらずに、
ハナとアレグロは何時でも一緒だった。
それでも変わらずに、
ハナとアレグロは二人で一つだった。

 だから、こうなる事は、あの頃のハナには予想外の出来事だったと言える。今こうして、あの街から遠く離れ、独りぼっちで夜の湖に漂っていることは。

 「ほら、あそこに見えるだろう?淡い光を灯す、灯台が。」
ボヲトの向かいに座る男が指さす方を見つめると、確かに男が話したように、揺れる湖水を淡く照らし出す白い灯台が、崖の端に立っているのが見えた。マッチ棒のように細長い白い灯台は、崖の下から見上げるハナの目には、今にも闇に溶けてしまいそうな程、頼り無く映る。
「最果ての湖に、どうして灯台があるの?」
 ここは最果ての湖。この湖に入り込んだ者も舟も、この湖から元の場所に戻る事は無い。全ての終わりの土地。
終わらせようとした者も、そして、まだ終わらせることを望まずにこの場所へと辿りついてしまった者も、もう戻る事は叶わない。この湖は、全ての哀しみも後悔も、何もかもを呑み込み、終わらせる。

 ハナがこの湖に関する事を知ったのは、つい先日の事。今向かいに座る男がこの湖に関する話をハナに教えてくれたからだった。
『誰しもが心の内に、孤独を抱えている。』
『最果ての湖は、その孤独に共鳴をする。』
『最後には、溶けてなくなってしまうんだ。形ごと、意識ごとね。』
そして、彼はハナにこう告げた。
『最果ての湖に行けば、全て終わらせられるよ。』

 灯台に関するハナの質問に、向かいの男は薄い笑みを零しながら彼女に答えた。
「岸へと戻る舟を待ち続け、いつかそんな舟が現れるかもしれないというその希望の為だけに、光を灯し続ける。だが、幾ら待っても、彼が望む岸へと戻る舟は来ないだろう。岸へと戻れなかった舟は皆、彼の目の前で闇へと溶けていく。こんな不毛な事は無い。彼はその度に、深い悲しみに暮れ、尽きない孤独に苛まされる。死んでも、なおね。」
「何のために、そんな事を続けるの?」
「僅かな希望を捨てたくないのだそうだ。たとえ、身の内の孤独がどんなに降り積もろうとも。
 だから、あぁして、死んでもなお、灯台の灯りを灯し続けている。」

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