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チョコレートが溶けるまで

 この間、いつもより長めに散歩をした。時世柄窓越しに見ることが多かった空は久しぶりに肉眼でみると記憶よりも遥かに広くて、色味が強かった。鮮やかなブルーを隈無く照らすおおきな陽光に、夏の気配を感じた。季節の狭間に立ってその変化を見届けるのは本来とても好きな事であるはずなのに、どこか他人事だった。理由は明白だった。わかりやすく居場所がわかるものよりも、さっきまで手元にあったはずなのにいつの間にか随分と遠くなってしまったほんの少し前の季節の記憶が私の中で燻っていたから。
 
 大学やバイト、各所での役割からふわりと離れてただ私は私として家にいると、図書館で気まぐれに手に取った本の一節や冬のバイト帰りの冷たい夜風、地下鉄に乗りながら気もそぞろに聴く曲なんかで日々確実に構築されていった、たくさんの心の揺れと内省と、とにかくその手のものがごちゃごちゃと入り混じって、冷えたチョコレートみたいにいびつに固まった、私が"自分"と呼んでいた何かがゆーっくりと溶解していくのを感じる。これまで世界に散らばるあらゆるものに対して、特に頻出度の高いものに対してあったはずの自分なりの見解が、ゆるゆると解像度を下げていく感覚。
 これを自覚し始めた頃は怖かったけれど、段々そうでもなくなってきていて、逆に今後が楽しみ。今は柔らかい生チョコみたいになってる状態だから玉石混合、きっとまた色んなものを自分のなかに絡めとる事が出来ると思うから。自分を向上させる、みたいなそんな大層な事ではなくて、年末の大掃除みたいに、こうして時々自分を開いて呼吸させる感じ。そういうのって素敵だと思うんだよね。

#エッセイ
#日記

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