スターシードとか繊細さんとかについて思うこと
小さい頃から、人の裏側というか本性とかが見えてしまうような子供だった。
普段穏やかな先生が、問題児を睨みつける時の忌々しそうな顔付きとか、親戚の集まりでお酒が入った後に交わされる会話とか、表向きには決してならないようなものになぜだか私はよく遭遇したし、身内のグチも常に聞かされていた。
人の気持ちを感じ取ってしまうこと。
ああ、この人は表向きはこうだけど、本当はこう思ってるとか、そんなことが見えるのは、危険人物に近寄らないでいられるという利点はあったものの、私にとって、それほどいいこととは思えなかった。
むしろ、損な性質だなあ、って思っていた。
二十歳くらいの時、外出先で目にゴミが入り、やむを得ずコンタクトレンズを外して裸眼で帰ったことがあった。
帰り道、世界がぼやーっと見えて、ああ、私はこれくらいで人を見ていればいいのかもしれない、ってそう思った。
人の本性とか、裏側とか見なくたっていい。
知ったってどうしようもないし、ヘタにつらくなるだけで、何の得もないし。
人の悩みやグチを聞くことだって、信頼して話してくれるのだろうけど、時に深刻なそれらは、私の心を重くすることも多かったし。
占いにハマった時、占い師さんもそんなふうに小さい頃から人の裏側を見えちゃう人が多いんだっていうことが分かった。
私が占いにハマった理由はそこにもあるのかもしれない。
リアルではなかなか出会えなかった、精神世界の話ができる人、魂や宇宙のことを教えてもらえる人。
彼の気持ちとか二人の今後とかも、もちろん聞きたかったけれど、占い師さんとお話することが、純粋に楽しかった面もある。
ああ、先生もそんなお辛い経験をされてきたんですね、分かります、みたいに、勝手にシンパシーを感じることもあったり。
そんな中で、私は初めて、スターシードという言葉を知った。
スターシード、とか、インディゴチルドレン、とか私にはよく分からないし、あなたはスターシード、とか言われても、正直、特別それで救われた気がするわけでもない。
最近よく目にする、繊細さん、というのもスターシードと似てるのかな、とも思うけれど、繊細さんの本とかぱらぱら見たところで、やっぱり私にとっては、特別腑に落ちる感覚もない。
ただ、私にあるのは、ここじゃない、とか、これじゃない、とか、この人じゃない、とか、いつもすぐに感じてしまう不全感みたいなもの。
小さい頃からずっとあるもの。
お寺の石に言われたことがある。
『彼の心の中は空っぽ。あなたからの愛がたくさん入るように空けてたんだよ』
そうであれば、私の心もまた空っぽなのだろう、と思えた。
空っぽだし、ここじゃない、っていつも思って生きてきたから、だから私は、木とか石とか、目に見えない存在からもたくさんメッセージを受け取れたり、何の違和感もなく、会話ができるのかもしれなかった。
嘘や建て前や、ずるさや見栄、意地悪さとか、そういうものが貼り付いた、人間同士の会話より、もっともっと本当らしいものとして、私は森羅万象からの声を受け取っている。
そしてその声は、私を正しい方向へ、魂が歩むべき正しさに導き、そして愛をもって応援してくれている。
『もうすぐだから』
『地球でのお役目が終わったら帰れるから』
烏天狗さまはそう教えてくれた。
私はその時、早く帰りたいな、って思った。
懈怠のうちに死を夢む、かもしれないけど、帰りたいな、って思った。
今もそう思ってる。
だって、帰る先は多分私にとってとても居心地のよい場所。
私がそのまんまの私でいいって思える、今、彼と一緒にいる時に感じるような安心感のある場所。
日常をそつなくこなしているように見えて、心の中ではそんなことを思っている。
私はそういう人間だった。
小さい頃から、信頼できる人とか友達もいなかったから、だから私はいろんな存在とお話できるのかな、って白狐さまに言ったら
『そういう人がどうしても必要なんだよ。宇宙と地球の橋渡しのために』
って言われた。
でも本当は、お役目とか橋渡しとか、別にどうでもよくって、普通に、あったかい家庭に産まれて、お父さんとお母さんが大好きって無邪気に言って、このお家に産まれて幸せ、とか思ってみたかったし、結婚生活にも絶望とかしなくて済めばよかったなあって思ったりはする。
でも、全部、私が決めてきたことらしい。
「魂の自作自演」なんて言葉で表現してくれた先生もいた。
なんだ、つらいとか泣いてるのも私の狂言ですか、茶番ですか?
そう考えれば笑うしかない。
そうだ、人生は笑った者勝ちだ。
どうして私が光の仕事を?って龍神さまに聞いたことがある。
『お主が決めてきたことだろう?』
覚えていません。
でも決めてきた。
地球で頑張ってみよう、って。
多分、私には向いてない、この地球で。
そうして、帰ったら、私はまた、魂のお仕事をする。
それも決まっているらしい。
私を守護してくれる存在の中に、一人、せっかちなのか、フライング気味に教えてくれる存在がいて、そう教えてくれたから。
『死が終わりではないことも分かってきたでしょう?』
池の鯉が言う。
私たちの魂は成長を続けてゆく。