モノクロの写真

モノローグでモノクロームな世界    第一部 第二章 三

三、
 バスに揺られること、小一時間。
国土をぐるりと取り巻く白い壁の近くまで来ると、中心地と異なり景色は一変する。内壁と外壁の狭間。透明な壁の外にあるもう一つの壁。その存在を確認する度に僕の心は、その外に行ってみたいと密かに願う。
いや、きっと僕だけでないだろう。この二重の壁を実際に自分の目で見た者の多くは、そう密かに願ったはずだ。たとえ、一過性の感情だったとしても。
 普段中で暮らす人々が意識しない僕らが壁と呼ぶそれは、ドーム型の二重の壁で国土をぐるりと取り囲んでいる。The Bee。別名、蜂の囀り。それが、このドーム型の壁の名だった。
 蜂の囀りは、水やエネルギーの循環システム、外気温との調整機能を持つ内壁と外側からの外敵やウィルス等から国民を守る外壁から成り立つ。内壁は透明な壁になっており、壁の際付近にまで行かない限り、その存在に気づかない程だ。内壁の管理は各国の政府、外壁はナインヘルツが管理している。
「ケイ。おはよう。」
職場であるカウンターの中に入ると同時に挨拶をしてきたツツジに僕は、挨拶を交わした。短く刈り上げられた髪につりあがり気味の切れ長の瞳。白い制服の首元には彼がいつもつけている真鍮のネックレスがライトに照らされて鈍い光を放っている。
「おはよう、ツツジ。外壁のA-3エリアにポッドが停まってたけど。」
「あぁ。あれね。昨日の夜、燃料切れだとかで緊急着陸したんだ。」
「緊急着陸?珍しいね。乗組員は?」
「ダームシティのお偉いさんとかみたいだ。ほら、この人。」
そう言うとツツジは、手元にあったタブレットの画面をスライドさせて、ある人物の情報を表示させた。
『カミシロ マトバ』
そこに写しだされていたのは、その七文字の言葉と白い長髪の俯き加減の男の写真だった。
「この男だけ?」
「そう。何でも、その人、人探しの途中らしいよ?」
「人探し?」
そう聞き返しつつ、僕は彼の入国レポートの頁へと指をスライドさせた。
 確かにツツジが話してくれた通り、入国記録には昨日の深夜に緊急入国を示す文と彼への取り調べの記録が残されている。
それによれば、マトバはこの国の隣、ハン国へと行く途中で燃料切れを示す警告音が鳴ったため、十月国のここ最北端に位置する北道ポッド・ステーションに対し、緊急発進をし、これを受け十月国は一時的な緊急受入の措置を行った。マトバのこの国への滞在期間はポッドの修理期間を考慮したうえで、一週間とし、その間、原則ポッド・ステーション内のエリア47から十月国国内への侵入は不可とされること、そして常にトリプル・システムを起動させておくことが言い渡されている。
「燃料切れも相当珍しいけど、人探しはもっと珍しいよね。」
ツツジはゲートに設置されている休眠中のタブレットを次々と起動させつつ、僕にむかってそう話しかけた。ブゥオンという軽い起動音と共に灰白い光が彼が歩く速度に合わせて、闇に支配された一帯を照らしだしていく。
ポッド・ステーションはこうして、毎日、昨日という長い眠りから目を覚ます。

 十月国に四か所あるポッド・ステーション。その中の最北の地にある北道ポッド・ステーション、通称エリア47が僕の勤務先だ。
僕らのこの衛生歴の世界は、大小様々な国々がひしめき合い一つの世界を創っていた西暦時代とは異なり、領土も国民の総数もほぼ横並びの九つの国で成り立っている。九つの国、即ち僕らが今いる世界の東側に位置する十月国、その隣に位置し、国土の半分を広大な砂漠が占めるハン国、この世界の経済の中心であるダームシティを有する地下帝国スウィフト、北側に位置するガルーシャ国、反対に南側に位置し、小さな民族同士が集結し一つの国として成立しているサミュイル国、西側に位置し西暦時代の文化を色濃く残すクリプト国、世界で唯一、生きた動植物の保護区を自国内に有するノーマカマリ国、広大な塩湖が有名なサリティ国、そしてナインヘルツの本社を有し、国民の多くがナインヘルツの関係者から成り立つ衛生都市ヘルツ。僕らの世界はこの九つの国から成り立ち、各国の周囲はThe Beeによってそれぞれ守られている。The Beeの外側は永遠に続く、荒涼とした大地と極寒の空気が渦巻いている。

 他国への移動は、通常、ポッドと呼ばれるオート式の小型飛行機が用いられ、どの国でも国土の境界線である内壁と外壁の間にポッドステーションを複数持っている。毎日、外壁内の上空には、物資や人を乗せたポッドが目まぐるしく旋回している。とはいえ、一般国民の多国間への輸送人員数は、毎年減少の一途を辿っている。通信網の発達により、容易に自宅に居ながらにして、他国の文化や遠方の人間と会話ができるようになった点、そして入国審査の査定の厳しさと手続きの煩雑さがその原因としてしばしば取沙汰されており、ゆくゆくは僕が生業とするこの入国審査官の仕事も激減するだろうと巷では言われているが、僕はその点んに関しては半信半疑に思っている。
 というのも入国審査官の役割は、十月国からの出入りを審査する最終審査としての責任も無論あるが、それ以外にも重要な役割を担っているからだ。
それが、他国からの移住者の初期サポートだった。
そして、この仕事内容故に、入国審査官という職種は貴重職種とされ、就職希望者の数に対してその採用率が極めて低い。
 翻訳機が大幅な進歩を遂げ、初対面の外国の人々とも、例えそれが初めて聞く言語だったとしても恐ら多くの人間がタブレット越しに会話をすることが可能だろう。ましてや、現代において多くの国では共通語での教育が施されており、我が国でもそうだが、ある年代を境に多くの国で、その国や土地に根付いていた言語が話せずに共通語しか話せない世代が増加している。
このように意思疎通が事欠かなくなったとはいえ、誰も自分を知らない、誰にも頼ることのできない他文化の中で暮らすという事は、想像するよりも遥かに困難だ。そういった移住に関する様々な初期サポートを担うのが、入国審査官であり、地域の衛生委員達と一緒にチームを組み、サポートに当たる。故に言語だけでなく、他文化についても精通していなければ、この仕事は成り立たない。

 衛生歴で出入国審査が厳しくなった理由。そして、余り世間一般には知られていないが、この一定数の移住者の受け入れがある理由。それらは実は、ある共通の問題に対する対策によるものだった。
 その共通の問題とは、食糧の供給バランスだ。
西暦から衛生歴の狭間の時期に行われた世界規模の一大プロジェクト、その名も、人類の最適配置は、無になった土地で一番の問題となった食糧難に対する問題回避手段として取られた。
故郷を失い、地下シェルターから這い出たばかりの人々に対し、発足して間もないナインヘルツは、食糧、土地、また支配者の統治能力に従い、人数やそのバランスが整うように各国へと人々を配分していった。多くの人々が故郷と呼ばれる国を失い、半ば明日の我が身を案じていた頃のことだった。
 土地と温かい食べ物、人並みの生活の為、人々は新しい国、新しいシステムへと見事に順応していった。その多くは元々暮らしていた土地や文化に近い場所へと配置されたが、中には今まで暮らしてきた文化を棄て、新天地へと移住を希望する者も多かったと言われている。
 それから現在に至るまで、ナインヘルツは毎年、九つの国全ての人口推移モデリングを発表しており、その供給バランスの維持に努めている。
この先、仮に一つの国で爆発的な人口増加もしくは人口減少が起こった場合、間違いなく、ナインヘルツは更なる適正配置を行うだろう。そうならない為にも、各国の衛生委員会や政府を初めてとする行政機関は、自国の人口バランス変化に直結する、入出国に対し厳しい審査基準を設けると共に、ナインヘルツによる一定数の移住者の受け入れを容認している。
 つまり、移住者にでもならない限り、僕ら一般国民の多くは、この国で死ぬまで同じ光景を見続けるだけでなく、一時の逃避行を楽しむために飛行機に乗り、他文化の空気を嗅ぐことすら無い。
 それが、僕らの世界だった。

 

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