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モノローグでモノクロームな世界

第三部 第二章
二、
 「サカイには未だに昔の物に誇りを持ち、その誇りを棄てられない者も多くいるんだ。まぁ、かくいう私もその一人なんだがな。これは君に渡すのが妥当だろう。」

医師に連れられやってきたその場所は、サカイの闇市の端に立つ小さな診療所だった。白いタイルが眩しい床の上には、質素な診察用のベッドと備え付けの棚が並んでいる。棚の中には、何に使うのか分からない薬瓶が所狭しと置かれていた。
トリプル・システムが発展した現代において、病気は治療するものではなく、予防するものに変わっている。ひと昔前の世代ならいざ知らず、僕らの世代においては、当然、薬も治療するための診療所も滅多に見ることが無い光景だった。物珍しそうに見つめる僕の視線に気が付いたのか、医師はこのサカイに住む人間は、トリプル・システムが上手く機能していない者も多い。だから、かろうじてこんな土地でも我々は暮らしていけるのさと教えてくれた。

 診療スペースを抜けると、その奥は居住空間になっているのだろう、質素なテーブル、ソファに部屋の大部分を占めるストーブが置かれていた。医師は冷え切った部屋を暖めるため、ストーブに火をつけると、僕にソファに座るように言い、ストーブ近くの本棚から一冊の本を取り出し、そこに挟めていた紙を手渡した。彼から受け取った小さく折り畳まれたメモ用紙を開くと、そこには、マドカの字でたった一言、こう記されていた。

 『人々は白に犯された。』

たった一言。
それだけだ。
「一体、どういう意味でしょうか?」
「さぁな。俺は探偵じゃない、ただのしがない医師だ。その医師から言わせれば、あいつは文字通り、白に犯されていたがな。」
「死の華・・・・・・ですか?」
「知っているのか。ほら、マドカのカルテだ。」
医師から受け取ったファイルを開くとそこには、マドカのスーツケースに入っていたレントゲン写真と同じモノクロの写真が挟まれていた。
「この写真、彼女のスーツケースに入っていました。」
「それは、ここで撮った物だ。あいつにその兆候が現れたのは、一年程前の事だ。最初はただの風邪と同じ症状。倦怠感、発熱、咳。それが続き、吐き気、呼吸がしづらくなっていく。あいつは、トリプル・システムを持っていたからな。俺も初めの内は気にしなかった。トリプル・システムが風邪だと判断したんだと。気がついた頃には、こんな場末の闇医師一人がどうこうできるような状態ではなくなっていた。その頃からだ。約束を果たさなければならないと言い出したのは。」
「約束・・・・・・ですか?」
「あぁ。俺にも詳細は話してくれなかったがな。この場所に来る前に世話になった人との約束だと。それを果たすのが自分の役目だと。」
「役目・・・・・・。」
「あぁ、マドカがあんたの目の前で死ぬ前に連絡をくれた。その時に、そう話していたんだ。死の華を発症したのも、解っていての事。死を自ら選んだことも、覚悟の上での事。
それでも、果たさなければならない約束なのだと。」
淡々と話す医師の言葉からは感情は読み取れない。それ故に、僕の耳には哀しみを伴っているように聞こえてならなかった。
「・・・・・・そんな約束、いらないです。」
「あぁ。そうだな。何もかも一人で勝手に決めちまう。残される方の身も巻き込まれる方の身も考えずに。
だからこそ、俺はあいつの死を無駄にしたくないんだ。本当にこんな事が世界を変えることに繋がるのかは、未だに疑問符がつきまとうが、それでも、あいつがそうだと信じて、自分の命すら賭けてやった事を正解にしてやりたいんだ。
 ミハラさん、巻き込んでしまってすまないが、もし良かったら、あいつに力を貸してくれないか。」
そう僕に向かって頭を下げるその白と黒の混じった頭を見つめながら、マドカが書いた文字を見つめる。

『人々は白に犯された。』

その文字を見た時から、否、このサカイに来るまでから、僕の心の内は決まっている。今更、彼に懇願されるまでもない。誰かに止めろと言われても、今更止めることはできないだろう。小さな秘密は、大きな疑問符となって、僕の頭を支配しているのだから。

「マドカに頼まれたからここに来たわけではないんです。
ここに来たのは僕自身の意志です。」

 小さな窓から見える外は、未だ真っ白だ。
この世界を変えるなんてことが本当にできるのか、僕自身にも分からない。このサカイに来ても、手がかりは未だ細い糸を辿るように脆い。
この先がどこに向かっているのか、僕自身にもまるで分からない。
でも、だからこそ、僕は旅を続ける。
マドカが残した小さな糸を辿って。
いつか、終着点に辿りつけることを願って。

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