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モノローグでモノクロームな世界

第三部 第三章
四、
 サカイは国で非ず。

一体、何が起こっているのですかと僕はとうとう尋ねることはできなかった。緊迫した表情を隠そうともしないクジョウは、壁にかけてあった防寒具の一つを僕に投げてよこすと、流雨にあれこれ指示を出した。
僕は彼に言われるまま防寒具を身につけると、流雨の小さな背を追って、今し方上がってきた階段を駆け下り、階段脇の床の一角を勢いよく下方向へと押し込んだ。
 「うわ。」
驚いた事に、流雨が押した床の一角は、微かな衝撃と共に下方向へ動いたかと思うと、やがてさらに地下へと続く階段が僕らの目の前に現れた。
人一人がようやく通れる程だろうか。狭い階段は、真っ暗闇で先が全く見通せない。
「早く。ここから逃げるのよ。」
いつの間に用意したのか、懐中電灯の明かりを灯した流雨に背を押されるように、僕は恐る恐る更に地下へと降りる階段の一歩目を踏み出す。
 途端にありえない程の冷気が僕の躰を取り巻く。吐く息は瞬く間に白く色づき、防寒具を着ているとはいえ、体温を容赦なく奪っていく冷気に、指先も体もがたがたと寒さで震える。おまけに、一足先もおぼつかない暗闇の中、湿気で濡れた階段を降りるのは、はっきり言って至難の業だった。
「階段からもしも落ちたらどうなる?」
「聞かない方がいいと思うわ。」
その流雨の言葉に僕は、震える足に力を入れ、どうにか一歩ずつ階段を下っていく。どのぐらいそうして、降り続けただろうか。最後の一歩を降り終えた後は暫く、周りを見る余裕すら失っていた。
 
 改めて見回すと、そこは巨大な地下空間が広がっていた。どこまでも続くように見える、むき出しのコンクリートの床に、同じように地上から降りてきたと思われる人々が数人ずつ固まって座っていた。頭上を見上げると、僕らが下りてきた階段と同じような形状の物が遥か先から幾つもぶら下がって見える。それは、とても不思議な光景だった。
「ここは、大昔の大戦の時に、人々が逃げ込んでいたシェルターよ。」
「サカイの下にこんな空間が広がっていたなんて、知らなかった。」
「ここは忘れ去られた場所だから。」
「流雨。一体何が起こっているんだ?クジョウは?」
「・・・・・・ケイ。ここから先を聞いたら、貴方は多分元の生活に戻ることは出来ない。それでも・・・・・・それでも、マドカとの約束を果たす?貴方にその覚悟はある?」
途切れ途切れに言葉を話す、流雨の真剣な顔を見つめながら、僕は言葉を返す。
元より、気持ちなんか最初から決まっていた。
「あぁ。もう、嫌なんだ。果たせない約束を抱えるのは。」
流雨は僕のその言葉に、一度だけ頷いてみせた。
「ケイ、持っているウェアラブル端末を全部出して。」
 その言葉に僕はコンタクト型のウェアラブルと手首に巻いていた端末を外し、流雨の小さな手に渡した。
「トリプル・システムの錠剤は、一日経てば排泄される。」
「もしかして。」
「えぇ、そうよ。今、地上でサカイを襲っているのは、特別検閲官。」
「・・・・・・特別検閲官。」
 特別検閲官は、ナインヘルツの検閲官の中でも特別な検閲権限を持ち、国の秩序を乱すような危険因子を強制的に排除する権限を持つ。彼らによって捕まった人間は、即刻、国からの強制退去もしくはナインヘルツ階下の強制施設に放り込まれる。
「解ったでしょ?ナインヘルツにとっても、国にとっても、サカイの人間は、国の秩序を乱す、危険因子なの。それでも、彼らにとって、サカイは必要不可欠なの。だから、こうして、検閲を行い、強制的にサカイを自分達の配下に置きたがっている。」
「・・・・・・そんな。」
「これ以上、誰かに勝手に排除されるのも、いいようにされるのもうんざり。だから、サカイに住む人間は、自分たちの住む場所も権利も、自分達の手で守ることを選んだ。」
 安心、安全の国がこんな風に誰かを傷つけ、傷つけたうえで成り立っているだなんて、僕は、否僕だけでない、多くの人間が何も知らずに、のうのうと守られ今も生きている。流雨の手により、破壊されただの物質へと還っていく、僕を今まで導いてきた電子部品はまるで今の僕のようだった。

 僕らは、地下の倉庫に居た人々と共に、突風と共に外の世界から飛び込んできたポッドへと乗り込んだ。暗闇に鈍く光る機体を輝かせ、大型ポッドは、人々を収容し終わると、地上から伸びる階段の林の隙間を器用に抜け、やがて、壁の外へとふわりと飛び上がった。
 宵闇と共に眼下に広がるのは、雪に覆われたサカイ、そしてその遥か遠くに、二つの透明な壁に囲まれた十月国の無機質な姿があった。
まさか、こんな形で生まれ育った国を出ることになるとは、正直、数日前の僕は想像さえしなかった。
だが、流雨が言ったように、もう後戻りはできない。
ならば、突き進むしかない。
この先、どうなるのか、マドカの願いを本当に叶えることができるのか。それすらも僕にはまだ何も分っていない。
否、分っていない事ばかりだ。
「流雨、僕は自分のこの目で、この世界の真実を見極めたい。
そして、もしもそれが可能ならば、マドカの願いを叶えたい。
だけど、僕には、壁の外の世界のことは何一つ知らない。
だから、お願いだ。どうか、僕に力を貸してくれないか。」
隣に座り、窓から眼下を同じように見つめていた流雨は、一度だけ、僕の方に目をやった。その瞳は少しだけ泣いているように見えた。
「分かったわ。その代わり、一つだけ約束して。」
絶対に、死なないって。

 上昇を続けるポッドは、雲の合間を縫い、高い軌道を描き、遥か未来へと突き進んでいく。
先の大戦で何が起こり、この世界はどう変わり、僕達はどこに向かっているのか。僕は表面的な事だけを真実だと思い、今日まで生きていた。
この世界が、この現実がただ正しいとそう信じ込むことで、安心と安全を享受して生きていた。壁の外の世界なんて、何も考えずに、壁の中だけで生きていくことだけを選んだ気でいた。
 僕らには何の選択肢も無かったというのに、僕らはそれを自分達で選んだかのように自分達を騙してきたにすぎない。

「マドカは知っていたの。この世界に沢山の色がある事を。きっと、貴方にもすぐ分かるわ。もうそろそろ、蜂の影響下から抜けるから。」
そう話すと流雨は、長椅子の上で毛布に包まりながら、長い睫毛が揺れる瞳をゆっくりと閉じた。
その寝顔を見つめながら、僕は、もう一度だけ窓ガラスに映る不安そうに見つめ返す自分の顔を見つめた。
僕の名前はミハラ ケイ。
僕は今日で十八歳になった。
そして、今日、僕はこの町を出て行く。
僕らの色を取り戻すために。
僕は今日、旅に出る。

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