見出し画像

不登校になったきっかけ

不登校になったときのおはなし。

わたしが不登校になったのは、
中学2年生のときでした。

「優等生」の仮面

元々プライドが高かったわたしは、
周りから「勉強ができる優等生」だと
思われていることに満足していました。
そう、表面的にはそれでよかった...。

でも、その"表面"を取り繕うことが
わたしにとっては、
それはそれは難しいことだったのです。(苦笑)

テストがある毎に発表されるクラス順位。
模試の場合は、学年順位や県の順位、
全国の順位が発表されます。

中学2年生にもなるとテストや模試は
かなり頻繁にあって、
その順位を目の当たりにする度に
わたしは劣等感に苛まれるようになりました。

大嫌いな勉強

そもそも学校の勉強が大嫌いだったわたし。

・ただ、公式を覚えて回答する数学
(公式に当てはめて答えが出てもおもしろくない)
・年号と出来事を暗記する歴史
(歴史上の人物に親近感が湧かない)
・分法や品詞を覚えて文章の構成を理解する英語
(何でわざわざことばを分解するのか)

内心では
"何でこんなにも楽しくない勉強をするのかな~"なんて思いながらも、
「優等生」を演じるために必死でした。(笑)

人生初の挫折

けれど、あるときを境に
その「優等生」の外面を保つことが
急激に困難になります。

きっかけは
高校受験に向けて通い始めた進学塾でした。

その進学塾では、
成績が優秀な子が集められた"難関"クラスと
それ以外の子が集められた"普通"クラスに
分かれていました。

毎週出されるのは、
気が遠くなるほどたくさんの課題。
ただでさえ勉強嫌いのわたしは
既に戦意喪失です。(笑)
課題に手をつける気さえ起きません。(笑笑)

でも、テストは問答無用で毎週やってきます。

当然のごとく結果は撃沈。赤点だらけ。
本物の優等生との差は歴然です。

そんな現実を目の当たりにして、
わたしの「優等生」の外面は
木端微塵になりました。(笑)

発泡スチロール事件

こうして"普通クラス"が
すっかり定着したあるとき、
わたしの中で一大事件がおきました。

それは確か英語の授業、
発泡スチロールでできた棒を持って
教室にやって来る、
ちょっと変わった先生の授業のときのこと。

その棒は愛のムチとして使われていて、
問題を間違えた塾生の頭をポンッと
軽くたたくための道具でした。

ただの発泡スチロールの棒...。
けれども、わたしにとってのそれは
自分の恥を晒すか晒さないかの命運を左右する
恐怖の棒だったのです。(笑)

———

先生が黒板にいくつかの問題を書く。
塾生は問題をノートに写して、
自分の答案を書く。
問題を書き終えた先生は、
発泡スチロールの棒を持って
わたしたち塾生の答案を覗きにやってくる。

このとき、問題の答えが間違っている塾生は
その棒で頭をポンッとたたかれる。

皆が真剣に問題の解答に取り組む、
シーンと静まり返った空間で時折聞こえる
発泡スチロールで頭をたたく音。

音がする度、
その音が聞こえる方向に自然と意識がいく。

"あっ、あの子間違えたんだ"

そんなことを思っているうちに
先生はわたしのすぐ近くまで来ている。 

(ドクドクドク...)
心臓の鼓動が加速する。

"お願い、たたかないで...!"

「ポンッ」

———

......何かがプツンと切れた。

不登校の前兆

この出来事の翌週からわたしは、
塾に行かなくなりました。

先生に頭をたたかれたこと。
それはわたしにとって、
「劣等生」のレッテルを貼られたのと
同じことでした。

普通クラスの劣等生になったことを
どうしても受け入れたくない気持ち。
頭が悪いことが周りにバレてしまったという
羞恥心。

難関クラスに入れずに
普通クラスになったときに忘れたはずの
わたしの「優等生」であることへの
プライドは、どうやら
忘れられていなかったようです。(笑)

不登校の道へようこそ

進学塾で底辺になったわたしは、
すっかり自信を失ってしまいました。
そして怖くなったのです。

何が怖くなったのか?

学校でも「劣等生」になってしまうことが
怖くなった。

そんなこんなで
塾に行かなくなって間もなく、
学校にも行かなくなりました。


「優等生」であることへの執着と
「劣等生」になることへの恐怖。

プライド、見栄、劣等感、
不甲斐なさ、情けなさ...。

いろんな感情が渦巻き
心がグチャグチャになったわたしは、
学校教育から逃げるように
不登校になったのでした~。(笑)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?