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変化に立ち向かうことについて

人は変化を恐れる。変わらないでいたほうが楽だ。不確実な未来は不安だし、経験したことのないことは怖い。

しかし、変わらないことを選び取って過ごしているはずが、人はいつのまにか安定したその状態に退屈さや違和感を覚えたりする。

それはきっと人は本能的に変化を求めているからではないだろうか?そうやって人は成長していくのではないだろうか?

継続は力なり

幼いころ、母は、祖父が良く言っていたという「継続は力なり」という諺を私に教えてくれた。飽きるのはあんまりよくないこと。何事も忍耐強く続けてこそ成果が出る、我慢が美徳、そんな風にも私は信じていた。

それゆえ、飽きたな、ちょっと違うな、という気持ちを否定して一つのことを(私にとっては)長く継続してきたほうである。例えば、ピアノは3歳~高校1年生まで続けて、ある程度評価されることもあったけれども、完成度や技術にこだわるほど好きになれなかった。

おそらく、母が探してきたピアノ教室の感じが私は好きになれなかったのだと思う。指導方法にも、あからさまにお嬢様な感じも、違和感があった。母が私に”お嬢様”を押し付ける感じが嫌だったのかもしれない。でも言えなかった。ほかのことがやりたいとか、他のジャンルの音楽がいいとか、挑戦したければ言えばよかったのにと今は思う。

きっと、自分から挑戦するのは怖かったのだと思う。それまで続けてきたからこそ得たものもあって、それを失うのも怖かった。新しいことに手を出して失敗するのも怖かったし、周囲の期待から外れるのも怖かった。我慢してただただ頑張る方が、評価もされるしはるかに楽だったのだ。

子育てで気づいたこと

それから年月が経ち、結婚して子供が生まれた。ちょっと話がずれるけれど、長女が0歳のうちは、やりたいと思うことを子供を理由にやれないと勝手に我慢して、世間の目におびえていた。お母さんなんだから、ちゃんとしなさい、って見張られてる気がした。例えば、仕事を思う存分やるとか、休日夫に子供を預けて整体にいくとか、そういった些細なことが憚られた。

でも、自分が我慢していると子供にも我慢を強いてしまう自分に気がついた。しかし子供は素直だ。我慢なんかしない。やりたいようにやる。その姿にハッとした。

同時に、我が家の子育てにおける判断の最高責任者は私である。子供に関する些細な意思決定ひとつ取っても、自分の気持ちに嘘をついている状態では、よい判断ができないことに気づき始めた。周囲の期待や自分の外に軸がある状態だと、判断がぶれる。

私は子育てをしながら、迷ったし悩みに悩んだ。これでは娘たちに対しても誠実でない気がした。そして自分の中のコアな気持ちに戻ってきた。我慢しないで、と娘たちに教えられてる気がした。

「継続は力なり」は本当だと思う。でも、自分の中の違和感とか、変化する気持ちも重要だと気づいた。今まで続けてきたものや考え方を手放して、新たに挑戦・行動してみた先に、もっと丁寧にこだわれるものに出会えるかもしれないではないか。

エルサへの共感

今月はじめに『アナと雪の女王2』を娘たちと見に行った。(まだ見ていない人はネタバレ注意!)

割と序盤で、エンドソングにもなっている「イントゥ・ジ・アンノウン」をエルサが歌うシーンがあるのだが、そこで私は図らずも感動して泣くことになる。

どうかしてるわ 空耳よきっと 
騙されるはずがない 聞く気はないわ
愛する人たちはここにいるの 
危険をおかすこと二度としないわ
それでもあの声は求めてる
未知の旅へ 踏み出せと
本当はここにいてはいけないと
見つけに来いというのね
みんなと違うと感じてきたの
だから心が望むの
未知の旅へ

エルサが歌うこのシーンは、生き辛さを抱えた大人にとって、共感する部分があるだろう。私はとても共感した。

10月頭に、私は転職を決意した。新卒から10年以上務めた会社を離れるのは不安だし、一時は罪悪感すらも芽生えた。家族も最初は反対した。

でも自分の中の声に嘘をつくことはできなかった。心が望んでいた。我慢して周りに甘える人生はやめにしたい。手探りだとしても、自分の人生に覚悟をもって生きていきたい。

ーー

私は変化へ立ち向かう。世の中の変化にも、自分の気持ちの変化にも。「我慢」や「ただ頑張ること」に逃げるのではなく、世の中を広い目で見つめ、自分の心に正直になってみたい。自分が信じる軸を持って、それを元に判断していきたい。その方がきっと愛する人たちを幸せにできる。これからは私が、周囲の人々を幸せにしたい。

あなたの心の中の違和感は、あなたにきっと進むべき道を教えてくれる。怖くても、一歩踏み出してみようじゃないか。変化に立ち向かってみようじゃないか。

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