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成長したね

小学校から高校まで
勉強が好きだと思ったことは
一度もなかった。

ずっとずっと嫌いだった。

それは多分、私にとって勉強が
「強制されるもの」だったからだろう。

私の家系には高学歴の人間が多い。
特に母方。

だからなのか分からないが、
私は小さい頃から母に勉強を強制されてきた。

チャレンジ小学講座を小学校1年生から始め、
様々な問題集を買い与えられた。
私に与えられた沢山の教材は、
自分のペースでやっていいわけがなく、
母が作るハードすぎる学習カレンダーに沿って
進めていかなければならなかった。
中学受験でもするかのような教材が
全く受験の予定がないのに
毎日大量に課されていた。

当然、出来なくてどんどん鬼畜カレンダーに遅れ、
母に責められ、
泣きながら作業のように問題集をやっていた。

それは中学校にあがってさらに加速した。
1番覚えているのは「最高水準問題集」。
最難関私立高校の入試問題ばかりが
集められた問題集で、
基礎を固めた上で
相当の偏差値がある人が使うための問題集だ。

これは本当に苦しかった。

できないのに、進まないのに、
どんどんやる量だけが増えていって、
溜まってきた期間なんかは
毎日大泣きだった。

中3になって、はじめて塾に入った。
私は感動した。
塾の勉強は辛くないのか!と驚いた。
勉強は相変わらず嫌いだったが、
塾という場所は大好きだった。

高校受験を乗り越え、
無事第一志望の高校に入学し、
高校生活が始まった。
中3の時の塾は、
高校部門は取り扱っていなかったため、
塾なしの生活が戻ってきて、
母の買ってきた問題集に追われる日々が
再開された。

そんな私の勉強における楽しみは、
定期テスト期間にだけ、
中学時代の塾に行って、
数学の先生に質問してくることだった。

それ以外は、高校の勉強ということで
難易度も上がり、
正直地獄だった。

だからやる気をなくし、
見えないところでサボれるだけサボり、
その結果高校の考査では
下から数えた方が早くなるくらいまで
成績が落ちた。

高3になって、大学受験の為に
予備校に通い始めた。
やっぱり私は感動した。
中3の時と同じ感覚。
勉強は大嫌いなのに
塾は大好きだった。

思えば、
ずっと母から勉強を強制されてきたが
褒められたことはほとんどなかった。
中学の定期テストで、5位以内をとっても、
なにかの科目でクラス1位をとっても、
他の誰かと比べられて劣る点だけを
指摘されてきた。
実力テストで
過去の実力テストから見ても
誰よりも高い点数で一位をとった時も
褒める言葉は一瞬で終わり、
「この科目がまだ低い」と
すぐに悪い所の話が始まった。

だから塾という環境は新鮮だった。
そこにいるスタッフや先生は
少しでも良くなったことを、
全力で褒めてくれた。
私だけを見てくれて、
過去よりもいいことをちゃんと認めてくれた。
その上で、まだまだ改善出来るところは
一緒に考えてくれた。

以前に何度かnoteに概要を書いていた
破天荒すぎる大学受験を終えたとき、
それでも勉強は嫌いなままだった。
でも、ほんの少しだけ、
その感情は小さくなっていた。

大学に進学すると、
私の中に大きな変化があった。
勉強が嫌じゃなくなった。
問題集どうこうの話じゃなくなり、
母の口出しが少なくなったのが
原因なのか分からないが、
今じゃ大学内の図書館や書店に入り浸っている
立派な大学生だ。
大学に行くことはあんまり好きじゃないのだが、
講義や施設には夢が詰まっていて、
それらは本当に好きだ。

あとは、空きコマなどを利用して
街中を1人でただ歩き回るのが好き。
あそんでるようにしか見えないが、
この時間は私にとってすごく大事な時間。
都会の知らない人だらけの街中を歩き回り、
流れる時間を感じたり、
風景や人の流れ、
お店の中の細かな装飾や掲示などから、
見たことのない、味わったことのない
感情や感覚を収穫している。
私にとって、それも学びのひとつだ。

学ぶこと。
それはかつての私にとって
圧倒的に敵だった。
しかし今は、
かけがえのない、
きらめいた時間である。
まだまだ私に足りないものを
どんどん学んでいかないとな。

草々。

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