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アラベスクもしくはトロイメライ 14

第三章 五

 月明りを反射させる波しぶきの中に答えを求めるように、静かにそれらが繰り返すさまを私たちは何時間も見つめ続けた。
「これは、慰めにしか聞こえないと思うけれど。」
そう切り出した華唯を、月光の下で見つめる。バスの中で話していた時のような舌っ足らずな口調とは打って変わり、大人びた口調で話す華唯の横顔は、どこか寂し気だ。
「花園風花は、砂奈の話をいつも楽しみにしていたわ。それは、変わらない事実よ。それから、砂奈は自分が風花を壊したと思っているみたいだけれど、それは、砂奈の勝手な想像に過ぎないわ。」
「だけど、今までだって……。」
「真実は、いつも一方向とは限らない。都合の良い方ばかりを見ていたら、いつか大やけどを負うわ。
 これは、もう少し後で話そうと思っていた事だけれど……いいわ、少しだけ、ヒントをあげる。風花に近づいたのは、私の方からだし、彼女を壊したのも私よ。」
「それってどういうこと?」
「後は自分で考えなよ。いい?ヒントなんて、そこら中に転がっているんだから。」
 私は二人を失うのが怖くて、風花と華唯を引き合わせたことはない。違うクラスであった彼女達が二人きりで一緒に居る所を始めてみたのは、私と風花が話をしなくなって、すぐの事だった。てっきり、風花から華唯に接触をしたものとばかり思っていたのだが、どうやら真実は違ったようだ。だが、華唯が風花を壊したとはどういう意味なのだろう。それに、そのことがどう風花の自殺と関係しているというのだろうか。
「なぜ」「どうして」を繰り返す私に、華唯はただ波を見つめ続けるだけで、何一つ返してくれない。結局、私たちは根競べをするかのように、二人黙ったまま日付が変わる頃まで海辺に居続け、すっかり塩臭くなった制服を引きずりながら、街灯がぼんやり照らす道を辿り、帰路へと着いた。

 少し前を歩く華唯の後ろ姿が暗闇の中で見えなくなりそうで、駆け足でその背に追いつき、母親の服の裾をぎゅっと掴む子供のように、彼女の制服の端を握りしめる。
どうして、私は、今こんなにも不安なのだろう。そう、自問しながら。
 風花が居なくなっても、私と華唯の関係は変わることがない。そうどこかで信じ切っていた私を嘲笑うかのように、今夜の華唯は私が今まで見てきたどの華唯にも当てはまらない。
それが、酷く怖い。
全てはこの街灯の無い夜の闇のせいだ。
そう、自分に言い聞かせ足を動かす。

夜空にぽっかりと浮かぶ白い雲と丸いお月さま。

いつもの自販機。

毎朝、待ち合わせをする道の角。

近所の大きな犬がじゃらじゃらと首輪を鳴らしながら、通り過ぎていく私達に挨拶をする。

白い扉。

チョコレート色の屋根。

 漸く辿り着いた扉の中から飛び出してきた幼い妹に抱き着かれながら、私は一人闇へと消えていく華唯の背中を見送る。何か言葉をかけようと一巡する私を残して、その背はゆっくりと闇の中へと溶けてゆく。父と母にこっぴどく叱られ、妹に散々塩臭いと言われながらも、私はこの輪の中で笑えている自分を今、愛しいと感じている。その一方で、私は自分の事が嫌いだ。こんな相反する感情を持つ私をありのまま受け入れてくれる存在が、時に有難く愛しくもあり、時に重たく感じる事もあるが、それでも大切な存在であることに変わりはない。
 家の中ではいつも一人きりだからと話していた華唯が、どうか今夜だけでも扉を開けたその時、温かく迎え入れてくれる人がいますようにと月夜に祈る。


 華唯は自分が風花を壊したと言った。
だが、やはり、風花を壊したのは私だ。華唯は優しいから私の気が少しでも紛れるようにと、そう、私に告げたのだ。真っ暗な部屋に射し込む月の光を見つめながら、私は結論づける。
 どこかに拭いきれない違和感を覚えながらも。

そして、その違和感を私は決定的になるまで、気が付かない振りをした。
それが、結果的に最悪で、だけど、待ち望んだ結果を生み出すことも知らずに。

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