雑感②生きていたくない?

こんにちは。
秋晴れのこんな日に、一瞬ギョッとするようなタイトルですみません。
大丈夫です。死にたくなったとかそういう話ではないのでご安心ください。

お天気がよかろうが、世間一般ではイベントで盛り上がっていようが、そんなことは一切関係なく、もうイヤだとかもう生きてけないとか、何で私だけがとか、もう全部投げ出したいとか。
そんなふうに思っちゃうことってきっと誰にでもあるかと思います。

私にも当然あります。人並みに。ていうかこういうのの人並みがどれくらいのものか分かんないですけど。
で、その度に思い出す、小説の一節があるので今日はそれを書きたいと思います。

『あり余るほどの幸福のもとでしか生きていたくない。そう思うのはそんなにも傲慢なことだろうか』


今手元にないので一言一句正確ではないですがおおよそこんな文章でした。

私は事あるたびにこの言葉に支えられてきました。
人によっては、そんなことで?って思われることかもしれなくても、私は逃げ出したかった。イヤだった。
もっと大変な人がいるでしょう?とか言われても、それは頭では分かってても私にはできなかった。
そんな時いつも私はこの言葉を思い出した。

そうして、
「私は、あり余る幸福のもとでしか生きていたくないって考えちゃうような人間なんだ」って思えた。
だったらしょうがないよね。
逃げ出したいって思っちゃうのは当然だよねって、ラクになれた。

徳川家康じゃないけど、人生は重荷があって当たり前、大変なのが当たり前、みたいな考え方もあると思う。
そう考えることで頑張れる人もいるのだと思う。

でも私は違った。
神様に、あり余るほどの幸福を与えてもらって、お膳立てしてもらって、さあ、このあったかいぬくぬくとした場所で生きてごらんって言われたら、じゃあ生きてやってもいいよ、みたいな。そんな、見ようによっては不遜とも言える人間が私だった。

自分はそういう人間なんだって、そう考えると、ラクになる。
イヤで当たり前。だってこれはあり余るほどの幸福ではないもの。
投げ出したくて当たり前。やっぱりこれもあり余る幸福ではないもの。

イヤでいいんだよ、投げ出したくっていいんだよ、誰かを恨みたくなったっていいんだよ。

だって私はあり余るほどの幸福のもとでしか生きていたくないって考えちゃうタイプの人間なんだから。

そうワンクッション置くことで、少し冷静にもなれたりして。

だから私にとってはとても大切な言葉なのです。

この小説は、いつだかの芥川賞候補になりました。もう三十年近く前だと思います。

きっと、人は、芥川賞受賞作、のほうを覚えているものだと思う。
その話題性や華々しさと共に。

でも、人によって、刺さる言葉、大切にしたい言葉って全然違っていて。
自分はこういう言葉が刺さるんだよって、それぞれの人がそれぞれの好きを持っていられればいい。
誰もが自分の心が求める言葉に出会えればいい。

多様性、とか声高に叫ぶよりも、誰もが自分の心を大事にできること、自分の本当に求めるものが分かること。
そんな社会であるといいなと感じます。

言葉を綴る、思いを伝える、自分の感じているものをさらけ出す。
今の私がこの、noteという場でしていること。
この言葉がどこかの誰かに届くかもしれないこと。

芥川賞作家、ではないけれど、私にとっては大切な言葉を紡いでくれた彼女のように。

私の言葉がいつか誰かの心に届くことが、私の願いでもあります。


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