タロットカードと私
私は占いとか好きなタイプでは、なかった。
若い頃、タロットできる知り合いとかもいたけど、へ〜、そうなんだ~、ってくらいで、特別興味なかった。
そんな私が、あるタロットカードに惹かれた。
装丁の美しいそのカードは、本屋さんの、私が普段素通りするようなコーナーの一角に置かれていた。
めちゃくちゃ高額ではないものの、そんなに余裕はなかった当時の私にとっては、すぐ買おう、と思えるような値段では、なかった。
それでも、気になって気になって。
一回は帰ったものの、次の週末に、また行って、使うあてもないままに購入した。
その美しさに、私は見ているだけで、手元にあるだけで、嬉しかった。
それから一ヶ月もしないうちに、私は彼と出会うことに、なる。
使うあてもなかったはずのカードは、彼に連絡してもいいか、などを占うことに使われ始める。
大忙しだった。
私は何回も何回もカードを引いたけれど、自分でもびっくりするくらい、愛のカードが、出た。
それに力をもらって、勢いで、連絡したりもした。
私は占いの修行をしたこともないし、タロットカードは全くの独学だ。
ただ、切羽詰まって、というか、彼の気持ちを知りたい!という切実さだけは、とにかく、あった。
今、LINEでご縁いただいている方々へ、タロットカードからのメッセージをお伝えすることもある。
独学で自己流だからこそ、私は自分を無にして、天に、お尋ねする。
この方にお伝えすべきことがありましたら、私を通じてお伝えください、と。
そう思いながらカードを引く。
カードからのビジョンとメッセージが、みえてくる。
リピートしてくださる方に関しては、やはり、その方の、あるいはお相手さまとの、基本となるカード、みたいなものがあり、日をおいていたとしても、あ、またこのカード出た、ということが多い。
何十枚もあるカードの中で、日をおいても、やはり同じカードが出ること、その確率はどれほどのものなのか私には分からないけれど、でも、やっぱり、それは、天からの、その方を守護する存在からの、その方へ向けた大切なメッセージであるのだろうな、と思う。
だから私はただお伝えする役目なだけで、本当は、ご相談者さまを守護しておられる存在が、そのカードを出している、もっと言えば、そのカードを引いたのは、ご相談者さまご本人であるのだとも思う。
その方の、美しさや強さ、人としての器の大きさ
お二人の愛の強さ、揺るぎなさ
カードを引いて、そんなメッセージやビジョンがみえる度に、私はその方に、畏敬の念を覚える。
悩みながらも、おそらく泣きながらも、それでも愛をもって強くあろうと生きてきたその日々こそが、あなたの歩み、これまでの生き方そのものが、こんなにも輝かしいビジョンとして、カードを通じてみえているんですよ、って、そうお伝えするだけの私でさえ、ご縁をいただけたことに、誇らしいくらいの気持ちになっている。
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