![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/30944854/rectangle_large_type_2_e42bcb71a57efc1fd4f745c1eb7e94fc.jpeg?width=1200)
看護師とライバーという仕事への思い的な
わたしが最初に配信を始めたのは、2011年3月12日。東日本大震災の翌日でした。
当時パニック障害とうつ病で看護師を休職していたわたしは、一時的に実家に帰っていました。
自分の日常生活もままならない状態で震災を体験し(幸い実家は特に被害はありませんでしたが)、自分の眩暈なのか地震の揺れなのか分からなくなるようなゆっくりとした長い揺れと、その後の映画でも見たことがないような実際の津波の映像は、今でもしっかりPTSDとして残っています。
わたしは、自分自身にはなんの価値もないと思い込んで(若干そう刷り込まれて)生きてきました。
看護師になったのは、少しでも人の役に立ちたかったからでした。
特に家族など身近な人を一番最初に助けられる人物になること、そして、自分と同じように病気でつらい思いをしている人の「心を救えるために」「正しい知識と技術を持ち続ける」ことを目指していました。
少し脱線しますが、「心を救う」ことと「知識・技術」は、すこし相反しているように見えますが、本当の意味で患者さんを救うためには、全人的な痛みに対するアプローチ、多角的な視野での介入が必要だと考えています。
わたし自身が子供の頃から身体が弱く、通院していたり入院することも何度かあったのですが、その時出会った看護師さんたちが子供のわたしには「なんの根拠のない、表面的な優しさ『らしき』ものだけで自分に接している」ように感じていました。
「なぜ理由も説明できないのに『大丈夫』と言うんだろう」
「この人はわたしの名前すら覚えていないけど、そんな人がわたしを見に来て何が分かるんだ?」
「ちゃんと食べなきゃダメって、食べられないから入院してるのにバカなのかこいつは?」
今は、自身の看護師としての経験を通して現場の大変さも十分理解しているので、同じ状況にあっても当時と同じように思うことは少ないかと思いますが
幸い主治医には恵まれていたので、特に看護師に対して、このようなネガティブな感情を強く持っていました。
そこから「じゃあ自分が看護師になって、同じような思いをする患者さんを一人でも減らしたい」と思うのは、今考えても当時からわりと捻くれていたなあと思います。
脱線がだいぶ長くなりましたが、そんな思いを持ったまま看護師になり、「本当に困っている人を、きちんと救える医療者」であるために働いていたわたしにとって
ちょうど自身の休職中に起きた大規模災害は、「結局自分もなんの役にも立たなかったな」と思うには十分な出来事でした。
そこから時間と薬と大切な人の力を借りて少しずつ元気になり、東京に出てきて災害拠点病院や救急指定病院で働きました。
もしも次何かが起きたときに、それがいつであってもいいように、ベストな状態で現場にいたい。あの時の分まで、その時は最前線で戦いたい。
そして、「その日」はずっと来なければいい。
毎年3月11日には、必ずこのことを思い出す日にしていました。
そして今年、わたしは看護師を辞めました。
初めて、ネガティブな原動力ではなく、単純に「やってみたい」「どこまでやれるか分からないけど、めちゃくちゃ頑張ってみたい」と思えることがあったからです。
それが、みんなが作ってくれた上田りさです。
不思議なサイクルで、また配信の世界に戻ってきました。
今年の3月11日は、看護師に復帰してから初めて現場にいない状態で迎えました。
きっと以前のわたしだったら、このコロナの世界的な流行のなか、また現場に居れなかったことを同じように悔やんでいたと思います。
役に立てることがあれば現場に戻ろうかなと思ったこともありましたが、実際「朝起きれない、夜勤もできない」看護師は、なかなか採用してくれるところもないので(笑)
ですが、いまは不思議と当時のような無力感は感じていません。
いまも最前線で戦ってくれている仲間の皆さんには、本当に感謝と尊敬の気持ちでいっぱいです。
でも、いまのわたしには、わたしにしかできないこともあるみたいです。
医療従事者の皆さんはもちろん、感染のリスクがありながらもお仕事を休めない方、逆にお仕事が無くなってしまったり収入が減ってしまった方、思うように勉強や就職活動が進まない学生さん。
現在もまた感染者数が大きく増えているなかで、多くの人がこれまでにない不安とストレスと、経済的なダメージと
さらに、罹患してしまった方は身体的苦痛に曝されています。
ここで冒頭の話に少し繋がるのですが、いま日本中が、世界中が「全人的苦痛」を比較的強く感じていると思うんです。
いまはちょうど現場にはいないけど、わたしにできること。
できるだけ正しい知識を、伝わりやすい方法で、たとえばLIVE配信で、ツイッターで、noteで、医療従事者として発信し続けること。
そして、「これまでの日常」が失われてしまった皆さんに「もうひとつの日常」を提供すること。
感染リスクを承知で出勤して、感染対策のための消毒や検温などの作業が増えながら元ある仕事をして、本当は飲みに行きたかったけど、ご飯食べに行きたかったけど、ちょっとアレだし買って帰るかーなどと考えて、コンビニでビニール越しのレジで会計して帰宅して、手洗いしてうがいして消毒して…
これまでにはなかった変化がたくさん起きていて、毎回意識はしていなくても少しずつのストレスがかかっていて
その中で、「上田の配信」はいつも同じであること。
定時になったら、つけたらやってる。いつも通り。
とりあえず一旦息をつける。ご飯食べながら、ビール飲みながら、コーヒー飲みながら、アイス食べながら、一旦違う場所に意識を置ける。
金なんて今みんなあるわけないのに、相変わらず上田は「馬車馬車」言ってる。
こいつも実はわりと毎日頑張ってるのかなあ。
どうせ夏も旅行に行けないし、いっか。今日だけ。
いまのみんなの「非日常」が、「with コロナの日常」になるまでは、そんな場所であり続けたいです。
https://www.pococha.com/app/users/59cb128f-602c-488f-b1ba-b5c77cb76e90
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?