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ご縁って?

宇宙存在とのチャネリングの中で、教えてもらったこと。

『縁はどこともある』


縁は円だ、と。

全てつながっているのだから、と。

その中で、深い、浅いがあるだけだ、と。


全てつながっている、全てはひとつ、というのは、私にはなかなか理解しづらいことだったのだけれど、大きな大きな円の上に、みーんなみーんな乗っているようなイメージが浮かんで、ああ、私も、守護してくれる存在も、神さまも、多分カラスも石ころも、ぜーんぶひとつの円の上でつながってる、って思えて、泣けてきた瞬間だった。


全てはひとつ、なのであれば、だからこそ、自分が放ったものは自分に還ってくる。

人に対してわるい思いを抱いたら、それは後に自分自身にはね返ってくる。

人を嫌ったり、ジャッジした瞬間、それは多分、自分自身のことも嫌ったり、ジャッジしたりしている、つまりは自分自身を傷付けてる、そんな気がする。


彼とのことを進めたいなら、だったら自己統合しなさい、自分自身をクリアにしなさい、って、ツインレイ鑑定の先生に何度も言われていた。

そのプロセスの中、私にとっては、自分自身の心と向き合うのがとってもヘビーだったけど、そういうのを一旦超えた後、自分がクリアになっているかどうかのわかりやすい基準としては、今の私の行動や感情は、彼から向けられて嬉しいものかどうか、ということだ。

もし彼がそんな行動をとったり、そんな感情を持っていたら、私は嬉しいかな、って。

もし私が今、誰かに持っているこの感情を、彼から私に向けられたら、私は嬉しいかな、って。

ああ、だったら、私はもっともっとクリアにならなくちゃ、って思える。

彼とのことを進めたいから、っていう不純な動機だとしても、心根を美しくしようとするのはいいことに違いない(笑)。

だって全てはひとつで、ぜーんぶつながってる、ぜーんぶ自分に還ってくるんだから。


そんなふうに考えていて、ある時ふと思ったことがある。

何で私は彼のことがこんなに、バカみたいに好きなんだろう、って思った時、あれ?こんなに好きって思えるのは、向こうからも好きって思われてるからじゃないのか、って何とも能天気なことを思った。

愛されてるからこそ、愛してる、って思えるんじゃないか、って。

うん、きっとそうだ、だから彼も私のことがバカみたいに好きに違いない。

ぜーんぶつながってるなら、片方だけがバカみたいに好き、はあり得ない。

思う、から思われる。

愛する、から愛される。

やさしくする、からやさしくされる。


縁はどこともある、のであれば、そのご縁をどうするかは自分次第だ。

深いはずのご縁を、あっさりスルーしてしまうのも、悩みに悩んで切ってしまうのも、あるいは、浅いご縁でも、大切に大切に育んでゆくことも、全部自分次第、な気がする。


彼とのことで嬉しい気付きがあったのと同時に、私にはもうひとつ、思ってしまったことがあった。

私が今、母親のことをこんなにも重荷に思っているのは、母親にも、重荷に思われたことがあったからではないのか。
それがいつのことだったか、そもそも本当にあったか、確かめようとは全く思わないけれど、でも、お腹の中にいる時だって、母親の思いって伝わったりするとも思う。

そうであれば、私が今、母親をこんなにも重荷に思うことに、私は何の罪悪感も抱かなくていいのではないか、って思えた。

だって、私も重荷に思われたんだもん。

何の確証もないけれど、でも、私の心は多分知ってるんだ、って思う。

そうして、でも、私はクリアになりたいから、母親を重荷に思う、その重い思いを手放せばいいんだ、って思えた。

重荷に思われたから重荷に思い返す。
意地悪されたから意地悪し返す。
厳しくされたから厳しくし返す。
傷付けられたから傷付け返す。

そういうのを続けてたら、いつまで経っても誰の得にもならない。

だから、負の連鎖は私で止める。

私がクリアになることで、この世に存在する、重い波動が、ひとつ、軽くなる。

道端に落ちているゴミをひとつ拾ってゴミ箱に入れたように、ひとつ、この世界がキレイになる。

この世界が、地球がキレイになること、美しい波動に包まれること、それは宇宙の喜びでもあるだろう。










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