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3.11を体験できなかった私が10年目に思うこと

「3.11を体験できなかった私が10年経って思うこと」

このタイトルを見て何か違和感を感じなかっただろうか。あるとすれば、「体験できなかった」の部分ではないだろうか。

これは私なりの考えがあってあえて書いているものだ。10年前私は日本におらず、東日本大震災を体験していない。テレビで外国のニュース番組で速報が流れた、あの時の衝撃は今でも忘れられない。海外だからこそ、日本のどこの地域かの説明はなく、"JAPAN"という言葉と"TSUNAMI"という言葉と映像だけが流れ続けた。日本に親戚や友達、多くの知り合いがいた私はとても心配になったが、当時10歳の自分の無力さを感じた。

まず電話をかけていいのか、日本のどこに影響があって、どこになかったのか、映像だけにあっとうされ何をすればよいのかわからなかった。SNSをやっていなかった私はメールで数人の友達としか繋がっていなかった。あとは、ずっとエアメールで手紙を国際郵便で送っている友達が一人ぐらいだった。ただただ何もできないのにパニックになって、とりあえず祖父母に電話をかけたことを覚えている。

そんな映像だけでも恐怖と落ち着かなさとを感じていたのだから、それを日本で、そして東北で被災された方々はどれだけ怖い想いをしたのだろうかと考える。

だからこそ私は「体験できなかった」という表現をした。私には、支援をすること、現地を訪問したり、歴史的事実として学ぶ、そして伝えることはできるかもしれない。しかし、同じ体験をしていないため、被災された方と同じ位置でものを見ることができないのである。

私は高校の時からまちづくりに取り組んでいる。その大きなきっかけは、東日本大震災の復興支援として高校の先輩方がスタディーツアーで女川を訪れた時の経験を聞いたことが始まりだった。東北の現状を知ること、そして現地で話を聞くという体験を先輩方はされていた。

その中でも私が注目したのは、「高校生としてできること」という先輩の言葉だった。先輩方も3.11を体験したが、関東にいたため東北の方々程の経験はされていない。だからこそもちろん復興のお手伝いとして行っていたが、毎年行く内に、ただ復興をお手伝いではなく、もう前を向いて新しいまちづくりを始めていた。だからこそ、先輩方はその姿を見て復興支援を応援するのではなく、その新しいまちづくりを応援することを決め、プロジェクトを進めていた。私はそこに関わるようになってから、まちづくりに対する考え方や見方も変わり、「若者としてできることは何か?」を考え、それを形にできるように活動を続けてきた。

この活動をしていく中で、

きっかけとなった東北にも行ったことがなく、3.11も体験していない私には何ができるのだろうか?

と考えるようになった。そのプロジェクトを進めていく上で、東北との繋がりはあり、文化祭では東北の支援に繋がる商品を販売していた。そして、このプロジェクトについて説明する際にはこの先輩方の東北の経験について私が話すことは多かった。

自分なりに考えた結果、先輩方の見たことや話に影響されたが、今は自分なりの視点でできることをやるきっかけが東北にあり、体験をしていなく、現地を見たことがなくとも私なりの解釈で活動を続けてくるようにしていた。

もちろん3.11だけでなく、私は戦争も経験していなければ、紛争地域に行ったこともない。多くの社会問題に取り組みたいと思いつつ体験したことがないことはたくさんある。

しかし、10年目に改めて考えること、そしてこの「体験できなかった」という事実と向き合いつつ、自分なりに考えることが大切だと考えている。

これこそが「3.11を忘れない」私なりの方法なのではないかと考える。私は忘れるものがない、経験していないから。そして体験できなかったからこそ、体験した人の考えに寄り添いきれない部分や知らないことがたくさんあると思う。それでも自分にできることはあり、自分なりにそれを見つけ、考える必要がある。

なぜなら私は日本人だから。そして身近にその恐怖や大変さを感じた人がいて、それを乗り越えて今日もそれを語り継ぎ、前を向いて生きている人がいるから。

改めて、被災された方々には心からお見舞い申し上げるとともに、復興に尽力されている皆様には感謝を申し上げます。

そして私はこれからも「3.11を体験できなかった者」としてこの震災と向き合っていき、この考えを大切にしていきたいと思います。


本日は少し表現をするのが難しい内容でしたが、10年という節目でもあり、ハタチになったということもあり、私なりに考えたことをまとめました。

様々な捉え方があると思いますが、一意見として読んでいただければ幸いです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。