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モノローグでモノクロームな世界

第三部 第二章
一、
 「旅の一番の楽しみは、今まで知らなかった光景と自分を見つけることだ。」

そう話していたお祖父ちゃんの言葉を思いだした僕に、僕の優秀なトリプル・システムは些かの感情の高ぶりを僕に示していた。
扉の向こうに立っていた男と少女は、ついてこいと言わんばかりに僕に向かって片手を動かすと背を向け、歩き始めた。慌てて僕は小走り気味に門の中へと足を踏み入れる。靄が色濃く立ち込める景色にともすれば前方を歩く背すら見失いそうになる。脇目もふらず、すたすたと前を歩く二人の後を追いながら、僕は思わず寒さから身震いをした。吐く息が白い。第二の壁に近いこの場所は、外気温の調整が効かないと聞いた事がある。壁一つ挟んでいるとはいえ、壁の外はこれほどに寒いのだろうか。かじかんだ指先を両手でこすりあわせながら、僕は歩き続ける。
 外気温だけではない。黒で塗り潰された闇市の門にあわせたかのようにい、表のサカイの市場と異なり、この闇市を支配しているのは、まさに闇のような漆黒そのものだった。
灯りが乏しいだけではないだろう。どこか陰鬱といた雰囲気が辺り一帯を支配している。表のサカイの市場に溢れていた活気は消え去り、通りを歩く人間もまだ昼間だというのに、まばらだ。その誰もが、検閲官の制服を着た僕を監視するように、じっと視線を注いでいた。
 通りの脇を連なる店の多くは、屋根も看板も果ては窓まで、全てが黒一色に塗り潰されている。目印の代わりだろうかあるいは、装飾のつもりなのだろうか。白い塗料で奇妙な形の記号がそれぞれの扉に書かれている。靄の立ち込める白い世界にぽつぽつと浮かぶ黒い建物。そこに、書かれた白い奇妙な記号。全てが同じ景色は見慣れているはずだというのに、それらの光景は僕に不安という言葉を思い起こさせるのには十分すぎる程だった。

「漢字だ。」
振り返った男が僕の視線の先を追い、教えてくれた。
その声は、まるでこの靄のようにしゃがれており、上手く聞き取ることが難しかった。もしも声に手触りがあるならば、きっとざらざらとした感触を得ることができたであろう。
「カンジ・・・・・・あぁ、そうか、漢字か。」
「その世代で知っているのか、漢字を?」
ポケットに手を突っ込みながら、彼は初めて僕の顔をまともに見つめながらそう尋ねた。
「・・・・・・祖父が教えてくれたんです。この国で、昔使われていた言葉だと。」
「ほう。流石に、マドカが目をつけただけはあるのか。話はあとだ。ここは、立ち話には向かない場所だからな。」
その固有名詞に思わず声を上げた僕を手で制すと、彼はくるりとまた前方を向き、歩きだした。その様子に黙って僕らを見つめていた少女も従う。
 歩きだした彼らの後を再び追いながら、僕はサカイへ入る前に訪れた、サカイと壁の間の検閲所で出会った検閲官の言葉を思い出していた。
ナインヘルツ所属の検閲官は、僕の入出国記録書とナインヘルツから届いた出国許可証を見比べながら、僕に二つ、警告をした。
内壁を出ると気温が下がる。この地球が本来そうであったように、その土地の気候に左右される。何のリスクも持たずに、自由に歩き回れるのは、この壁のおかげだと貴方も外に出れば実感できるでしょう。特に、内壁の中でぬくぬくと育ってきた人間には、外の気候は辛いですからね。
彼は入出国記録書に出国のサインをつけながら、続けてこう言った。
 「くれぐれもサカイの闇市には気をつけてください。あそこに入った者は、もう二度と戻れなくなる。そんな噂がありますから。」
だから、この検閲所は私一人になってしまったのです。
そう淡々と話す彼の前で言えなかった。
僕は、もうこの町に戻る気はないとは。

どうか願う。
彼が戻ってこない人間を思い起こすことなく、安寧に残りの時間をやり過ごせるようにと。


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