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noteの辞め時とか

引き際はキレイなほうが、いい。

この男じゃない、って思ったら、すっぱり断ち切るのがかっこいいのとおんなじ。

何を野暮ったいと思うかは、個々人の美学の問題だけど、私はそういうのが、かっこいいと思う。


で、noteを辞める時はどんな時かなあ、って考えてみる。

書きたい時に書いて、書きたくない時やネタが思い浮かばない時には書かない。

私がnoteに向かう基本姿勢はこれだ。
プロじゃないから可能なことではあるけれど。

そうであれば、書きたくなくなった時や、ネタ切れになった時には辞め時だ。

ただ、そこに、美学が絡む。

自分のポジショニングとの兼ね合い、とも言えるかもしれない。

例えば私自身は
50代子持ちの既婚者で
一回り年下のやっぱり子持ちの既婚者の男が好きで

そういう人間が、あーでもないこーでもない、と悩んだり、いい年して、わー、ぎゃー、と泣き喚いたりしている。

でも逆に、そんな人間だから、書くべきことがある、とも言えると思うのだ。

もし仮に、ですよ、
彼と結ばれました!
お互い離婚が成立しました!
再婚して、今は毎日幸せでーす!

なんてことを私が書くようになったら。

誰が読むの?って(笑)。

いい年して好きな男ができた、頭から離れない、家族に顔向けできない、そんなふうに悩んで悩んで泣いて泣いて「ツインレイ 頭から離れない」とか「性エネルギー」とかそんなワードで何回も何回もバカみたいに検索をかけては、ネットの中に自分に必要な言葉を血眼になって探してる、そんな人に向けて、そんな、少し前の私のような人に向けて、私は、記事を書きたいのです。

だから、ツインレイと出会って、今幸せでーす!って書く人もいて当然いいんだけど、それは私の美学とポジショニングとは相容れない、から私は書かない。



あともうひとつ、前から思ってることがある。

私がこのnoteに書いているのは、誰かに出会うため、誰かに私の言葉を届けるため。

そういう、天の、宇宙の意思があるのだろう、と感じている。

つまり、私は、そういう天の意思のもとに、ただ、書かされているだけ、とも言える。

そして、ここで出会うべき人に出会ったら、届けるべき言葉を全て届けたら、その時は、このnoteという場所で、私のすべきことは、なくなる。

つまり、辞めてもいい時、だ。

天の意思、は具体的な数字として、フォロワー数何人くらいになったら、という感じで、既に私には伝えられている。

その数字にはまだだから、まだ会うべき人がいる、伝えるべき言葉がある、ということではあるのだろうけど、でも、いつかは、その数字と、なる。

その時は、このnote上での、私の役目が終わったということ。

一仕事、無事に終えた、ああ、よかった、って次のステージに進む時。


そう考えると、結局、幸せいっぱいになったり、お役目を終えて次のステージに上昇、とか嬉しい時、が私にとってのnoteの辞め時のようだ。

私が何かしらnoteに書いてる、っていうことは、迷ったり悩んだり泣いたり怒ったり、もうヤだって全部投げ出したくなったり、そんな日常を今日も生きている、っていうことなんだろう。








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