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謳歌

言葉にする場でこんなことを言ってしまえばおしまいになるかもしれないけれど、言葉に出来ないことの強さはなんて揺るぎないんだろうと度々思う。

勿論、それでも言葉にしたいと思って文章を書き続けている人も、出来ないと思っていたことのひとつをどんぴしゃりで言葉にしてしまえる人も、そんな人に出会う体験をした人も、世の中には沢山いることを知っている。

目に見えないし言葉に出来ない。聞こえはしないし匂いもない。触れられもしない。そんなことが実際私達の周りには溢れまくっていて、じゃあ私達はどうしてるのかって、それはやっぱり感じているのだと思う。ひしひしと肌で心で感じている時もあれば全く気付いていないうちに無意識に入り込まれている時もある。でも感じているのだと、ただその一点のみを自分で認識することが出来れば、私達は考えることが出来る。次のステップにいける。
私は言葉に出来なさすぎて何度も絶望したことがあるけれど、口にも文章にも出来ないからってその体感がないこととは決してイコールでは結ばれないしいつか、人の手によってか、それとも自分でかは分からないけど、ストンと整理されることが有り得ると信じている。そして五感だって、全部が通り道なのだから何一つ蔑ろには出来ない。それを教えてくれた一人の作家はやはり偉大だった。


今でも一番大好きな音楽家の音楽を、まだ幼い私は道標のようにして持っていた。こんなものがあるなら、これを知っているなら、私は大丈夫だと思えたその時から今振り返ってみると、その気持ちは変わらなくてもやっぱり後になって分かることはあるのだなと思う。全部を今分かることは出来ないのかもとも思う。
なんだろうこれ?って手元を眺めているその瞬間があっという間に後ろに置き去りになっていて、ああそうだったのかありがとう、になるそのとてつもなさが私は愛おしい。私にとってはその人の音楽がそうだったけれど、出会いと言ってしまえばありとあらゆる物事にその可能性は含まれているのかもしれないし、そんな出会いを生み出せる人達は本当に凄くて感謝なんて言葉じゃこれまた言い表せないのです。

ずっと先に確かにあることを知っているのは強い。勇気が湧く。同時に、後ろにもあることを感じ続けられたら、どれだけ果敢に挑んでいけるだろうと、そんなことを考えた。






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